To the future… -6ページ目


いま熊取です。
ネット環境が恐ろしく悪いです。

速報で流れたフランスが内戦に介入したという報道。もう、驚かない。

そういう時代なんだ。




報告だけ。

昨日書いた親戚について、今朝動きがあった。

向かうと言ってくれた。

だが、実際は道路事情の不明さを理由に明日に伸ばされたという報告を夜受けた。

もどかしい。


いくら強がって見ても
心の中では、やっぱり不安なんだ。

明日に賭けたい。




今日
くぼ、つとむ、べー、ヘルメ(一瞬)
声が聞けて良かった。

ありえないプラスのエネルギーをもらった。



今日は大きなそのエネルギーと共に寝たい。



二十日は満月。


原発の峠を越えること
親戚の移動が開始されること


一人一人に笑顔が戻ること

祈ります。



明日は奈良へ移動します。



iPhoneからの投稿

ひとはいつかは死ぬ

少し、重たい話になるので、了承してもらいたいです。
でも、この想い、シェアさせて欲しい。

そして
メメント・モリ

死を想って欲しい


今日、福島に居る祖父母らと電話で話をした。
そして出た結論は、今の場所(相馬、原発から25km地点)に残るというものだ。

彼らが述べる理由はいくつかある。

自治体は「希望者のみ。避難場所はどこになるのかわからないことを了承してほしい」という旨で避難指示を出した。
それを受け、私たちが今動くことは、交通事故になるかもしれない。
途中で具合が悪くなったときどうしようもない。
薬がなくなったらどうしようもない。
これらのリスクを背負ってまで動く必要はないと思う。

また、避難場所がどこになるか分からず、避難先で厳しい生活を送るようならば、今の住み慣れた街で過ごしたいという。

国が避難命令を出せば動く。ということだ。
しかし、俺は、そんなことはもう、ないと思う。

現時点で報道では、今避難している方々も十分な避難場所は確保出来ていない。
今も半径20~30kmには2万人程の人が生活しているという。
しかし、今、全国で受け入れ態勢を整えているであろうが、現時点で日本のどこを探してもそれらの人が避難出来る場所はないだろう。
だから、いくら危険であれど国は避難命令を出すことはないように思う。


そのことを彼らに伝えても、また上記の理由が返ってくる。
「準備はできてる。何かあれば、すぐに脱出する」という言葉と共に。




ずっと、俺はあまり言葉を伝えなかった。
今の危険な現状だけを伝えた。
そして聞くことに集中した。

そして、おじさんの言葉を聞き終わったあと、俺は一言聞いた。

「その地で死ぬ覚悟はありますか?」

「あるよ」

俺は、もう、それ以上言うことは辞めた。
伝わらないことへの苛立や、国の無力さ。マスメディアの無能さ。
そんな苛立を超えて、俺は彼の意志を正面から受け止めようと思う。


「現地に残り診療所の方の食事をつくり、協力したい(おじさんは寿司屋)」
その言葉が表すように、いくら悲惨な状況であっても彼らは死に場所を決めた。
俺はその覚悟を曲げたくはない。




人はいつかは死ぬ。
それは極論かもしれないね。

でも、その死に向けて今も人はそれぞれ選択をしている。
その選択が、今回の場所に残るということだろう。

おそらく、数年後がんになってしまうだろう。
でもそれが放射能によるものかどうかは今の医療技術では分からない。

きっと放射能と分からず死んで行くだろう。
でも、その人々は自分の選択に後悔せずに逝くだろう。
おれは、その死を無駄死にとは全く思わない。
その生を受けた地で、最後まで己を貫いたその死を、しっかりと受け止める。


俺が伝えたいこともすべて心からの言葉で放ち、相手からの心から放たれた震える言葉をもらった。

言に込められた魂。確かに受け取りました。






今日、無事に妹が卒業式を終え、大阪に戻ってきました。
東京では姉が、こちらでは母が迎えていたよ。
やっぱり、家族は暖かい。

言葉なんか、説明なんか、いらないね。
みんな、今実感しているもんね。


そして昨日ブログに書いたところ、僕が仙台に住んでいた頃、仲の良かったお宅から暖かい言葉をもらった。結果は叶いそうにないけれど、それでもつながりのあたたかさを感じ、感謝します。
共に生活した日々より、会わない日々が長くても、本当にあたたかな”つながり”はずっとずっとあるんだよ。



覚悟とあたたかさと共に、俺はまた前に進む。

明日、母と妹を残し、一時大阪の梅田から、熊谷へ移動します。

Dear...

今朝、大阪に避難してきました。


理由は父からの進言。
父は中国出張から帰国後、即自宅に来(別居中だった)、今の状況を踏まえた家族へ指示をした。

「ゆーた。お母さんと妹を大阪に連れて行ってくれ。」

それが俺も含めた家族の避難の指示だった。

姉は、「おいしいといってくれるお客さんのために最後まで店を守る」
と俺に電話越しに言い、東京に残った。


そして今母と妹ふたりを連れ、大阪に居る。
父からはもしものためにとお金をそれぞれの口座に入れてくれた。
公務員として国のために働くことに覚悟を決めたようだった。



連れて来た二人は今かなりしんどい状況にある。
妹と母は仙台へ21日転居のはずだったが、白紙になり、今仙台ではなく大阪の学校を探すようにと父から連絡があった。

そして妹は明日中学校の卒業式があり、どうするか悩んでいたが
俺は今日「自分で決めな?そして、自分の選択で行きたければ自分の足で行って帰ってこい。」
と言った。

冷たいとか、なんで連れ添ってやらないのとか思うかもしれないが、いつまでも周りに甘えている訳には行かない。
自分の決断に責任を持って、動いてほしかった。
今まで妹は母に甘えてばかりだったから。


正しかったかどうかなんて分からない。

そうしたら妹からは「行く。1人でも」という返事が来た。

本当にこの数日で成長したんだと実感した。
俺は、待つ。そして帰って来たらめっちゃ褒めてやる。
妹は父が4年前から違う家に住んでいるから、父に対して殆ど良い思い出を持っていない。

俺が、しっかり立たせなきゃいけないと思った。
長男として。
可愛い妹には旅をさせる。

でも、明日無事に帰って来たら、妹は大きな大きな自信をお土産にしてくると思う。
だから、信じて待ちたい。

母もしんどい。
母の実家が相馬であり、無事であったが放射能の問題で避難指示が出された。
しかし、避難が遅れており、親戚を含めた5人が仙台の俺の昔住んでいた一軒家(今は空き家)に行くという。

今仙台の家は空き家でライフラインも、家具も何もない状態だが避難所が埋まっている今それが最善だと祖父母たちは判断したようだ。
車は親戚中のガソリンを集め、確保できたという。
家の手配も父が不動産屋に話をしてくれた。
道も開けているという。

今は母は祈るしかない状態。
愛する家族がそれぞれの場所に散っていることは、本当に母としてしんどいと思う。
だから、俺は可能な限り寄り添ってやりたい。
砕け散りそうな心を俺が支えてやりたい。


それが今俺が目の前に居る人に対してできることなんだ。


家族に対し、友に対し、日本に対し、祈り、信じる。
己の身を顧みず、働く方々に感謝する。
そして、今日も無事に終えられることに感謝する。

亡くなった方。そしてこの地震から学び、これからの時代に絶対に活かしていきたい。







あまり、個人のことは書きたくなかったけど、少し書いたら楽になった。
正直ね。泣きたい。俺も。

でも、今は泣けない。

しんどいのは家族それぞれ一緒。
それを少しでも支えるのが俺の役割だと思ってる。

そして、東京に居る唯も。
仲間もしんどいはずなんだ。

支えるべき人は沢山居る。

だから俺はまだまだ泣けないよ。



だから、決めてる。
再び家族5人がそろったとき、大声で泣いてやる。
それまでは、しんどくても泣けない。




どんな情報が流れても諦めない。

みんな、どうか笑顔を絶対に絶やさないでくれ。


読んでくれてありがとう。