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Keep Looking Up

Keep looking Up=人生のおまじない。

空を見上げて想うこと。

金曜日、久々に東京へ。

やっとこ分かってきた東京の電車のシステムで乗り換えもちゃんとできるようになりました(*・ω・)ノ

願書もらいに大学行ったら、すごく丁寧に高校3年生扱い泣 でも言うに言えなくて、最後にさりげなく編入の願書をいただきました。

そうしてドキドキのTOEFL。

勉強しても、大丈夫だって思っても、1度試験が始まったら止まることはないんだなぁって。終わったあとはいつもみたいに放心状態でいろんな後悔があった。

ずっと長文をやってきたのに出てきたReadingはこれでもかってくらい理系と医学。ダミーがあるって分かってたのに見ぬけられなかった判断力。

一回でもパニックになったら聞き取れないListening。周りで始まってるSpeakingの声が混ざって保てなかった集中力。

突発的な問題に対応できるようになっても、出てきたのはやっぱり理系のlectures。speakingのsectionはもう突発力とかひらめき力だと分かった。

いろんな資料を見て今までとはだいぶ違った形で書いたwriting。それが吉と出るかなんて今は分からないけど、書いてないと力は確実に落ちるなぁ。

TOEFL終わって帰った後はとてもとても放心状態。やってもやっても満足はできないのかなって。

そんな中、日曜日に1年ぶりに菜生と再会@新宿

ビッグカメラで電子辞書をgetできたけど、やっぱり聞かれたね。
『高校生の方ですか??』って。。笑

おいしいスープ屋さんでお昼して、その後おやつしてとってもまったり

ちょうど1年前、菜生と一緒にNY巡りをしてた。高2で行った場所にもう一回行って自分探しをしてた旅。あの時みつけた大事なものをもう一度思い出しました『英語がスキ』って気持ちと『もっとできるようになりたい』って気持ちしか、あのときの自分は持ってなかったんだなぁって。周りが見えないくらい何かにのめり込んでた気がする。

それから1年も会ってなかったなんて信じられないくらいだけど、会ったら全然そんな感じしなかった(o^∇^o)ノ 初めてNYで出会ってから5回くらいしか会ってないけど、なんだかとても深い繋がりな気がする。いつも菜生と会う度に頑張る力をもらってるんだ

菜生といっぱい話して、落ち込んでた気持ちもまた前に向き始めました。NYからもうすぐ5年。その間いろんなことがあったけど、歩くのは違う道だけど、2人とも成長してるのも確かだと思うから『大丈夫だよ』菜生のその一言がなんだかすごく心強かった

夏に『決まったよ』って言えるように明日からまた前に向かって頑張るよ
朝から野球を見ていました

なぜか号泣していました

最後まで諦めないプレーにとても感動しました
『勝ちたい。ただそれだけ思っていました』という川島選手のインタビューで一瞬で大ファンになりました(。・ω・)ノ゙

野球の後はずっとお家でTOEFL勉強。

毎回のプレッシャーと届かない点数に毎回泣きたくなります。でも今日気づいたことが1つ。

過去に受けてきたTOEFL、どこかにいつも壁を感じていたこと。
頑張っても届くような域じゃないと、手が届くようなものじゃないと、どこかで少し壁があって、超えられないものだと思ってた。超えたいけど、超えなきゃいけないけど、それでも届かない気がしてた。

でも、違うんだね。

諦めなかったらきっと届く。やっぱり第一志望に行きたい。

そう思いました。

受験ぽっくないけど受験生と同じ状況。こんなことになるなんて想像してなかったけど、応援してくれる人がいるのもまた確かだから。

久しぶりにメールをくれたAnneが言ってくれました。
『シアトルで待ってるよ』

ELSからの友達のかずとが励ましてくれました。
『ひみならできるよ』

パパとママは口を揃えて言います。
『そんなにその大学に行きたいなら意地でも点数取らなきゃね』

フィリピンを離れるときにスタッフさんが言ってくれました。
『悪循環にあるカードをひっくり返せるような人になってね。きっとなれると思うから』

膨らむ夢を叶えるためには目の前のものを乗り越えないと。

これまで以上に、頑張るって、最後まで諦めないって、そう決めた
フィリピンでは子供が放棄される。
フィリピンでは子供を放棄できる法律がある。
フィリピンでは避妊、中絶が宗教上できない。
フィリピンでは子供の放棄を社会全体で容認している。
フィリピンでは孤児になった子供がスリートチルドレンとしてごみを拾って生活している。

信じたくない。でもこれがフィリピンの事実。


日本は昔、フィリピンを占領して多数のフィリピン人を殺した。
日本は昔、平和を願うフィリピン人をよそに力によってフィリピンを鎮圧した。

今はもうどうしようもできないかもしれない。でもこれが日本が残した爪あと。


日本は今でもsexually tourと称してフィリピンに売春だけのためにツアーを行ってる。
日本はフィリピンから孤児の里親になる権利を与えられてない。

信じたくない。でもこれが日本の事実。

途上国での問題は必ず先進国が絡まってる。途上国自身の問題じゃなくて、周りの国も見直さないと解決しない。

滞在しながらボランティアしてた日本のNPOが経営する少人数長期型の孤児院。そこにいる5人の子供達。

とっても元気でとっても明るくてとびきりの笑顔だった。遊んでると忘れてしまう。この子達が孤児だということ。寝顔を見ていると考えてしまう。この子達の親はどんな思いで子供を放棄したんだろう。経済力がなくても、望まない妊娠だったとしても、自分の子供を愛しいって思わなかったのかなって。

滞在中にボランティアに行った短期型大人数の公立孤児院。そこにいる何百人もの子供達。

とってもたくましくてとっても強くて生きる力を持っていた。衛生的にも、食べ物も、部屋数も、なにもかも整ってない。そこで働く人たちも子供達を可愛がるわけでもなく、ただ仕事としてそこにいる。

公立孤児院にいた子供達はすごく愛に飢えていた。1歳のまだよちよち歩きの子供達は床に置かれた哺乳瓶を自分で取って自分で横になって飲んでいた。誰かが抱っこして飲ませるわけでもなく、1人1人上を向いてミルクを飲んでいた。周りにアリや虫が群れ上がっていても、あの子達にとったら唯一いられる場所なんだなぁって。

2歳児や3歳児は部屋に行くたびにだっこやおんぶをせがんで、次から次に抱っこした。まるでだっこが初めてみたいに、本当にうれしそうに笑ってた。普通の家庭だったら得られるような最低限の愛さえこの子達は知らない。親が、家族がどういう存在であるのかも知らないままここで育っていく。

小学生の子供達は自慢げに部屋を見せてくれて、アルプス一万尺したり縄跳びしたり。大きい子供達が小さい子達の面倒を見ていて、そこには小さな家族があるきがした。だけど、その子たちだってまだ甘えたい盛り。『Ate-Ate-』(お姉ちゃんおねえちゃん)って手を引っ張ってあちこち連れてってくれた。

障害がある子供達の部屋は紹介時間の一瞬で足がすくんだ。そこには軽度から重度の障害の子供達が小さな囲いのベッドの中に入れられていて、自虐行為をしないように縛られている子もいた。その光景がショックすぎて、その後ボランティアで教室に行ける勇気もなくて結局最初の一瞬だけだった。こわくて向き合えなかった。人間のように扱われていないその光景に、どうしたらいいのか分からなくなった。あの子達の将来はどうなるんだろう。あの子達の親は障害があったから、放棄したのか。育てるのが大変だとしても、偏見があったとしても、今彼らの置かれてる状況を捨てた親が見たら本当になにも思わないのかな。

小さな場所でひしめき合って十分な洋服も食べ物もない中で、公立孤児院の子供達は必死で生きてた。日本のようにテレビゲームもない。学校にだって全員が行けているわけではない。一言で言ったら恵まれてないのかもしれない。この子達は愛されることを知らないのかもしれない。親も家族も帰れる場所もない。だけどみんな助け合って分け合って、寄り添って、力強く生きていた。日本みたいにいじめも自殺もない。日本みたいに全部が恵まれているわけではないのに、あの子供達が笑うと本当に幸せそうだった。もしかしたら強くないと生きられないような状況なのかもしれない。あの子達の笑顔の後ろにはいろんな気持ちが混ざってるのかもしれない。それでもやっぱり思うんだ。あの子達の目は本当にきらきらしてた。

たった数週間で何ができたのかは分からない。『精いっぱいの愛を与えよう。精一杯遊ぼう』そうメンバーで唱えてのボランティア。あの子達はすぐに忘れちゃうかもしれない。でも一瞬一瞬を笑顔にできた。それでよかったんだって思う。いつかあの子達が大きくなったときにちょっとでも思い出してくれたらうれしいな。『そういえばちっちゃい頃、どこかの国から来たお兄ちゃんとお姉ちゃん達と遊んだっけ』って。たったそれだけでも残るものがあればうれしいな。
無事にフィリピンから帰ってもうすぐ5日。課題もやりたいこともあるのに風邪です(´;ω;`)扁桃腺です。。

原因は2つ。

1つ目=フィリピン帰国の成田空港での半そで。30℃近い南国から帰ってきて気持ち的に日本の季節に馴染めなかった自分。。

2つ目=同じ部屋にいるにぃにからのウイルス感染。。にぃにが風邪で寝ていることを知っていながら部屋を占領できると喜んでいた自分。。

3日くらい前から熱とのどの痛みと鼻水にやられています。兄妹そろって寝込んでいます(ノд・。) グスン 

『こういう時だけ一緒のタイミングなんだからー』by ママ

『2人とも部屋でおとなしいなんて珍しいねー』by パパ

心配されているのか若干不安になります

市販の薬でも利かないので7年ぶりに地元の小さな病院へ。14歳以来の診察にドキドキ。

小さいときから見てくれているお医者さんの第一声。

『いやー大きくなったね(*・ω・)ノ今日はどうしたの??』

風邪みたいなんですと答えると扁桃腺と診断。あまりの痰の詰まりように掃除機みたいな吸い込むので取ってくれました。小さな病院に画期的な道具があることにびっくりo^-^o

帰り際、入り口まで送ってくれたお医者さん。
『昨日、お兄ちゃん来たよー。一緒に来ればよかったのにー』と笑顔。

その兄に移されたんです。泣。と思いながらお家に到着。

seattleから帰ってきてからは残業が多いにぃにと家で会うことがとっても少なかったのに、病院以降、同じ部屋で同じ生活を繰り返す兄妹。花粉症+扁桃腺に苦しむにぃにと扁桃腺だけでも結構苦しい妹。

その結果、兄妹で2日間で使ったティッシュ箱、4箱。冷えピタ1箱分、約12枚。部屋に撒き散らしたウイルスcountless..

そんな中で起こった久々の兄妹けんか。けんかの元はティッシュ

にぃには花粉症のために潤ってるティッシュを使っています。見た目からしてちょっと高価そうないいティッシュ。そのティッシュはにぃに専用のため、あたしは普通のエリエール。下の子ならば必ず生まれる気持ちがここに。。

『お兄ちゃんのティッシュ、いいなぁ』扁桃腺ながら憧れる柔らかいティッシュ。

でも、にぃにのディフェンスは相変わらず強い><

ここで妹ということを最大限に利用。ママにアピール。

『あのティッシュは高いから、ひーちゃんは普通のでいいでしょ♪』

20歳を過ぎるともはやおねだりが通用しないと知る。。

そんな中、chance到来☆さっきまで使ってたエリエールがなくなったとたんにくしゃみ鼻水をどうしようか迷ってるときにやわらかティッシュ発見しかも、にぃにはごはん食べにキッチンに行ってる^^迷わずに柔らかティッシュで鼻をきれいに

『やわらかーい』って思いながら、やっと使えたやわらかティッシュの喜びに浸ってるとにぃにの足音。すばやく自分のベッドに戻ると、にぃにの視線が

兄『瞳。最後の1枚使っただろ??』

妹『知らない。』

兄『さっき部屋出るとき残ってたし。』

妹『ふーん。』

兄『なんで自分の使わないの?』

妹『だってなくなっちゃったんだもん』

兄『じゃぁやっぱ使ったんだ』

妹『ずるいよーひっかけじゃん。。』

兄『バーカ』

attacked by ティッシュの空き箱。。泣

ってことでティッシュを買いに行ったパパとママ。帰ってきて、にぃにには柔らかティッシュを、あたしにはやっぱりエリエールを(´;ω;`)

『お兄ちゃんのなんだからダメだよ』とママに怒られつつ、ハーゲンダッツのアイスをもらって解決した25才の兄と21才の妹の小さな兄妹けんか。
フィリピンから帰国。すごくすごく充実してた濃い時間。日本に戻った今でも思い出す。

近い空に浮かぶ大きな雲。きらきらの太陽。広がる大自然。見上げた星空。子供達の笑顔。

フィリピンに行こうって思ったのは直感だった。途上国ならどこでもよかったのかもしれない。その中で選んだフィリピン。理由はたった1つだった。写真に写る子供達、この子達に会ってみたい。心の中の確かな『これだ』って思った直感。それだけだった。

『途上国に行きたい』なんて言うとみんな首をかしげる。なんでわざわざ途上国に行くの?って。中国に行く前までの途上国に行きたい理由はただ単に好奇心だったと思う。どんな場所なんだろうって。行ったことがない、感じたことがないことだから、それを見たいって思う小さな好奇心。

でもそれは中国で見事に崩される。目の前で起きてる現実を受け止められない自分がいることに気づく。経済発展の途中で生まれた格差、排気でよどんだ空、夜中に溢れかえるホームレス、わずかなスープに群がる同じくらいの年の女の子達、オムツもミルクもない赤ちゃん、お金お金とよってくる物おいの人たち、今にも崩れそうな家、水道からは汚れた水。発展が進む都市とは逆に、農村部の人たちは見る見る貧困層になっていった。そんな現実を目の前で見たとき、ただ立ちすくむことしかできなかった自分。貧困、経済発展、そんなことを大学で勉強してもいざ現実を目の前にしたら何にもできない。感じたのは無力さだけ。いくら途上国の写真を見たとしても、話を聞いたとしても実際に行かなかったら分からないと思う。そこに暮らしている人がどんなに必死で生きているかってこと。想像できるような環境じゃないってこと。中国にいた間、笑顔でいれても頭から離れない現実。最後まで直視できなかった現実。

シアトルに帰ってきて思ったこと。自分はなんにも分かってないのに分かったように途上国のことを話して、わかったように途上国を支援するNGOの局長さんの話を聞いていたんだなぁって。人権平等のエッセイを書いたって正直思ってた。『中国に生まれなくてよかった』って。街中に群がる貧困層を見て思ってた。『かわいそう』って。結局、自分より下に見てたんだって。そんな自分で、途上国の支援だなんて、募金が足りませんとか途上国では苦しんでる人がいますなんてよく言えたなぁって。人権平等なんて、自分が1番できてない。

先進国に生まれた自分は知らず知らずに『普通』っていう基準ができていって、本当は恵まれてることさえ当たり前だと思ってた。中国から帰って確かに先進国の生活がどれだけ恵まれてるのかは思い知った。JANICの仕事も前よりはNGOの役割がわかってきた。でも、心残りは変わらなかった。感じた無力さと受け止められなかった現実と差別してた自分。

その心残りと国際協力への興味が重なってフィリピンにつながった。大丈夫かなって不安になることもいっぱいあった。これ以上、途上国を見たら今以上無力さを感じるんじゃないかとも、そんな経験しなくてもいいんじゃないかとも思った。でも、直感だった。行きたい気持ちは変わらなかった。見るべきものがあると思ったから。ピンってくるその直感を信じてみようって思った。

そんな思いを持って行ったフィリピン。そこで過ごした約2週間。うれしさと悲しさと切なさと悔しさと楽しさといろんな感情が混ざってた。いつも支えてくれる、元気をくれる最高の仲間がいた。『この仕事、楽しいよ』って笑う現地のスタッフさんの笑顔に背中を押してもらった。みんなで流した涙があった。きらきらの子供達の笑顔があった。何もない途上国。でもとってもあったかかった。スポンジみたいになんでも吸収した気がする。何気ない会話から、深い話までメンバーに教えてもらったこと。フィリピンの空の下で笑うあの子供達から教えてもらったこと。スタッフさんがかけてくれた魔法。行ってよかったって心から思った。行くべきところに行ったんだなぁって。たくさんのことを学んだ最高の旅。