映画探偵室 -1960ページ目

映画「美しき諍い女」物語編(1)

最初の音ですぐそれと分かるストラヴィンスキーの音楽をバックに,タイトルが出る。続いてナレーション(字幕):
Travellers

 -七月上旬の月曜日,午後3時から4時の間 -

(蝉の声が聞こえている)


観光ガイドブックを扇子代わりにしてパタパタ扇いでいるフランス人らしい女が英語で言う。

「クソ暑いわね。明日は涼しいうちに何処へ行くか決めましょ。」

Climbing

アメリカ人とおぼしき連れが答える。

「山にでも登らない?」

Waitres1このウェイトレスも怪しい。探偵の好みだが...









そのウェイトレスが今度は怪しい男の側を....通り過ぎた...

I lover her Nazo2











「シルブ・プレ,この辺りの局番は?」    「67番です。」

Local numberS'il vous plait










Into the house Staircase

Suspected1 Ayasi











今度は怪しい女,様子を伺っていたが,カメラをぶら下げて出てくる....

映画「美しき諍い女」ヌーベル・ヴァーグ編, 概説

映画「美しき諍い女」はヌーベル・ヴァーグの旗手の1人,ジャック・リヴェットの手になるものである。ヌーベル・ヴァーグといえば,日本の映画ファンにとって「勝手にしやがれ」を最初に観た時の衝撃を必ず思い出すだろう。あの新鮮さは何だったのか?それを言葉で言い切ってしまうことはできないが,探偵は敢えてそれを試みる。それはリアリズムである。「えっ」と思われた方はすぐに唾を眉につけることをお勧めする。もちろん,古いスタニスラフスキー理論によるリアリズムではない。言ってみれば「わざとらしい」演技のことである。つまり,俳優は映画の中で,「寸劇を演じる人間」を演じているのである。良い意味の「ペダンチズム」である。故にこれが成り立つためには,背景に深い教養が必要となる。例えば,「気狂いピエロ」ではジャン・ポール・ベルモンドが風呂に漬かりながら娘に語って聞かせているのは「ヴェラスケス」についての批評である。こんなことは日常でおこるだろうか?これも日本人にはあまり馴染みがない部分だが,筆者は「起こる」と断言する。フランスやアメリカでならば。彼らが日常で,一種のユーモアから,寸劇を平気で演じているのに何度も実際にお目にかかった。後者においてこのような作劇をする監督にウッディ・アレンがいることも付け加えたい。

 この映画の前半分は以上のような方法で描かれている。観てすぐわかるように,登場人物の言葉やしぐさ(つまり演技)が「映画を観ている者」が推定的に追うストーリーの説明になっていない。なのに,だんだんとその後ろに流れる本当のドラマが浮かび上がるのだ。嘘だと思われる方は,この冒頭のシーンの会話だけを拾ってみると良い。まるで,何かの謎を秘めた事件が持ち上がりつつある,と思われるであろう。なのに,いつのまにか本筋がきちんと説明されていくのである。探偵はこのヌーベル・ヴァーグ手法を讃える意味で「詐欺手法」と呼びたいと思う。では乞うご期待...




緊急のお詫びとお断り

昨日過去の記事に貼り付けていた画像のフォルダを整理した際に,4月以前の記事(「コンドル」までを含む)の画像が飛んでしまいました。読者の方々の側の不調ではありませんので,ご注意ください。

今後機会を見つけて回復しますので,悪しからずご了承ください。また,これを機会に書き直し(があるかどうか)にもご期待ください。

            探偵,頓首