【序】

日常に浮かんでは消える、

どうでもいい妄想。
非合理的な思考。
たまにハッと気が付くこと。

それを書きとめたら、一体どうなることやら-----


という"思考"のもと、ブログ発足を"試行”した。

といっても、特に今すぐ書いておきたい主張があるわけでもなく。
とりあえず場所だけを用意してみることにしたわけだ。
後の管理は、明日起床した以降の自分自身に委ねることにする。

そもそも、意味ありげなことを記せるのかすら怪しいが笑
だが、「意味なんて終わった後から付与されるもんだ」と、
幾分か年下の人間に教わったばかりなので、
そこも別に考えなくていいのかも知れない。


…と、ここまで書いて思ったが、
こういう誰に配慮するわけでもない自己満足な文章表現ってのは、
なかなかいいもんだ!

mixiは知り合い程度の人間が見るってこともあるしな。
ここなら、全然知らん人か、こんな私の断片を多少は理解してくれる人が見るだろうから。
っつっても、常にコメントしづらい日記を残すことに定評はあるのだが笑

文語調(一部改変)が、やはり一番フィットするようだ。



【振幅を持つ日常】

人生山あり谷ありが一番面白いものだ(もちろん谷に墜ちる日には考えようがないが)
しかし、荒波を好まず、穏やかな水面に安住したがるのも、また一つの側面ではある。

ゆえに、何か水面に波を立てる(振幅を発生させる)計画を思いついても、
惰性という名の引力が、水面の隆起を抑えようとする。
何もないのが、やはり”楽”ではあるしな。
人も原子も、低いエネルギー状態を好むという点では同じなのか。

だが、楽な生活に”楽しみ”はない。
楽しみは一つの結果であり、そこに至るまでの行動(と、それに付随する面倒、苦労)が必要であるからだ。

だから、変化を好む好奇心、または日常への不満が惰性の力を超えたとき、
束縛状態を逃れるエネルギーが生まれ、冗長なパターンの外の、新しい行動を発生させる。

しかしながら、当然高エネルギー状態は不安定だ。
だから、当然行動の結果がどのように転ぶかは、予言できない。
波が発生しても、位相、振幅の大きさがわからないような状態だ。

だからこそ、何度か波を起こすことで、波の感覚をつかんでいく。
自分が何を目指し、そのために何が必要なのかを、突き詰めていく。


…とまあ、それが人生の理想の生き方なわけだけども。
現在、水面はほぼ穏やかなわけで笑

だから次は何で波を起こしてやろうかと画策中。
たまに一瞬揺れ上がったりして楽しいけど、それは自分で揺らしてるわけじゃないし、
依存してもダメだから、やっぱ自分で何かやらないといけませんな。

もちろん、目の前にある大学の研究は、しっかりとこなさなくてはいけない。
半年前の自分に申し訳ないしな。
研究の中で波が起こればなお良いこと。


さて、いよいよ収拾がつかなくなってきた笑
けど、こう書いたことで明日以降、何かの足しになるかもしれない。

そうだ、これ書いておこう。

「力に翻弄され、意志と手足で動けなきゃ
 屈辱と後悔しか、残らない」

きっと今の彼はこれを唄えないでしょうなー。。
むしろ今だからこそ、このフレーズ(あるいはTryという歌そのもの)が重みを持つのかもしれない。


(強引に)おわり