美人たちに逢いに行きました。
其処を訪ねたのは二度目でしたが

新緑の其処は
まさしく若い美人たちのささめく場処でした。





ホームページには次のように紹介されています。

美しすぎるブナ林

美人林 びじんばやし

松之山松口の3ヘクタールほどの丘陵に、
樹齢約100年のブナの木が一面に生い茂っています。
その立ち姿があまりにも美しいことから
「美人林」と呼ばれるようになりました。

大正末期、木炭にするため全て伐採され裸山になりました。
ところが翌年、この山のブナの若芽が一斉に生えだし、ブナ林が野鳥の生息地として見直され、美人林が保護されるようになりました。


その入り口には池の近くにこんな橋があって


なんと
雪を固めて作られていることに
まず驚かされます。

美人林の中を
少し歩いてみましょう。




 




ブナの林といえば


先年

世界遺産の白神山地を

日本海側から津軽まで

ブナの原生林を走り抜けた記憶が鮮明ですが


それは熊が出るという山道を

友人のクルマで走破するという

かなりな冒険で


しかも季節は秋、

ブナの森の精霊たちと過ごしたかのような

見事な紅葉に酔いしれた数時間でした。







この美人林は

そんな白神山地とは違って

ケモノに怯えることなく

鳥たちの鳴き声を聴きながら

新緑のブナの林を散策できる

素晴らしい場処です。


もちろん多少のアップダウンはありますし



木の根に躓きそうになったり

深く積もった枯れ葉は所々で湿って滑りやすくなっていますが


幸い草履で

しかもカレンブロッソとなれば

用心しながらもズンズン歩けます。



足袋や着物の裾なんて気にしてはいられません。

丈夫な塩沢紬の単衣の装いはそのためです。



美人林の奥深く

こんな美しい光景が待っていました。











其処に立つとブナたちの囁きが

聞こえてきそう。


森林浴効果もあってか

こころも柔らかく健やかになれそうな気さえしてきます。





さあ、美人林の帰り道…


よろしかったらご一緒にどうぞ。

足元にはくれぐれもお気をつけて。



ブナの林を抜けて足元を見ると


枯れ草の中から可憐な菫が咲き出していました。

左上の白いものはなんと溶け残った雪です。





四阿の入り口の人に踏まれそうな所に生えている
のを
摘んで押し花にしました。




ブナの森

訪ねし記念(かたみ)の

すみれ草

はるけき友に

いつか届けん


ブロ友さんを浮かべて一首。

オソマツサマでした。


そんな歌など詠みながら四阿で休んでいると

老人二人に声をかけられました。


「着物で大丈夫でしたか?心配しながら見ていました」


「はい、慣れていますから大丈夫です。

先年山形の山寺の千段の石段も着物で登りましたから」


「それはスゴい❣️ 」

と二人が感心するところに


「71歳になりましたが元気です❣️」


まあ、こんなささやかな自慢話くらいは

言わせてやってください。


老人と見えたお二人は寅🐯と午馬だそうで

ほとんど🐇と同年代でした。








本日の装いは

大いに季節先取りの枇杷の実。



帯留は旅の御守りの鼈甲の亀です。





さて
昨日、土樽駅でお会いした
ご老人、伊藤周左衛門さんは
一言で言えば冒険家。

お名前からネットで検索したところ

あの植村直己さんとも親交が厚く
エスキモーと生活を共にしたこともある伊藤さんが植村さんに犬ぞりの扱い方を指南したとか。
伊藤さんが四十代で結婚された時は
植村さんが主賓として挨拶されたとも聞きます。
和泉雅子さんの北極点制覇の折にも副隊長としてバックアップされたということでした。

土樽駅の待合室でお見かけした時は
次の列車を待っておられるのだとばかり思ったのですが
ホームの階段を上がって行かれたのを見て



二人で

「お気をつけて」

と声をかけると


友人と階段の途中でお話が始まりました。

その中で冒険の話や植村直己さんの名前が出たそうです。




なんでもこのホームを越えた向こうで

土樽山荘というユースホステルのような施設を

営んでおられたようで(今はやめられていますが)

其処に至るには

この土樽駅のホームを越えて行くしかないのだそうです。


ネット情報によれば

ユースホステルには『 深夜特急』の沢木耕太郎さんも泊まられたとか。


昭和8年生まれとのことですから

89歳❣️

まだまだお元気そうな足取りで

向こうのホームから

お宅のある山へと帰って行かれました。


狸にバカサレタような

ちょっと不思議な出会いでした。

土樽駅ホームページより

土樽駅は新潟県南魚沼郡湯沢町に所在する無人駅で、開業は1940年(昭和15年)1月15日。

清水トンネルが完成して上越線が全通(1931年9月1日)した時点では信号場で、晴れて駅に昇格したのはその8年4ヵ月後だったのです。


新幹線の長大トンネルが続々と完成する以前は、著名なトンネルの一つであった清水トンネルを新潟県側に抜けてすぐに到着するのが当駅で、川端康成の小説「雪国の有名な一節「トンネルを抜けると~」のまさにそこがこの土樽駅。



伊藤氏はきっと

私たちが

そんなホンモノの『雪国』の舞台を撮りにきた

と思われたのでしょうね。




そして今日も…


次々と愉快な出会いがありました❣️


そのご報告はまた。