2024年1月末の雪の降る日、私は京都、西陣にある「長谷川杼(ひ)製作所」を訪れました。
当主の長谷川淳一さんは昭和8(1933)年生まれ、今年91歳になられます。
明治生まれのおじい様が鷹峯(たかがみね)の地に創業され、父の繁太郎さんが西陣の今の場所に築いた職住一体の町家で、3代目として「杼(ひ)」の製作をしてこられた職人さんです。
『杼(ひ)』というのは手織り用の機(はた) などで使われる道具です。
織物というのは経糸(たていと)と緯糸(よこいと)で構成されていますが、あらかじめ機(はた)に準備した経糸(たていと)の間に緯糸(よこいと)を通す為の道具が、この『杼』なのです。
また、織物の幅や糸の種類、作業効率などに応じて多くの種類があり、『杼』が左右へ飛び過ぎないよう重さを出す為に、中に鉛を流すといった加工をする物もあるのです。
長谷川さんのところの『杼(ひ)』は、宮崎県産の「赤樫(あかがし)」を使っています。
木材を板状に製材し、毎年裏返しながら土蔵で15年以上保存して充分に乾燥させるとのこと。 これは歪みにくく堅牢な『杼』を製作する為ですが、使用されるのは木材の中心の最も固い部分です。
1950年頃の最盛期は、西陣の地域も「帯は西陣」と言われるほどに隆盛を誇り、織子さんが朝5時~夜11時頃まで織っておられたようです。
長谷川さんと先代も、共に早朝から深夜まで『杼』の製作と修理に追われ、ゆっくり食事や睡眠をとる暇もないほど多忙を極める中で、年間数千丁の『杼』を製作されていたとのこと。
当時、西陣に10件程あった『杼』作りの職人さん方は、その技術によって西陣を支えてきたのです。
中でも長谷川さんは、西陣の織り手に歩み寄り真摯に向き合うことで、使う機(はた)や織り方、織物の内容、織る時の手の感覚や癖まで考慮して製作されてきました。
ですから、その『杼』はまるで織り手の手の一部のように馴染んで使い易く、細やかな操作が可能で、修理することにより何十年と使用することも出来るのです。
長谷川さんは『杼』が仕上がると
「向こう(納品先)へ行って、良い作品が出来るように頑張れよ。」という思いなのだそうです。
それは、まるでわが娘をお嫁入りさせるような気持ちだとー。
そんな長谷川さんは、平成11(1999)年「国選定保存技術『杼製作』保持者」に認定され、平成15(2003)年、「勲5等瑞宝章」を受章されています。
そして、これまで長谷川さんを支え、『杼』製作の一助を担われてきた奥様の富久子さんの存在も、決して忘れてはなりません。
しかし、時代の流れの中で人々の暮らしは変わりました。
着物を着る人は減り続け、今ではほとんど需要がありません。
今となっては着物を着る貴重な機会である「七五三」や「成人式」でさえ、レンタルが増え、「着物であれば何でも良い」というような風潮すらあります。
良いものが無くなると、ものを見る力そのものも無くなっていくように思えてなりません...(泣)
これまで奥様と二人三脚で共に歩んでこられた長谷川さんには、後継者がありません。
弟子を希望する人が来られても続かなかったのだそうです。
「このような孤独な仕事は、最近の若い人には向かない。 根気、辛抱なくしては絶対に出来ない。」
これだけの技術を体得するまで、『杼』製作に全身全霊を注ぎ込んでこられた職人、長谷川さんの言葉です。
現在、長谷川さんは西陣にとって、また日本において「唯一の『杼』職人」となってしまわれました。
日本を象徴する「着物文化」、廃れさせてしまって本当に良いのでしょうか?
「便利だから、安いから、楽だから...」 そんな理由で日本人が古来より大切に守ってきた「日本人の心」を手放してしまって良いのでしょうか?
改めて思うのです。 もう1度着物を着ようではありませんか。
※ 2025年2月11日、長谷川さんは天国へと旅立たれました。
長い間、本当にありがとうございました。




