発達障がい・凸凹育児に悩む親御さんへ
ネイチャー鑑定で『自分や子どもの強みと思春期の変化』を知り、自分のマインドを整えるためのコーチング。
視覚をきたえるビジョントレーニングでは、発達の土台となる、身体と脳にもアプローチ。
子どもの伸びしろをグーンと伸ばす
発達凸凹子育てママのライフコーチ
現役訪問看護師発達障がい育児歴15年目の
石黒けいこです
息子が生まれてから、『なぜ発達障がい育児に悩む親御さんの力になろうと思ったか?』どうやって私が子ども達の将来に不安がなくなったか?お付き合いくださると嬉しいです
待望のあかちゃんを授かる
結婚して4年目、不妊治療を経て待望の第1子を授かりました助産師だったので、赤ちゃんとのふれあいには慣れていたけど、赤ちゃんと24時間一緒の生活は初めてです
『大変だろうけど、子育てをなるべく楽しみたい』そんな気持ちで、順調に過ごしていたはずでした…
毎日つけていた育児日記と、息子のズレが出てきたのです。
そんな疑問がよぎるけど、発育曲線に沿って発達課題は一応クリアしていた息子。
と自分に言い聞かせていました
そんな中、二人目を妊娠。息子は、同年代の子どもには全く興味を示さず、たんぽぽに『おはよう』と声をかける。
『かわいいな』と思いながらも、やっぱり違和感は消えない。そんな気持ちでいましたが、1歳半健診でも何も言われなかったし、『やっぱり考えすぎなのかな…』と思うことにしました
2人目の臨月に入り、里帰り先で親友の家に息子を連れて泊まりに行った事が、私たちの転機になりました
息子が発達障がいかもしれない?
親友の息子さんが幼い頃に、会ったことがありました。
息子より2歳年上だった友人の息子さんは、発達障がいと診断を受けていた。
その時は、
「そういう事もあるんだな、これから大変なのかもしれないな」
そんな風に、でもどこか人ごとのように思っていた自分がいました。
その友人が、
私の息子も『似ているところがある』と言うのです。
その言葉には、とても説得力がありました
友人のご主人は、特別支援学級の先生だったからです。
そして友人も、いたずらに事をあらだてるような事を言うような人ではない…
私や息子のことを想って、伝えてくれたのだと分かりました。
でも、出産を控えていた私は、すぐに受け入れることも動く事も出来ませんでした…
3歳で広汎性発達障がいと診断
二人目が生まれ、息子が2歳7ヶ月を迎える頃にようやく発達相談を受ける決心をして、自ら支庁の保健福祉課に連絡をしました。
町の保健センターに連絡をしなかったのは、町の健診では問題なしで経過していたので、どうにも信用できなかったからです
すぐに児童発達支援センターを紹介され、心理士さんの面談を受けて、スムーズに療育が始まりました。
その地域には、1か所しかない療育機関。
医師の診断を受けるまでは、心理士さんも、担当の保育士さんも、はっきりと『発達障害ですね』とは明言しない。
⬆️息子のペースに合わせて遊んでくれるのは、ありがたかった
息子との関わりで困っていることを聞いたり、気になることを聞いたりしているうちに、療育の時間はあっという間に過ぎました
自分で本を何冊も買って読み、mixiで調べたりしながら『やっぱりそうなんだろうな…』と内心思い。
でも違うところもあるし…と、疑いと不安と否定で頭の中はごちゃごちゃになり、気持ちは揺れました
いつか支援する側に
自分の事も息子の育児も手探りで、頼れる人を探し、最大限に頼りました💦
1人で頑張るのは違う、どんどん人を頼っていい。そんな風に考えることは何とか出来ました(友人からのアドバイスもあった)
それでも、療育へ連れて行くと、息子ほど参加出来ない&自由な子はいない
小さな集団であっても、全然まわりに合わせられない息子を、毎回見せつけられているような感覚…
あまりの出来なさっぷりに、これは必要な事なんだと言い聞かせても、毎回落ち込む。
不安だしよく分からないのに、ママ友に話したって分かるはずがない。
親をサポートしてくれる場がない事に、本当に愕然としました
だけど、何かできることはないんだろうか?
今は時間も余裕もないけど、
いつかこの経験を活かして、支援する人になろう
その日も全く療育にならなかった息子を連れて帰る途中、夕暮れの羊蹄山を見ながら、涙をこらえて強く思いました。
自分の事もままならないのに何故かこう思い、あの時の気持ちが強く残りました。
②に続きます⬇️
こちらの記事にも、詳しく書いてます⬇️
質問やメッセージは、こちらでやり取りさせて頂いてます!