映画「昼顔」(14) - 東洋的方法
セヴリーヌは何とはなしに,この東洋人に期待するところがあったのだろうか?
なぜ鍵を?
しかも、言葉の通じない相手。
(以下聞き取れた音のみを記すので,読者はお好きなように解釈してください:探偵)
サンナガロ、ホロビッシュ、シャーシャーチャマグ、モークムスブラージュ、サンメダバク。
アラジャ...
エンヌビクビクサンナ、プズバアナ。アナハムエンサラナク、サラ?
「怖くない,怖くない」(ここはフランス語)
ガーガーガー、エガナ、ショーグウンタレ。
(どうも,ブラは取るな,パンティだけ,と言っているよう:探偵)
オーイハメンバックニ、オースムコホレ、モコッ、オイヤ。
ハーユムチャムイムイ、コ(男が筋肉を震わせると鈴が鳴り出した。)
シャーラチャチャム、ボディングモラー、アチバンジャマチ(呪文のように聞える:探偵)
あら、いいわね。
「お帰りなさい。勉強はよくやってる?
成績表を見てもらいなさい。」
「お帰りなさい,カティ,どうだった?
成績表を見せて。」
「私に挨拶は?」
「お帰り,日曜日にお祭りに行く?」
「もちろん行くわ。」
「嬉しい?」
「ええ。」
「いい成績だわ。」
あの東洋人が満足げに部屋から出てきた。歩くたびに鈴がなる。
居合わせた娘を見ると挨拶をしたようだが,何を言っているのかは分からない。メイドは思わず娘を引き離した。
礼儀正しく東洋人が出て行くと,「宿題をするのよ」と娘を送り出し,自分はセヴリーヌが使った部屋に向かう。
セヴリーヌの下半身には切り裂かれたシーツのようなものがかけられていた。
「恐ろしそうなお客ね。
「最高に感じたわ。」
注:上記のエクスタシーの表情は明らかにカットされている。以前に本ブログに掲載した文庫本の表紙にある画像はDVDにはない(筆者は別のソースで見た記憶がある)。また,仔細に見ると画像内に切断の後遺症とみられる傷がある。
公開用として何らかの機関がカットするのは上映当時として止むを得ない場合があるとは思うが,ブニュエルほどの偉大な作家の作品としては,その没後に復元するのが礼儀というものではないだろうか。
映画「昼顔」(13) - 扱いやすい客
「そろそろ教授が来るわ。紹介するわ,あなたが気に入るはずよ。」
「だれ?」
「有名な産婦人科医よ。」
「世界的な名医。先月も出張手術に来たのよ。」
ドアのベルが鳴っている...
「新顔がいます。」
「あん。」
「お気に召しますわ。内気ですが、本物の貴族の娘です。」
「ほんとか?それは楽しみだ。」
「どうぞ。」
「何かご不満でしょうか?」
「ええ,いいえ。」
「シャルロットと交代よ。」
「こっちに来て。」
「よく見るのよ。」
キレイにおし!」
「実は、花瓶を...」
「それだけはご勘弁を,侯爵夫人様。
「よく分かっております。」
しかし,シャルロットがムチを手にすると... 「まだ,早い!」
「どんな罰も受けます。打ってください。
「クビだけは勘弁を。」(と言いながら,手はどこに延びているか,と探偵は注目する)
どうも失礼を。無礼はいたしません,と言いながらも手をどんどん中へ...
ずっと隠してきましたが奥様を愛しています。
顔を踏みにじって,罰してください。
「恥知らずの豚め,懲らしめてやる。」
「愛はつのるばかりです。
奥方様。 もっと強く叩いて,ああ~」
「来て,別のお客様よ。見たわね?感想はどう」
「あそこまで堕落するなんて,おぞましいわ。」
東洋人と思しき巨漢がマチルドに箱の中味を見せている。箱からは虫の飛ぶ羽音が聞えている。
「私はごめんよ,こんなの。」
「アージャベ、ポンマ」(なんだ,ダメか)
「ジャクソンムカン,カムチ,サンナガロヨイビチョマ」(いい金髪娘がいるじゃないか,気に入ったよ)
「それは?芸者クラブ・カード?ノン・ノン,このカードダメ。
現金払いよ。」
「エー,ムルング。パアナ。」(あそう,分かった,分かった)
東洋人は現金を取り出した。
「確かに。じゃ,ごゆっくり。」
「サャン,モウチョンマンク」(これでよし,じゃ行こうか?)
注:東洋人(日本人)だそうなので,探偵が適当に超訳しました。
超現実主義(シュールリアリズム)と言語の関係
前回のブログでシュールリアリズム絵画に触れたが,ブニュエル達のシュールリアリズム運動は言語と深い関係にある。ダリとの共同制作で一大センセーションを起した前衛映画「アンダルシアの犬」で検証して見よう。
http://www5f.biglobe.ne.jp/~st_octopus/MOVIE/SILENT/16DALI&BUNUEL.htm
有名な冒頭の,女の眼を剃刀で切り裂くシーン。
これは明らかに,「眼を見張る」という表現,あるいは「眼を見開く」という表現の映像化である。
それが極端な痛みを伴うこと,日常を裏切る革命的なこと,であることが的確に表されている。私たちが通常現実だと思っている世界は,表層的な世界であり,曇った眼で見た幻に過ぎない,とでも言うようだ。映画こそがそれを暴くのだ,とブニュエルは言いたいようである。
こlれはダリの発案と言われているが,掌から無数の蟻が湧き出てくる。スペインの古いことわざに「手から蟻が沸く」というのがあるそうで,日本語で言えば「瓢箪から駒」にあたる。
それを実際に映像化したものであるが,それによりその衝撃を直接体験することができる。
何かが変化する(革命)とは,まさに,常識を覆すような,こういうことを言うのである。
商業映画ではあるが,「昼顔」にも,仔細に観察すると同様の手法が幾つか垣間見られる。






































































