当世だめ人間気質

当世だめ人間気質

以前から続けていたブログ、「だめ人間の暇つぶしです」の別館「当世だめ人間気質」です。

本館ブログでは、クラシック音楽ネタを書いています。
こちらの別館ではそれ以外のネタをアップするつもりです。

本館へは左下(↓)のリンクからどうぞ。

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こんにちは。だめ人間です。だめだめのだめ人間です。。。

もう、なんか最近、ほんとにだめ人間です。。。。

 

正直、なんか色々大変におつかれ気味の今日この頃のだめ人間。。。。

本館ブログもすっかり放置してしまっているし、、、。嗚呼、、、!!

 

それはともかく、数日前ですね、、、

夢を見まして、、、。

 

今は亡き私の鹿児島の祖父はファミリー旅行がお好きだったんです。

私たち孫が夏に鹿児島に行くと、必ず毎年皆をどこかへ連れて行ってくれました。

(奄美大島とか、屋久島とか、種子島とか、甑島とか、、、なんか島ばっかりだな(笑)。)

祖父が米寿の時には、親戚みんなで鹿児島空港から中国へ、ツアーで旅行連れて行ってくれたり、、、。

私の母には2人の姉と1人の弟が居たもので、皆で行くとなるとなかなか大所帯でガヤガヤしていたものです。

そんな背景がまずありましてですね、、、、

 

数日前、夢の中でまた祖父が身内を引き連れて、皆をツアー旅行へ連れて行ってくれるというのですが、その行き先がなんと!!!

 

北オセチア共和国!!!!

 

なんと、ウラジカフカースだったのです!!!

 

北コーカサスの小共和国、北オセチア共和国。我々日本人にとっては10年以上前に起ったあの悲惨なベスラン学校占拠テロや、グルジア戦争(あれは南オセチアですが)が思い浮かぶ土地だと思います。

つまり、チェチェン程ではないにせよ、危ないイメージですよね。

 

一応、場所を↓

(googleの地図のスクリーンショットですが、赤い標がウラジカフカースです。)

 

現に、今、外務省の海外安全ページを見てみると、オセチア(&周辺の北コーカサス地域やアブハジア)は「レベル3:渡航は止めてください。(渡航中止勧告)」とのことで、「その国・地域への渡航は,どのような目的であれ止めてください。(場合によっては,現地に滞在している日本人の方々に対して退避の可能性や準備を促すメッセージを含むことがあります。)」と書いてあります。

 

前回ポゴシャン先生のアルメニア本を紹介した時に、ちらと私は地味にカフカース好きだということを告白したと思いますが、実は特にカフカース山脈の北側、北カフカースがもの凄く好きでして、、、。

 

南コーカサス(グルジアやアルメニア、アゼルバイジャン)ももちろん大変魅力的です。独自の文化があって独自の歴史がある。現に独立国だし、独立した国々じゃないですか。

 

それに対して北カフカース。アディゲ(チェルケス)、カラチャイ、バルカル、オセチア、チェチェン、イングーシ、ダゲスタンetc...(アブハジアを入れたら怒られるかな?)。現在ロシア連邦に組み込まれているこのカフカース諸民族、皆違う言葉を話し、その言葉(&民族)もカフカース諸語系統、チュルク語系統、印欧語系統とバラバラ。しかもその少数民族の言葉は次々と消滅して行っているという現状。そして宗教も正教(にも種類がある)、イスラーム(にも色々がある)、土着の民間信仰の残り香とバラバラ。。。にもかかわらず、彼らはある程度共通の民族叙事詩を持っていたり、ある程度共通した文化を持っていたりします。

 

ところで、上に列挙した北カフカースの諸民族の名前、プーシキンなりレールモントフなり、(あるいはレフ・トルストイなり)を読んだことがある人達は、ある程度お馴染みでしょう。私ももちろん、まずはプーシキンやレールモントフから入りました。ロシア文学の所謂カフカースものというヤツです。チェルケースというと思い浮かぶ『カフカースの虜』や『現代の英雄(ベーラ)』。チェチェーニヤというと思い浮かぶ『ハジ・ムラート』、オセットというと思い浮かぶプーシキンの『エルズルム紀行』etc.etc...。

嗚呼、、、、とにかく好きなんですよ、、、、この決して豊かでない、受難受苦の歴史を歩んでいる、誇り高いカフカースの小民族、山岳の民たちが!!!

 

まあ、そんな背景がありましてね、、、。渡航中止勧告が出ている場所だし、簡単に行ける場所じゃありませんし、夢の中で突然行けることになったもんで、私はあまりの嬉しさに狂喜乱舞いたしましてですね、、、。

(以下、夢の中の出来事は文字の色を変えておきます。)

 

喜び勇んで空港のツアー受付&搭乗口のような場所に並んでいたのですが、並んでいる最中も嬉しくてたまらないだめ人間。列に並んでいる見ず知らずの人に喜びを語ったりと、たいした浮かれようでした。

私の番が来て受付をしてもらっていると、オプションのツアーとかも色々申し込めることになっていることに気がつき、「ここでお金を惜しんでは一生の不覚!」とばかりに、ウラジカフカースで楽しむ伝統料理だとか、テーレク河を巡るだとか云々と、日程が許す限りで片っ端から申込みました。

 

で、さらにふと受付のデスクの脇を見ると、なんと!!日本語で書かれたオセット語の文法書が!!

ペーパーバックですが、しっかり200頁くらいはある教科書版の語学書!!値段は2500円くらいという破格!!!!もう最高です!!!

(注:オセット語は辞書等も含めて基本的にロシア語からしかアクセスできません。英語でもほぼ無理です。かろうじてフランス語の基本文法書が1冊だけありますが、もちろん日本語では何もありません。)

勿論1冊購入し、「飛行機の中でこれを徹底的に読むぞ〜」とにやけながら、「この本が手に入るだけでも、凄いことですよ!!!」と、興奮しながら喜びを受付のお姉さんに伝えるだめ人間。

意気揚々、いざ飛行機に乗り込む為に進んで行ったのです。

 

ところが、、、、、

 

どうも様子がおかしい。

 

歩けども歩けども飛行機に到着しない。飛行機の搭乗口の外みたいな雰囲気で、お店が並んでいたり違う航空会社の窓口があったり、、、後ろを見ると親戚たちもいない、、、。

 

もしかして、、、迷った?

 

そこで、案内係っぽいお姉さんが2人いる窓口に言って、搭乗券を見せて、「これ、どこから乗るんですかね?」と尋ねたのです。すると、2人が顔を見合わせて凄く焦って、「ここじゃありません!!時間がありませんから、今から戻っても間に合いません。○○さんを呼びましょう!!」

 

○○さんってのが思い出せないのですが、なんか、直で飛行機に連れて行くことが出来る人らしくて、、、で、私は係のお姉さんと一緒に○○さんを探しに行ったのですが、、、

もう、この時私は半泣き、、、。だって、さっきまであんなに浮かれ喜んでした、オセチア行きが、目の前で崩れ去りかけている、、、

 

「○○さ〜ん!!!○○さ〜ん!!!!」

 

と、嗚咽の混じった悲鳴のような声で泣きながら叫んでるんです。

 

で、遂に○○さんなる人が現れたので、私はもう号泣して、「ウラジカフカースにどうしてもいきたいんです!!!これを逃したら、もう一生行けないかもしれない!!!なんでもしますから、どうか私を飛行機に乗せて下さい!!!」と懇願するんです。(これ、ほんとに号泣しながら。)

すると○○さんは、私を飛行機へ連れて行こうと準備しながら、ふとチケットを見て、「離陸時間が5時50分になっていますね。今何時ですか??」と私に聞くのです。

 

おそるおそる時計をみると、、、、

 

6時を過ぎてる。

 

「6時すぎています。。。」

 

。。。。。

 

号泣、、、、。

「なんでもしますから、お願いだから!!どうしてもウラジカフカースに、、、、飛行機に乗せてください、、、」

と、文字通り泣き崩れ、床に両手を着きながら号泣。。。

「ウラジカフカースに行かないと、、、今行けなかったらもう二度と行けない、、、ウラジカフカースに、、、ウラジカフカースに、、、、」と延々と涙に暮れていたのでした。

 

 

 

とまあ、そんな感じの夢を見ました。。。

(目が覚めた時の衝撃といったら、もう、、、(笑)。)

 

ええ、、、私がウラジカフカースへ行きたいというのは本当に事実ではあるのです。。。。

数週間前だったか、ウラジカフカースの大学へ行く方法はないかと、ウラジカフカースの大学のHP(なんかHP新しくなってるし、、)を見ていたりもしましたし。(なんでやねん!!)

 

というのも、最近もうなんか、だめ人間さんは絶望的にだめ人間化しておりましてですね、、、、。

ストレスでめっちゃ太って、史上最重量級になってしまうくらいで、、、。それもこれも、まああれです、、、昨今の学問の世界というのは、お金をもらうためになんかもう屈辱的で隷属的なことをしなきゃいけないという。。それがなんかもう、ちょっとキツくてですね、、、。

今耐えたとしても、これからずっと耐え続けていけるのかとか、自分の学問的良心とか考えるとね、、、。もう色々と悩ましい今日この頃なのです。

 

そんなこんなで、先日は研究室のODの先輩にコメダ珈琲で、延々と「もう今の大学の研究室から離れたいんです。魂を売ってアカデミックな世界で生きていきたくないんです(涙)!!!」と訴え、ついには「私、ウラジカフカースへ行きたいんです。お能が見れなくなっても良いという覚悟です!!向こうで死んでも良いんです!!」とか口走っていたんです。(完全に受け流して頂いてましたけど。)

 

それにしても、なんでウラジカフカースやねん、、、??

 

これはまあ、まずプーシキンの時代からカフカースもののお決まりのパターンの一つですね(苦笑)。都会で「ふさぎの虫」にやられるような「余計者」はカフカースの民に自由を見て、カフカースへおちていく、けれど結局、根が都会の知識人なものだから、どうしても上手くいかずに戻っていく、、、みたいな(笑)。ウラジカフカースというと、カフカースへの入り口みたいな場所なんです。

それから何より、私のカフカース好きの一環でもある妙なオセチア愛(&オセット語愛)によるものではあるのですが、実はもう一つ、象徴的な背景もあるんです。

 

夢の中でも、飛行機に乗りそびれたあたりから「ウラジカフカースへ!!!」という感じで訴えまくっていたのですが、本当は飛行場は(たぶん)ウラジカフカースではありません。ウラジカフカースの少し北のベスランの空港からウラジカフカースへ入る筈です。(よく知りませんが。)で、もちろん夢の中でも飛行機はベスラン行きで、ウラジカフカース行きじゃなかったはずなんですよ。でも、途中から、飛行機の行き先がウラジカフカースになっている。まあ、近くだと思うんで、ほんとはどっちでもいいんですけど、私の夢の中では、このことが少し重要だったようで、、、というのも、私の中での「ウラジカフカース」という場所への一つの象徴的な連想がありましてね、、、。

 

その連想というのはレフ・トルストイに関してなんです。

 

トルストイが死ぬ前に家出して、道半ば、田舎の小駅アスターポヴォ駅で客死したじゃないですか。あの時、トルストイが持っていた切符の行き先、それが「ウラジカフカース」なんです。

 

トルストイの最後の家出の理由や奥さんとの云々なんて知りませんし、全くもって私はトルストイ信奉者なわけではないので何も知りませんが、私は彼の最後の家出のハナシがとても好きです。

 

よく言われることだと思いますが、トルストイ自身のカフカース戦争での従軍体験は、彼の思想の根幹を支える原体験になっていると思います。それが結実したのはまずトルストイの初期作品『コサック』でした。他にも彼のカフカースものはいくつもありますが、(途中を全部すっ飛ばしますが)トルストイ最後の作品は生前未発表の作品『ハジ・ムラート』でした。(私が彼の作品の中で最も好きな作品です。)チェチェンの(悲劇的)英雄を描いた作品です。

 

とにかく、私の勝手なイメージによると、トルストイのもっとも美しい志や彼のプリミティブな憧憬のようなものは、まずはカフカースでの戦争体験に根ざすもの、さらにはカフカースという土地と密接に結びついたものだと、私は勝手に思っているのです。

 

で、理想主義の偶像とも捉えられるような、巨大な存在になってしまった晩年のトルストイ。私は彼の過剰な理想主義は彼の弱さだと思っています。

最後の最後、死を目前に、トルストイは自分の偶像的な姿から逃れて、自分の弱さの偶像を踏み越えて、原点へ帰ろうとしたのでは、、、と私は今のところ勝手に思っています。(え??ロマン主義っぽすぎるって??まあ、いいんですよ(笑)。)

 

とにかく、その逃避行の行き先はウラジカフカース。

ウラジカフカースはトビリシへと続くグルジア軍道の出発点にして、カフカースの入り口でもあります。

トルストイは一体どこに行こうとしていたのでしょう?ウラジカフカースが目的地なのか、それともそこからどこか、さらに遠くへ行こうとしていたのか、、、。

いずれにせよ、まずはウラジカフカースへ行かなければ始まらない。だからウラジカフカースへ。

、、、、。

けれど、彼はウラジカフカースへ辿り着く前に倒れてしまった。

そして、永遠にウラジカフカースへは辿り着けなかった、、、。

 

まあ、そんなこんながありましてですね、、、。

「ウラジカフカース行きの切符を持っているのに、辿り着けない」という無念な感じが、トルストイと夢の中の自分とでほんのりシンクロしていましてですね、、、。

偽りでない生き方へ回帰しようとしてウラジカフカースを目指す、そして切符を手に入れているのに辿り着けない、、、、。

 

まあ、そんな感じです。

 

とにかく、ウラジカフカースという場所へ行けば「新しい生がある」というか、なんかそういう希望みたいなんが背景にある訳です。ということで、ボリス・パステルナークの第五詩集『第二誕生(Второе рождение)』のなかから、ウラジカフカースという言葉が出てくる詩の一部を抜粋で↓

 

Здесь будет облик гор в покое,
Обман безмолвья; гул во рву;
Их тишь: стесненное, крутое
Волненье первых рандеву. 

 

Светало. За Владикавказом
Чернело что-то. Тяжело
Шли тучи. Рассвело не разом.
Светало, но не рассвело. 

 

(日本語訳)

 

ここに静かなる山岳の相貌があるだろう、

沈黙のたぶらかし、要塞濠の鈍いざわめき。

そして山々の静けさ。はじめてのあいびきの

胸しめつけられる、はげしい興奮が。

 

夜が明けて行く。ウラジカフカースの背後で

黒ずむものがあった。黒雲たちが重々しく

進んでいった。一斉に夜が明けるのではなかった。

明るくはなったが、まだ夜明けではなかった。

 

(工藤正廣訳『第二誕生 1930-1931』未知谷、2006年、14-15頁。)

 

パステルナークの第五詩集『第二誕生(Второе рождение)』の冒頭の「波(Волны)」という詩の第4節の最初の2連です。(全文はこちら

この詩は本当は非常に長くて、1連4行が71連続く、12節に渡る長編です。

 

未知谷の工藤先生の翻訳はこちら↓

第二誕生 1930‐1931 第二誕生 1930‐1931
2,159円
Amazon

 

パステルナークは自身の創作と生活の危機の時代にグルジアを旅しました。それは終世続くグルジア詩人たちとの交遊の始まりでもあったわけですが、その結実として生まれたのがこの第五詩集『第二誕生』です。つまりグルジアという場所はまさにパステルナークにとって第二の誕生の場所。(ほんとは他に女性問題やらなんやら、色々あるのですが、、、。)

 

パステルナークのグルジアへの旅は、グルジア詩人パオロ・ヤシュヴィリに招かれての旅でした。

『第二誕生』の冒頭を飾る「波」という詩は、ヤシュヴィリが彼を黒海に面したグルジア南東のコブレーティ(コブレチ)の海岸へ案内した時のこと、同行したグルジアの詩人チコバニによると、パステルナークは彼の目の前で、この詩をすらすらと書き始めたという話です。まあ、その場で全てが書かれたわけではないでしょうが、この「波」の韻律は、まさにコブレーティの砂浜に打ち寄せる波の響きと共に、パステルナークの内に湧き起こってきた、まさに第二誕生のリズムなのでしょう。


パステルナークの詩の醍醐味は、なんといってもその言葉の響きの、陶酔的なまでの圧倒的美しさにあると思いますので、せっかくなので、「波(Волны)」の全文の朗読を↓

 

で、この詩の中で描かれているのは、まず波の情景、そして途中からはパステルナーク自身のグルジアへの旅の道程です。モスクワから列車でウラジカフカースへ。そしてウラジカフカースからグルジア軍用道路をトビリシへ向けて車で南へ南へ。ウラジカフカース、ダリヤール渓谷、ムレーティ、十字架峠を越えてカズベキ、(嗚呼、、カズベキ!!)、、、。そしてトビリシからはコブレーティ海岸、アジャール山麓、、、。この道程が描かれているわけです。(まあ、その道程に色々と重なり合っていて、とてもややこしくはあるのですが。)

で、上に引用した2連はその道程の始まり、第4節の最初の2連、カフカースへの入り口のウラジカフカースだったわけです。

 

ということで、パステルナークの『第二誕生』でもウラジカフカースは第二誕生への道のりの出発点。

それこそ、ウラジカフカースにさえ到着したら、Второе рождение、第二誕生なわけですよ!私もトルストイもパステルナークも(笑)。そこから、新しい生が始まるはずだったんです。

まあその時、ウラジカフカースは到着点なのか、そこからさらにどこかへ行くのかはわかりませんが。

 

そのウラジカフカースに、夢の中で私は辿り着けなかった、、、、、、

そういうお話でした。。。。

 

なんか、今日もまたワケの分からないことばかり書いてしまいましたよ。。。

しかも、めっちゃ長くなってるし、、、。ごめんなさいまし。。。

 

せっかくなので、(きっと全くもって需要がないであろう)オセチア文学やオセット語、オセチア文化の紹介なども(それ程詳しいわけではありませんが)したかったのですが、長くなってしまったのでまたの機会に。

だめ人間さんのわけのわからないオセチア愛なんかも、いつか機会があれば語るでしょう。

それでは、皆様、御機嫌よう。。。。

 

ラングドックについて、どんどん書こうと思っていたのですが、今日はちょっとまた別の話を。。。

 

というのも、もう返してしまって手元にないのですが、先日図書館でこの本を借りまして、、、↓

 

昨年末に出たアルメニアに関する本なのですが、図書館でもずっと貸し出し中が続いていて、なかなか借りられず、予約待ちでやっと先日借りました。(そしたらまた、私のあとに予約が2件も入っていたし!!)なんか非常に評判が良いようです。

これが、借りて見てみるとほんとに良い本でしてね、、、、。オールカラーで写真は綺麗だし、内容も充実していて、もの凄く面白い1冊でした。これは、余裕がある時に自腹で買わなければ、、、。

 

(中身はこんな感じ↓)

 

たまたまなのですが、今年に入ってから、新刊でアルメニア本が出ている事をネットで知りました。(注:だめ人間さんはだいぶコーカサス好きです)で、調べてみると著者がグラント・ポゴシャンというアルメニア駐日大使。

ところでですね、、、私が唯一直接知っているアルメニア人というのが、大学時代の先生なのですが、ポゴシャン先生という方でした。で、駐日アルメニア大使グラント・ポゴシャンという名前を見て、「なんや、ポゴシャンさんってよくある名前なんかいな??」と思いきや、、、、。

 

いやいや、、、ご本人。。。

 

いつの間にアルメニア駐日大使になられたのやら、、、

大学時代にお世話になったポゴシャン先生ご本人じゃありませんか!!!

 

ポゴシャン先生、以前は三鷹の某大学の大学院長だか理学科長だかなんだかをしておられました。そして、だめ人間さんは(何をトチ狂ったのか)最初に行った大学での専攻は理学で、物理なんぞをやっていたことがあったりしましてね、、、(苦笑)。

情報科学のプロフェッサーだったポゴシャン先生には直接教わってはいませんでしたが、大学の理学館でのイベントなどでいつもお見かけしていましたし、なにより実は私はポゴシャン先生の独特のおおらかな空気が好きで、隠れファンだったんです。(だめ人間撮影の秘蔵ブロマイドも持っています(笑))

 

そんなポゴシャン先生、大学教授職から退いて2017年から駐日アルメニア大使におなりになったようで、、、。ネットなどで少し検索してみても、大変ご活躍なさっている様子がわかります。

 

まあ、そんなだめ人間の想い出バナシはどうでも良くて、、、、

 

今回、ポゴシャン先生の本で、初めてアルメニアについて多くのことを知りました!

というか、アルメニア、舐めていました、、、。アルメニアがあれ程までに歴史の古い国だとは!!!

首都のエレヴァン、なんと建都2800年ですって!!!(めっちゃ古いやん!!)あのグルジア文字並んで可愛らしい独特のアルメニア文字、成立は405年ですって!!!(日本の仮名文字なんかより、よっぽど古いやんか!!!)

しかも、バイロン卿はアルメニア語を勉強して挫折していたとか、etc.etc...。嗚呼、私って何も知らなかったのね〜、、、と自分の無知に恥じ入りましたよ、、、。というか、こういう全然知らなかった文化、自分にとって新しい世界を見つけると嬉しくてたまりませんね。

 

嗚呼、、アルメニア、、、。。。

アララト山の国、、、アルメニア、、、。

 

サヴァール&エスペリオンXXIですが、アルメニアの民族楽器ドゥドゥク↓

(ドゥドゥク、音色が魅力的すぎる、、、)

 

ところで、アルメニアの音楽家といったら、まずはコミタス・ヴァダペット。

そして、アルメニアの演奏家といったら、シベリウス・ヴァイオリンコンクールの覇者セルゲイ・ハチャトゥリアンにチャイコフスキーコンクール(チェロ)覇者のナレク・アフナジャリャン。

 

ということで、2人のコミタスの演奏を貼っておきます↓

ピアノはセルゲイ・ハチャトゥリアンの伴奏をいつも務めているお姉さんのルシーネ・ハチャトゥリアン。

セルゲイ&ルシーネ・ハチャトゥリアンは、数年前にコミタスやアラム・ハチャトゥリアンなどのアルメニアものを集めた録音もnaïveから出しています↓

Various: My Armenia Various: My Armenia
1,314円
Amazon

 

youtubeで聴けるようになっていました↓

 

セルゲイ・ハチャトゥリアンのヴァイオリンは、ショスタコの協奏曲で初めて聴いてから、独特の雰囲気と個性ある音色に結構ハマっていたこともあるのですが、naïveレーベルが危うくなってから新しい録音などが全く出なくなって、とても寂しく思っています。。。

(彼のバッハの無伴奏の全曲集は、めっちゃお気に入りです。)

 

話が飛んできたので、アルメニアネタはここまで、、、。

とにかく、もしアルメニアに少しでもご興味がおありの方、おられましたら是非ともポゴシャン先生のアルメニア本を手に取って見て下さいませ♪

(というか、今日アルメニアネタだったのは、最近ラジオ(France Culture)の国際ニュースなんかでエレヴァンのデモ等話が耳に入ったりしたもんで、、、。)

 

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ということで、コミタスを聴きながら、今日はこちらのコーヒーを頂いております↓

毎度お馴染みの、兄上の出張土産コーヒーシリーズ(笑)。

今回はベトナムでした。

 

ハイランズコーヒーという、ベトナムでは有名な大手コーヒー店の「クリ・ロブスタ」という種類。というか、ハイランズコーヒーはHPが日本用のHPがあって、日本でも手に入るようです。(こちら

 

ベトナムコーヒーって独特の甘みがあるじゃないですか。

あれって砂糖とかではなく、焙煎でバターを使うからなんですよね。バターロースト豆。

ロブスタ種の豆をベースにバターでじっくりローストして、独特の香りと甘みを付けた豆、それをベトナムコーヒー用の金属製フィルターで淹れて、コンデンスミルクで頂く、、、。たぶん、それが正統的な所謂ベトナムコーヒーの飲み方ですよね。

 

で、この「クリ・ロブスタ」(粉です)もばっちりバターローストなんですが、普通のペーパードリップで淹れています。。。(^_^;)

バターロースト、普段買わないし、好んで飲むものではなかったのですが、このハイランドコーヒーを飲んでると、、、、クセになるんですよ!!!なんか、中毒性がある美味しさ、、、。あかん、、、ネットで購入してしまいそうです、、、、。

ペーパードリップで淹れるなんて邪道なんでしょうが、、、なんか、めっちゃクセになります!!(新しい世界が拓けてしまった、、、。)

独特の苦みに甘い香り、、、。美味しい!!!

 

ちなみに、お隣のめっちゃ可愛いくるみクッキーは兄嫁から。

全然知らなかったのですが、西光亭というお菓子屋さんのクッキーだそうで、ホロホロのクッキー(●´ェ`●)。めっちゃ美味しかったです!!

 

というか、先日兄夫婦が京都にやって来まして、去年末に生まれた長女を連れて来てくれました。初めての姪っ子とのご対面、うちの老父からしたら初孫との対面、、、(*´艸`*)

めっちゃ可愛かったです〜❤❤❤

ただいまフランス語強化中だめ人間です。。。なぜなら、、、先日手に入れたオック語のアシミールでオック語に浸りたいのですが、そこは流石にフランス語の方がおろそかでは、、、というだめ人間なりの罪悪感がありまして、、、。オック語のアシミールを眺めながら、早くオック語にかかりきりになれるようにと、とりあえず多少罪悪感が和らぐ程度までとフランス語の強化に力を入れ始めたという訳です。。。(オック語効果、なんか間接的ですが凄い威力です(笑))

で、最近は暇さえあれば、iphoneアプリでFrance Culture(ラジオフランスの文化放送)を聴いているのですが、、、。

 

昨晩は、トッシー・スピヴァコフスキーの未発表音源のニュースに興奮して、深夜に本館ブログを更新してしまったため、大変夜更かししてしまいました。で、いつもの通り、寝る前にお布団の中でちょっくらFrance Cultureを聴いて寝ようとしていたのですが、、、。ゲストのインタビューが始まったのが、同時通訳だから聴き取りにくいな〜と思っていたんですが、、、。同時通訳のフランス語の後ろから、と〜っっても美しい言葉が聴こえてきましてね、、、。

ああっっっ、、、これは、、、私の大好きな、、、ハンガリー語、、、(●´ω`●)ゞ

 

あまりに美しいハンガリー語に、どうしても耳がそちらへ、、、、うっとり気を取られてしまって、全然フランス語が耳に入らなかったのですが、「一体誰が話しているんだ??」と思ってちゃんと聴いてみると、なんと!!

 

なんと、ゲストはハンガリーの作家、ラースロー・クラスナホルカイだったのです!!

 

すっかり夢中になってしまい、結局番組が終わる明け方5時までがっつり聴いてしまいました、、、。(おかげで今日一日すっかり寝不足、、、。)

 

ラースロー・クラスナホルカイ、ハンガリー風に表記するならクラスナホルカイ・ラースロー(Krasznahorkai László)。1954年、ハンガリーの一番南東、ベーケーシュ生まれ。京都を愛し、2度京都に暮らしたこともある、現代のハンガリーを代表する大作家。巧みで独特のムードを持つ言葉によって、深く深く、読者を巻き込んで行くような磁力を持った、独自の世界を持つ、現代の世界屈指の作家です。

私は、彼はいつノーベル文学賞を取ってもおかしくない人の一人だと思っています。

 

クラスナホルカイのHPからお借りして来ました↓)

(かっこいい、、、(●´ェ`●)ポッ)

 

日本では多分まだほとんど受容がありませんが、多少有名だとするならば、ハンガリーの巨匠タル・ベーラ監督との関係でしょう。『倫敦からきた男』や『ニーチェの馬』の脚本に関わっているのと、あと、マニア垂涎の伝説のタル・ベーラ監督超大作、『サタン・タンゴ』の原作は、クラスナホルカイ。(「サタン・タンゴ」はクラスナホルカイの一応代表作でしょう。)

 

まあ、知ったようなことを書いていますが、私も彼のことはほとんど知りません。

日本語訳が出ている本が1冊だけあって、早稲田みか先生が翻訳なさっていたので、一応知っていましたが、他の彼の代表作も全く日本語訳されていませんし、邦訳が出たら読みたいな〜、くらいに思っていたもので、彼の代表作もほとんど知りませんし、もちろん読んでいません。

 

(日本語があるのはこちら1冊↓。京都が舞台の不思議な空気のお話です。)

 

で、昨晩France cultureでまるまる1時間もクラスナホルカイ特集だったわけですけど、何故かといいますと、先月新しく彼の著書のフランス語訳が発売されたからだそうで。

一体何の本の翻訳かというと、こちら↓

Seiobo There Below Seiobo There Below
 
Amazon

(これは英訳版です)

 

「Seiobo there below」、、、

Seiobo、、、セイオウボ、、、。

 

この英訳版は翻訳賞まで貰った良訳で、既に独語や西語にも訳されていたそうですが、ついに先月仏語訳が出たとのこと。

 

で、私も全く知らなかったんですけどね、、、この本。

 

で、、、「Seiobo」ってなんだと思います??

はい、「西王母」です!

フランス語では題は「Seiobo est descendue sur terre」。

「地上に降りて来た西王母」です。

 

西王母といえば、お能の「西王母」。京都好きクラスナホルカイもきっとお能の西王母をモチーフにしている筈。これは、、、読みたい、、、。

 

なんか、ラジオでは新しい仏訳を朗読したりもしていましたけど、めっちゃ私が好きそうな感じ!!!読みたい!!!これはほんとに読みたいじゃないか!!!

 

ということで、先ほど、さっそくお取り寄せで注文してしまいましたよ、、、(ノ_-。)

フランス語版は何故か紀伊国屋で値段が異様に高かったので、英語版で、、、。(仏語も欲しい、、、)

嗚呼、、、でもこんな本を読んでいる暇なんて、あるのだろうか、、、

というか、よんでちゃダメでしょ、、、。。。

(TωT)。。。誘惑に弱いだめ人間です。。。

 

ただ、情けないな〜と思うのが、クラスナホルカイみたいな作家が日本でほとんど紹介されていないと言う事。

クラスナホルカイのHPを見ると、ほんとに世界中の言葉に訳されていて、近日刊行予定のところをみると、更に色んな言語にじゃんじゃん翻訳されているのに、、、日本語が一つもない、、、。しかも、この人こんなに日本好きなのに、、、。

なんか、情けないなぁ、、、。

 

まあ、ノーベル賞さえ取ってくれれば、じゃんじゃん日本語の翻訳も出るんでしょうが、それはそれでまた軽薄なんですよね〜、、、。

う〜ん、、、。

 

まあ、それはそうと、最後に一つだけ、動画を!!

 

この動画(↓)を見て、私はこの人のことが、すっかり好きになりました。

なんかもう、本当に好き。

2015年の国際ブッカー賞の受賞スピーチです。

英語は得意じゃないから、と用意して来た原稿を読み上げる形で、それも謝辞を捧げる人達の名前を挙げて行くだけのスピーチなのですが、これがもの凄くいい!

 

自分の先生や身の回りの人たち、奥さんや家族や友人、お世話になった人達と、全く同列にカフカやドストエフスキー、ハンガリーの詩人たち、アレン・ギンズバーグやバッハ、エマ・カークビーetc.etc....の名前が挙がります。それが、わざとらしさもなにもなく、まさに、ギンズバーグも実際の友人も、彼にとっては同じように「親密で」「リアルな」存在のなんだろうと思いますし、そういう在り方というのは私にとっても非常なリアリティがあります。(私も研究室で顔を合わせる人達なんかより、よっぽどエリオットやシューベルト、バルトークやパステルナークのほうが、旧知で親密でリアルな人達だと日々感じていますし。)

 

いろんな「Thanks To」の宛先となる人達の名前を挙げていって、人によってはいくらかの説明や彼の思いを付け足して、ただただ列挙して行くだけ。それなのに、非常に美しいんですよね。詩的な美しさがあります。ギンズバーグの名前が挙がっているって書きましたけど、この献辞の読み上げ方、まさにギンズバーグの詩なんかを思わせるところがありますよね。

 

そしてさらに、謝辞の宛先には、個人の人間だけでなく、彼の愛する「京都」という街なんかも挙がります。(なんか、凄く嬉しい。:゚(。ノω\。)゚・。 )

最後の締めくくりには、「自然に」、「覚者・シッダールタ王子に」、「ハンガリー語に」、そして「God」に。

 

まあ、ここで列挙されている名前等を見れば、クラスナホルカイの好みというか、キャラクターが一目瞭然でもあると思いますので、もし、ご興味をもたれた方がおられましたら、是非英訳ででも読んでみて下さい♪

 

これとか↓

War and War War and War
 
Amazon

 

これとか↓

 

これとか↓

The World Goes On The World Goes On
 
Amazon

 

それにしても、昨日の彼のハンガリー語、めっちゃ美しかった。。。

。・゚゚・(≧д≦)・゚゚・。

(一応、昨日のFrance CultureのHPはこちら

 

それでは、おやすみなさいまし〜!!

 

一昨日、今年度で退官なさる我が研究室の主任教授の先生の研究室の蔵書整理をお手伝いして来ました。

 

その日はちょうど12時から読書会だったのに(しかも担当)、前日にブログでオック語愛なんかを語り出してしまったもので、予習はギリギリ。。。夜中(明け方?)まで予習するも難しくて間に合わず、朝起きてからは食事はおろか珈琲も飲まずに続きの予習をして、そのまま大学へ。そしてなんとか読書会が終わったらその足で蔵書整理のため先生の研究室へ向かいました。そこからは先生と私とOBの先輩1名(現役の院生は何してるんだか、、、)の3人で、1時半から5時半頃までノンストップ蔵書整理。

ダンボール箱約70箱つくりましたよ。。。いや〜、、、頑張った!!おかげで、全ての書棚が片付きました!!

 

それがですね、、、だめ人間さんってのは実は地味に筋トレがお好きでして、、、。今回も、久々に筋肉に良い刺激だぜ〜♪みたいな気持ちでやっていたのですが、、、翌日になっても今日になっても筋肉痛にならない、、、。なんでだ?!!

筋トレをする人なら解ると思うんですが、筋肉痛になるのって嬉しいんですよね〜、、、。そして筋肉痛にならないのって、成果が出ていないんじゃないかと、非常に不安なんですよ。

 

70箱近く本を箱詰めして、他にもコピー機を院生用研究室に運んだり、電化製品を廃棄物置き場へ運んだりetc...色々していたんですけどね〜、、、、。嗚呼、労働は筋肉とならず、、、

 

ところで、先生の部屋の蔵書ですが、これまでもすでに院生やOB・ODが来て、欲しい本や院生用研究室に置く本を頂いていったりして少しづつ整理をしていたようですが、一昨日はもう学期末でしたので、本棚全てを整理してしまわなければなりませんでした。

 

ということで、欲しい本があればいくらでもどうぞと言われていたのですが、、、、。もうなんか本まみれなもんで、冷静な判断も出来ず、「もういいや、、、。」って気になってしまい、貴重な本もみんな箱詰めしてしまいました。。。。それに、主任の先生はドイツ系(私はフランス系)で、蔵書の多くががっつりドイツ系だったので、私の手に負えないレベルだったこともあり、あまり価値を判断できなかったり、、、。

 

とはいえ、そんななかでも、段ボール3箱強分くらい本を頂きましたけど↓

いやはや、、、

ほんとになんともやるせない思いです。

何がやるせないかと言いますと、今回私が整理した先生の研究室の蔵書、実はそのほとんどが我が研究室の先代、先々代の(著名な)先生がたの蔵書コレクションだったんですよ。。。代々の先生がたの蔵書に今の先生の蔵書も加わり、、、という形で出来上がった、貴重な(本気の)研究書ばかりの蔵書。それを、全部専門書店ではない業者に、処分同然の形で引き渡したのです。。。

 

情けない、、、。嗚呼、、、情けない。。。

 

学会誌なども何十年も前のものからずっと揃えてとってありましたが、それも全部処分、、、。

代々の先生方が揃えて来られた貴重なライブラリーなんです。こういうのは、研究室の財産、我々の貴重な財産なんじゃないですか??!!本来なら院生の研究室ででもちゃんと管理して引き継ぐべきものだと思うんですよ。現に先々代の先生の蔵書は○○先生蔵書目録といって、先輩がたが目録を作って下さっていたりもしました。それをですよ!!!その蔵書を全部今回処分した訳です。。。嗚呼、、、もう、なんか、もう腹が立ってね、、、。

 

一緒に作業していたOBの先輩は「今の院生はもう皆価値が解らないから仕方がない。それにうちの研究室の伝統と歴史が重すぎて、誰も背負えないんだ」って仰っていましたけど、、、。そんな、、、もしその通りなら、もう、我が研究室の伝統ももちろんこれで終りだし、一応国立大学の誇りある研究室、、、言うならば一つの日本の知性の終りでもあるわけじゃないですか、、、。世も末です。。。もうワタクシは未来に何の希望も持てなくなっております。。。

 

去年とかも、院生用の研究費が多少あるからって、研究室用の書籍購入とか言って色々と本を買っていましたけどね、、、。専門書でも普通にお金さえ出せば手に入るような本ばっかり買ったって、たいした意味ないですよ。学内の図書館にでもあるでしょ、そんな本。そんな本より、歴代の先生方が国外も含めて色んな所から手に入れて揃えて来られた、古くて汚いかもしれないけれど貴重な価値ある蔵書を引き継いで管理して行くほうが大事なんじゃないですかね。研究室が狭いから置けないとかいって引き取らなかったりもしたみたいですけど、普通に手に入るような本なんか研究室に置くなよ!!って思ってしまったり、、、。まあ、こういうだめ人間さんの考え方は少数派の意見で、煙たがられるだけですし、だめ人間さんを完全なる人間不信に仕上げて下さった今の研究室の人達とは、一応今年度で晴れてお別れなんで、もうどうでもいいですけど。。。

 

でも、やっぱりほんと情けないし、悲しいです。。。。先生にも申し訳なく思います。。。

 

というか、一応だめ人間さんはこの4月からはついに大学院生ではなくなってしまいます。。。オーバードクター。。。そして名ばかり非常勤講師、、、。(給料ほとんど無し、、、)。

嗚呼、、、(涙)。。。

 

一応、京都は今桜が満開です↓

毎日、ぽかぽか陽気で良いお天気に、随分早い桜の開花、、、。

毎度のことですが、この季節が一番憂鬱でございます。。。

 

うらうらに 照れる春日に ひばりあがり

心悲しも ひとりし思へば 

(万葉集 4292)

 

 

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愚痴ばっかりになるのもなんなんで、気を取り直して、少し現実逃避を、、、

 

今日は昨日図書館で受け取って来たこちらの本(↓)をぺらぺら見ていたのですが、異様な程面白くて困っております、、、。

 

去年再版された新装版が図書館に入っていたので、借りてしまいました。。。

(新しく新装版のための訳者あとがきがついています。)

なんかもう、、、個人的に長年抱えていた色々な疑問がすっきり氷塊しすぎて怖いくらいです。。。個人的には大歓迎ですけど、、、果してこれでいいのか?!!

久々の別館ブログ。本当に久しぶりです!

 

久しぶりのアップなのに、非常にマニアックな話になってしまってなんなんですが、、、、

 

本館ブログでもたま〜に口が滑ってバラしたりしていましたが、だめ人間さんは一応文系研究者のぴよっこで、専門はフランス関係です。ですから、一応、日本語の次によく触れるのはフランス語(のハズ、、、)。

それにも関わらず、自他ともに認める大のフランス嫌い。もちろんフランス語も大っ嫌い。(そもそも語学は苦手、、、)。フランスという名前がつくだけで、何もかも嫌、、、(涙)。(ごめんなさい、ごめんなさい、、、、。)

フランス系のクセにフランス嫌いとか豪語するあたりも、なんかフランスっぽいメンタリティーを感じてしまって、そんな事を言ってしまう自分も嫌、、、(笑)。

 

けれども、、、まあ、専門がね、、、フランス関係なので、嫌いじゃ済まないんですよ。。。

自分からフランス語やフランス文化に触れて行かないと、どうしてもいつまでたっても素人、、、。

ところが、フランス嫌いだめ人間さんはフランス文化になんか触れたくもないという致命傷、、、(涙)。

 

そこでですね、、、

苦肉の策といいますか、なんといいますか、、、。

 

一つの逃げ道なんですが、、、、

フランス内部の反フランスというね、、、。つまり、反中央フランス、、、、反北フランス。。。

 

ええ、、、どういうことかと言いますと、だめ人間さんは、、、南仏贔屓なのです!!それも、「太陽いっぱいプロヴァンスの花畑♪」が好きな訳ではなく、対北フランス(およびフランス語)の「南仏語」圏(オクシタン、ラングドック)がお好きなんです!!!

はい、南仏語。これ、一応私の趣味の一つです(苦笑)。。。

 

俗ラテン語の一派であるフランス語、元々は大きく分けて北フランス語(オイル語)と南フランス(オック語)の二種類がありました。オイル語、オック語というのは、ダンテの俗語論の分類にありまして、英語なら「Yes」に当たる肯定を現す副詞が「オイル(Oïl)」か「オック(Oc)」か、という分類です。(ちなみにイタリア語は「Si」ですよね。ダンテの俗語論ではOïl、Oc、Siの3つの分類がされています。ちなみに、ラテン語のSicとかHocとかの訛りです。)で、オイル語の「オイル(Oïl)」というのが所謂今のフランス語の「ウィ(Oui)」になるワケで、現在のフランス語というのは北フランスのオイル語なんです。

 

で、ですね、私はというと、オック語の愛好家なわけです∵ゞ(´ε`●) ブハッ!!

(現代フランス語、及び北フランス文化が嫌いすぎてか、それに対向する南仏語が好きってことになるのでしょうか(苦笑)。)

 

ところで現在、南フランスに行くとそこの人達はオックを普通に話しているのかといいますと、ほとんど話してはおりません。オック語(ラングドック)及び南仏文化というのは、12世紀に北フランス、オイル語文化圏の人々(とローマ・カトリック教会)によって、徹底的に破壊され、根こぎにされた文化及び言葉なんです。

それだけではありません。なにより(ご存知の方も多いかと思いますが)フランスというのは悪名高いフランス語インペリアリズムとも呼ばれるように、アカデミー・フランセーズによる言語統制といいますか、地方言語の抑圧で有名です。戦後になってようやく地方言語&文化への暴政が明るみに出て、それに対する反省が(やっと)少しづつ起って来たという状況。ですから、オック語も、地方に残ってたとしても、ずっっと長きにわたって、表では「フランス語」を話し、書くように強要され、オック語という土着の言葉は恥ずべき物のように扱われ続けていたわけです。

(舞台は異なりますが、そんなフランス語インペリアリズムによる、非中央フランス語圏の人間の歪んだアイデンティティをシニカルに描いたのが、ラングドック出身のドーデの「最後の授業」だったりするわけですけどね。)

 

なんでまた、いきなりこんなお話を始めたかといいますと、、、、

 

昨日、フランスのアマゾンからこちらが届きまして、、、↓

、、、やっちまったぜ、、、、。

衝動買いしてしまいました、、、。

これ、2014年に新しくでた現代オック語の教材です。

 

アシミール(Assimil)というのは、フランスで昔からある大手語学教材メーカーで色んな言語があるし、フランスだけでなくドイツや英語圏etc.でも展開している有名なところです。そのアシミールが2014年にオクシタン(オック語)の新しい教材を出しましてね、、、。

 

(出たときの(オック語の)特集番組。↓)

これ、フランス語で字幕が出ている部分、全部オック語です。(この中で出てくるグザビエさんのオック語、めっちゃ理想的に美しいと思います。)

 

いや〜、これ14年に出た時からずっと狙ってたんですよ、、、ほんと、ずっと欲しかったのは欲しかったんですけど、、、現代のオクシタンを勉強したって、1ミクロンも何の役に立たないし、何とか我慢していたんです、、、。(愛用の古オック語の教科書があるし、、、)

でもですね、、、先日フランスのアマゾンで自分の専門関係の本をいくつか注文するのに、ついつい誘惑に負けてポチってしまいました、、、。ええ、きっとストレスからの衝動買いでしょうね(笑)。。

 

でも、届くのにまた時間がかかりましたよ、、、。到着予定はゆうに超えているし、、、。フランスのアマゾンはイギリスやドイツと比べても、いっつも遅いんですよ、、、。だからフランスのアマゾンは使いたくないんだ!!!(出たっ!フランス嫌い(苦笑)。。。)

 

それにしても、、、

これ、、、↓

パッケージを開けると、テキストとCD4枚にmp3が入ったCD1枚というたっぷり音声付き、、、。綺麗なオック語発音聴き放題!!嗚呼、もう幸せです!

 

テキストの中はこんな感じです↓

うふふふふふ、、、(*´艸`*)

 

で、先ほどの私の口調だと、単なる対北フランス、反中央フランスでラングドック贔屓なんて言っているように聞こえるかも知れませんが、決してそうではありません!!

 

ラングドックという言葉自体が、もの凄っっっく魅力的な言葉なんです!!

 

先ほど少し触れたダンテの俗語論の3つの分類に出てくるように、中世の頃は南仏全土はラングドックの文化圏でした。そして、むしろ北フランスのオイル語圏よりも先に華々しく文化が開花したのは、南仏のオック語文化だったのです。

例えば、ルターが聖書をドイツ語に訳する300年以上前に、南仏では俗語であるオック語訳の聖書が既に流布していたそうです。(←すごいでしょ?!)そして、当時のヨーロッパ文芸の最先端はオック語文学と言っても過言ではない!!

つまり、時代はダンテより前、ルネサンスの前です。イタリアの俗語で開花するルネサンスより一足先に同じラテン語の俗語であるオック語で、非常に高度な詩法を有した文芸が花開いたのです。その一番の実りが、所謂トルバドゥールの詩です。

 

トルバドゥールというのは、南仏語であるオック語という俗語で詩作し歌う人達をさします。

(対してミンネゼンガーは同じような存在ですが、ドイツの吟遊詩人。トロヴァールはトルバドゥールの影響を受けて北フランス語圏(オイル語圏)に現れた人達です。混同してはいけないのは、トルバドゥールというのは宮廷歌人であって、所謂ジョングルールやミンストレルのような旅芸人の一派(一種の非差別職)とは異なるということ。)

 

で、ですね、、、私の一番の趣味、、、私の一番の趣味は「詩」です。(クラシック音楽じゃないんですよ!)世界中の詩の韻律を味わいつくすこと、これが私が一生の趣味としてしていることです。(古典的な意味ではこれも「音楽」の定義に入りますけど。)色んな言葉に手を出すのも語学が好きなわけでは決してなくて、全て詩を朗読して韻律を味わうためです。リートに手を出したのだって、もちろん詩の朗読の延長。最初にイタリアオペラにハマったのも、実はリブレットから(笑)。ハンガリー語だろうがフィンランド語だろうが、現地に旅行に行きたいからなんて理由は1ミリもありません。(そもそも外出が好きじゃないし。)ただただ、その言葉で書かれた詩を、韻律を味わいながら声に出して読みたいからです。

 

ということで、オック語だってもちろん例外じゃありません。オック語の詩は、、、、もうほんと、、、、美しいんです、、、。:゚(。ノω\。)゚・。 

 

もっと他に挙げたい詩はいっぱいありますが、とりあえず今日は、オック語で書かれたものの中で(たぶん)最も有名な詩、ベルナルト・デ・ヴェンタドルン(Bernart de Ventadorn、フランス語ではベルナール・ド・ヴァンタドゥール)の詩を挙げておきます。

「Can vei la lauzeta mover」という詩で、古楽でもよく取り上げられるのですが、そのときは「雲雀の渡りを見た時」とよく日本語訳されています。

 

ヴェンタドルンの詩自体はもっと長いのですが、最初の3連だけ。

(参考に翻訳を付けておきますが、大学書林の瀬戸先生の訳で、語学的正確さを優先したものなので、色々ご自身で補って読んでみて下さい。)

 

Can vei la lauzeta mover

De joi sas alas contral rai,

Que s'oblid' e・s laissa chazer

Per la doussor c'al cor li vai,

Ai! tan grans enveya m'en ve

De cui qu'eu veya jauzion,

Meravilhas ai, car desse

Lo cor de dezirer no・m fon.

 

(ひばりが 喜び勇んで

太陽の光に向かって 羽ばたくのを見るとき

心のなかにつきささるような 甘美さに

われを忘れて ひばりが墜落するにまかせるとき

ああ なんという嫉妬の念が 湧き起こることか

喜びにひたっている人を見ると それが誰であれ

われながら不思議である すぐにでも

この心が 欲望で溶けさってしまわないのが)

 

Ai, las! Tan cuidava saber

D'amor, e tan petit en sai!

Car eu d'amar no・m posc tener

Celeis don ja pro non aurai.

Tout m'a mo cor, e tout m'a me,

E se mezeis e tot lo mon;

E can se・m tolc, no・m laisset re

Mas dezirer e cor volon.

 

(ああ 愛については 知っていると

思っていたのに 何と知らなかったことか

愛を抑えることが できないのだから

愛しても 得にならないであろうひとにたいして

彼女は私から心を奪い 自分を奪い

そして私自身と またすべての人を奪ったのだから

そして私から彼女自身を奪って 残したものは

ただ欲望と 燃える心のみ)

 

Anc non agui de me poder

Ni no fui meus de l'or' en sai

Que・m laisset en sos olhs vezer

En un miralh que mout me plai.

Miralhs, pus me mirei en te,

M'an mort li sospir de preon,

C'aissi・m perdei com perdet se

Lo bels Narcisus en la fon.

 

(それからは自分で自分を 抑えられなくなった

あのとき以来の ことだ

あのひとが私を 私の眼でもって

私の大好きな ひとつの鏡のなかにみせてくれて以来

鏡よ おまえのなかに 私は自分を見たあと

深い深い溜息が 私を殺したのだ

そして私は自分を失ったのだ 美しい

ナルキッソスが泉で 自分を失ったように)

 

(本当はテキストの異同や表記法の違いなどややこしいのですが、オック語の原文は私の愛用のオック語と英語の対訳、Lark in the Morning, The Verses of the Troubadours, Robert Kehew (Ed.), The University of Chicago Press, 2005 を使っています。瀬戸先生の訳は瀬戸直彦編著『トルバドゥール詞華集』大学書林、2003年に収録。)

 

せっかくなので、歌っているものを、、、↓

(ヴェンタドルンは楽譜が残っていて、音楽も復元できるものがいくつもあります。)

(発音はなんかちょっと違和感を感じる部分もありますが、細かい事はおいといて、、、)

 

どうですか??信じられないくらい美しくないですか??!!

やっぱりヴェンタドルンの歌なんかは、美しい男声で聴きたいものです。しかもこの旋律、、、。

というか、オイル語(フランス語)と全然違うでしょ???

 

比較対象に困るなら、ひとまず、ギョーム・ド・マショーとでも比較してみて下さい。

ギョーム・ド・マショーは1300年生まれで時代は少し下りますが、トルバドゥールの北フランス版とも言えるトロヴァールの末裔みたいなもんです。

 

そして、押韻の美しさに気付いて頂きましたか??

北フランスそして、イタリア(ダンテ以前なんでね)より先に、初めて押韻した俗語というのはオック語なのですよ!!しかも、ラテン語での果てしなく高度な詩論(と修辞学)の研鑽以後のオック語の押韻には、モダニズムを経た現代の我々が見てもびっくりするような高度な詩法や押韻法がたくさんあります。(この辺がだめ人間さんのハートを鷲掴みなところです(*´艸`*))

 

(ちなみに、私としては第2連目の豊かな母音の使い方なんかクラクラきます。そして、それを受けての第3連目で畳み掛けるように、激しめの子音を重ねて来るあたり、心臓がえぐられる感じというか、、、もう鼻血が止まらないレベルです。。。しかも、内容とぴったり一致してるし。。。嗚呼、、、。)

 

今日はこれ以上はもうやめておきますが、オック語の魅力「その1」としては、その(特に中世の)文芸の豊かさということ。

ただ、(特に中世の)オック語文学の為ということであれば、古オック語だけやっていればよいわけで、現代オック語なんて手をだす必要はないんですよ。で、私も今までずっと、現代オック語には(ほとんど)見向きもせずに、古オック語だけを見ていたわけです。

 

でもですね、、、

はい、ここで、オック語の魅力「その2」に繋がってきます。

 

オック語の魅力「その2」は言葉自体に関することです。

 

私がオック語という言葉が大変好きである理由として、まず第一に現代のフランス語と違って、ラテン語と同じようなアクセントがあること。(←ほんとコレ!!)

そしてさらに言うならば、伊語や西語とは違う母音をもっているということ。

つまり、その言葉自体、特にその音声自体が魅力的で好きなのです。とにかく美しいんですよ。スペイン語と似てる感じはしますけど、やっぱり違います。

 

で、ここで問題になってしまうのですが、古オック語は古語なわけで、当然発音に関しては結局最終的にはどうしても解らないとしか言えないところがある訳ですよ。(ラテン語とかと一緒ですよね。)これがやっぱりどうしても問題でして、、、。

 

ということで、私はオック語の音声が好きな訳ですが、発音に関して古オック語の世界では最終的に断言できないところが残る、でラテン語なんかだったらもうどうしようもないわけですけど、オック語には幸いにも一応、現代のオック語というものがある、、、。じゃあ、せっかくあるんだったら現代のオック語の発音をちゃんと勉強してみたほうがいいんじゃないの、、、??

ということで、今回のassimilを購入するという決断に到ったわけです。(購入する口実を見つけただけでしょ、、、(笑))

 

(現代のオック語を話す人々↓)

これは、少し前のものですが、オック語話者の人達によるデモの様子からですね。

オック語はついに現代になってようやくその市民権を少しづつ得て来ているのではないでしょうか。

(そういえば、数年前、フランスの政治家のフランソワ・バイルがトゥルーズ(ラングドックの中心です。オック語でトローサ)での選挙演説かなにかで、南仏の文化や言語について演説していた時、途中からオック語で語り始めて大喝采を受けていた事があった気がします。(なんか拙い感じでしたが(笑)。)まあ、私はフランスの政治話なんて大嫌いなので知りませんが、、、でも、あれには正直、私でさえ、、、ドキドキしてしまったぜ、、、(苦笑)。)

 

とにもかくにも、オック語、、、ラングドック、オクシタン、、、。

語りたいことが山ほどありますので、せっかくなので、これから別館ブログではちょこちょこと我が愛しのラングドックネタを取り上げようかと思います。

 

とりあえず、次はまずダンテとラングドックの関係あたりからにしましょうか、、、

いや、やっぱりトゥルバドゥールの巧みな詩法についてか、、、う〜ん、、、

そうだな〜、、ダンテとラングドックの関係、英語圏に置けるラングドック受容の重要人物であるエズラ・パウンドとT.S.エリオットの南仏にちなんだ関係、そこに絡んでくるダンテのこと、そしてパウンドとW.S.マーウィン。マーウィンとヴァンタドゥールとか、、、。

ラングドック史ということなら、ラングドック文化の開花とイスラーム文化、リチャード獅子心王とトルバドゥール、イタリアルネサンスとオック語文化との関係、そしてアルビジョワ十字軍とラングドック文化殲滅の話。

その後の15世紀のトゥルーズでのラングドック文芸復興運動、近世のオック語やミストラルらの南仏語文学、現代のラングドック事情etc、、、語りたい事は山ほどあります(笑)!!

嗚呼!!それから何と言っても、これからラングドックを勉強したい人の為の読書案内&語学学習案内も!!というか、オック語の分類についても必要ですね、、、。

とりあえず、お楽しみに!!(誰も興味ないか、、、)

 

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うう〜、、、、途中で下書きに保存した瞬間に記事がすっかり消えて、泣きたくなりました。。。でもオック語愛のもと、再度頑張って書き直しました。。。ヴェンタドルンの詩と翻訳も、せっかく入力したのに一回全部消えたし、、、。もっぺん書いたのも、またなんか消えるし、、、。何なんでしょう。。。新しいエディタ、使い難いです。。。何度も書き直しとなると誤字脱字が多いかもしれませんが、どうぞご了承下さいまし。

 

というか、明日の予習が、、、、忙しいのに、ブログでオック語愛なんかを延々と語ってる場合じゃありません!!!やばい、、、時間が、、、、。

それでは、また!!!

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