ゆっくりと旅行に行って、旅館の部屋で夜風に吹かれながら、物理の勉強をしたい。
そんな願望を、密やかに抱いている今日このごろだ。



今日はとある中央官庁の説明会に足を運んだ。
大学二年からお邪魔しているところなので、もはや慣れたものだ。
人事の二人のうち片割れは、一年前から知り合いなので、和気あいあいとお話することができた。
だが、さらに二年前からお世話になっていた方は、もう異動してしまわれたらしい。

赴任地は、エジプトと聞いた。驚いた。
しかも、なんと別の国際機関で働く奥さんも一緒らしい。
何でも赴任が決まった時に、奥さんの配属先も変えてもらったのだとか。
なんちゅうバイタリティだ笑

しかし、なんと羨ましいことだろう。
エジプトから人材の要請が来て、それに抜擢されるだけでもすごいことだ。
だがそこからさらに、夫婦の幸せにも手を伸ばし、つかみ取った。


この、手を伸ばす、ということ。
これがなかなかできないものだ。

「どうせダメにきまっている」と、空高くあると思いこみ、下を向いてうずくまってしまう。
仮に見上げることはできても、手を上にかざして、また溜息をつく。

しかし、背伸びしても届かないならば、
梯子をもってくればよいし、誰かに肩車をしてもらってもよい。
何かひっかけ棒のようなものをもってきて、つつき落としてもいいのだ。


届かないならば、方法論を考えろ。
今の自分で足りないなら、何を以て足りるようになるか、考えろ。
そしてそれを手に入れてこい。

こんな単純なことが、
目的のために方法を設定し、実行するということが、
自分に不足していた最たるものだったのだ。


今さっき、エジプトに行かれたあの人に、メールを送ってみた。
自分の進路の報告と、将来への決意と計画。


「高みへ登るために、私は今、梯子をこしらえ始めた」


【序】

日常に浮かんでは消える、

どうでもいい妄想。
非合理的な思考。
たまにハッと気が付くこと。

それを書きとめたら、一体どうなることやら-----


という"思考"のもと、ブログ発足を"試行”した。

といっても、特に今すぐ書いておきたい主張があるわけでもなく。
とりあえず場所だけを用意してみることにしたわけだ。
後の管理は、明日起床した以降の自分自身に委ねることにする。

そもそも、意味ありげなことを記せるのかすら怪しいが笑
だが、「意味なんて終わった後から付与されるもんだ」と、
幾分か年下の人間に教わったばかりなので、
そこも別に考えなくていいのかも知れない。


…と、ここまで書いて思ったが、
こういう誰に配慮するわけでもない自己満足な文章表現ってのは、
なかなかいいもんだ!

mixiは知り合い程度の人間が見るってこともあるしな。
ここなら、全然知らん人か、こんな私の断片を多少は理解してくれる人が見るだろうから。
っつっても、常にコメントしづらい日記を残すことに定評はあるのだが笑

文語調(一部改変)が、やはり一番フィットするようだ。



【振幅を持つ日常】

人生山あり谷ありが一番面白いものだ(もちろん谷に墜ちる日には考えようがないが)
しかし、荒波を好まず、穏やかな水面に安住したがるのも、また一つの側面ではある。

ゆえに、何か水面に波を立てる(振幅を発生させる)計画を思いついても、
惰性という名の引力が、水面の隆起を抑えようとする。
何もないのが、やはり”楽”ではあるしな。
人も原子も、低いエネルギー状態を好むという点では同じなのか。

だが、楽な生活に”楽しみ”はない。
楽しみは一つの結果であり、そこに至るまでの行動(と、それに付随する面倒、苦労)が必要であるからだ。

だから、変化を好む好奇心、または日常への不満が惰性の力を超えたとき、
束縛状態を逃れるエネルギーが生まれ、冗長なパターンの外の、新しい行動を発生させる。

しかしながら、当然高エネルギー状態は不安定だ。
だから、当然行動の結果がどのように転ぶかは、予言できない。
波が発生しても、位相、振幅の大きさがわからないような状態だ。

だからこそ、何度か波を起こすことで、波の感覚をつかんでいく。
自分が何を目指し、そのために何が必要なのかを、突き詰めていく。


…とまあ、それが人生の理想の生き方なわけだけども。
現在、水面はほぼ穏やかなわけで笑

だから次は何で波を起こしてやろうかと画策中。
たまに一瞬揺れ上がったりして楽しいけど、それは自分で揺らしてるわけじゃないし、
依存してもダメだから、やっぱ自分で何かやらないといけませんな。

もちろん、目の前にある大学の研究は、しっかりとこなさなくてはいけない。
半年前の自分に申し訳ないしな。
研究の中で波が起こればなお良いこと。


さて、いよいよ収拾がつかなくなってきた笑
けど、こう書いたことで明日以降、何かの足しになるかもしれない。

そうだ、これ書いておこう。

「力に翻弄され、意志と手足で動けなきゃ
 屈辱と後悔しか、残らない」

きっと今の彼はこれを唄えないでしょうなー。。
むしろ今だからこそ、このフレーズ(あるいはTryという歌そのもの)が重みを持つのかもしれない。


(強引に)おわり