老成の芸術 ② | 宇都宮の書道教室【啓桜書道教室】

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昨日に引き続き、老成にまつわり、紹介したい言葉がある。



“老成の芸術” と言われる“書”について、小坂奇石先生がこんな言葉を残している。


『書はむき出 しの若さを嫌うとしか し若い人には若い人らしい息吹きの感じら
れる作品を書いてほしいと私は思う。それはあくまでも大成への過程 として望
むものであって、決してそれ自体高度な芸術作品であることではない。
ことばをかえると、書は老成を求める芸術である。長い年月かけて老成を待
つのは東洋芸術の特色であろう。若い時から壮年へかけてしっくりと技術と学
問の基礎をつ くり、人間性の高揚とともにそれを醸成し芸術の華を咲かせるの
である。
書の世界では二十代三十代の作品が生涯の傑作であることはまずないだろ
う。たとえその頃に良い作品が書けたとしてもその人がそれ以後に書いたもの
の方が、より価値の高いものであることはほぼ間違いない。そこに書のむつか
しさがあ り、またおもしろさもある。
若い人は若さを武器 とした作品を書いて欲 しい。若い人がいやに老成ぶった
作品を書 くよりもよい。ひとりよが りの暴走をしない眼 りそれはそれで将来に
良い結果を蔚すであろう。しかも本当の腹の底からの力が巧まずして作品に出
てくるのはそれ以後であることも心得ておきたい。
そこで若い人は真摯な臨書と、書についての巾の広い学問――私はそれを奨
めたい。若さがわき道に暴定 しないためにも地道な努力に時間をかけて欲 しい
と思 う。 昭和五十年十月  小坂奇石 ―黙語室雑記―』


この言葉には感服するし、言葉の筋に疑念の余地はない。

肝に銘じたい言葉がここにはある。


だが、20代、30代でも傑作は生み出せるはずだ。

それは大成への過程などではなく、それ自体が高度な芸術作品として、だ。

技術の問題はある。完璧にはほぼ遠いかもしれない。


それでも、長い年月をかけて老成を待つのが東洋芸術だなどとは思わない方がいい。

本気のうちに老いがくることはあっても、老成は待つものなどではない。


今生み出せないものは、未来にも生み出せないと思うべきだ。

小坂奇石先生は、数少ない素晴らしい書を残した作家だと思っている。

少し言葉を取り違えただけのことだ。



明日の傑作を信じずに、老成の傑作は成得ない。