日々、涙腺のゆるむこと(2) | 松田佳子のblog

松田佳子のblog

こころに着込んだいろいろなもの
脱いで
手放して
魂の願いを生きよう

今朝なんとなく書きたくなり

書き出したブログ


このところのこと、を

書きました

主に長男のこと

長男はいま高校3年生

弓道部に入り

それまでとは生き方が変わった


と感じるけれど

その片鱗はずっとあった


好きなことに夢中になる

真っ直ぐすぎるエネルギー



思い返せば保育園時代

男子なら誰もが一度は通る?

ヒーローものにハマり

当時は、海賊戦隊ゴーカイジャー

レンジャーキーを夢中で集め

ゴーカイにいくぜっ!のセリフと共に

一日中見えない敵と戦っていた😂


あの頃は

お休みのたびに

録画したものを繰り返し観て

イベントがあればあちこちへ出向き

なんとかショーも観にいったな




あの頃から

かっこいい!ものには

真っ直ぐ夢中になっていたし

この子は好奇心と探究心が

ひとつになったとき

脇目をふらない勤勉さがあり

小学生で夢中になった

新日本プロレスは

高校3年生の今も夢中

全試合観て誰が何で勝ったか?みたいな

試合の記録は全部脳内に

保存されており

いつでも引き出し可能😂

中学生まではわたしも何度か

一緒に東京ドームへ足を運び観戦したけど

静岡に来てからはさすがに

親子の往復交通費プラス試合のチケット代

を負担してまで行きたくはないなと

息子ひとりで行くようになりました




そんな好奇心旺盛な長男とは

対照的のような次男

ヒーローものも素通りし

ゴジラやアメリカのアニメが好き

自らオタクの陰キャを名乗る笑

小学6年生になりました



長男の小学生時代(埼玉の頃)といえば

あれもやってみたいこれも気になる、で

どんどん習い事が増え

毎日あれこれ通いましたが




次男はとにかくお家が大好き

家の中でできることで満足

趣味はゲームとレゴと絵を描くこと

洋楽を聴くこと


洋楽はゲームのコラボで

聴いたところから始まり

(洋楽にいく前は米津玄師にハマっていた)

気に入った海外のアーティストを

アルファベットでメモにうつし

アーティストを検索して他の曲も聴き

気に入った曲の英語の歌詞を

日本語に調べ直し

どんなことを歌っているのか、や

そのアーティストの背景にある情報を

調べるなど

ひとりで好きな世界をどんどん

拡げている



家で静かにしていても

どんどん世界の拡がる次男は



発達にグレーなところがある、と

学校教育の中では

なかなかついてゆけないところも多い




静岡に来たのは小学4年生の時


この時が彼にとっても転換期になったのか


東京では特に友だちも出来ず

出来たとしても

遊びにはなかなか誘われず

ついて行けないからと

みんなにまかれて置いていかれたり

それでもじっと友だちを待って

暑い中汗だくで立ちつくしたり、と

なかなか不憫なところもあった



それが静岡にきて

友だちが沢山できて

家に友だちを呼びたい!という

東京の狭い家では叶わなかったことも

出来るようになり

(人を家に呼ぶのがなんか大変だし帰ったあとドっと疲れるということに気づき、もう呼ぶことはなくなりました笑)



5年生の頃には

少し体調悪そうな朝

学校休めば?と言うと

やだ!友だちに会いたいから行く😫と

泣くほどまでになりました



6年生のいま

改めて発達に関する検査をすると

グレー、でもない

いわゆる普通の子という診断になるが

できる、できないの特性は

ガタガタ

平均値でIQを出せば

平均の中にいるけど

一つ一つの項目をみれば

小学1年生程度と言われる

ところもある

情緒に問題が見られないため

いわゆる普通の子で普通級で

なんのフォローもサポートも

要らないでしょう


という判断にはなってしまう


学習障害については

きちんと診断がなされていないため

こちらは検査を待つとして


いま一番言われるのは

このままだと中学校で大変ですよ

ということ


今でもついていけないし

学校にいくのは

友だちに会いたいからという理由だけ

楽しく通ってるけど

授業はほぼ何も聞いていない


本人曰く

何を言ってるのかわからないし

聞いて理解しようとしてもついていけない

一生懸命聞くことが疲れるから

聞くのを諦めた


とくに苦しそうでもなく淡々と言う



そんな

何も聞いていない6時間の授業

つまらないんじゃない

どうやって一日の大半を

聞く気のない授業と暇つぶしで

過ごしているのかと聞くと

それでも学校は行った方が楽しい

休んで家にいることも多いけど

家でひとりで過ごす方が退屈だから

みんなといる方がいい

暇な時間は

手元にあるもので

※文房具

制作活動をしているか、寝てるか



最近では

作ったものや描いたものが

いつ出来るのかなと

楽しみにしている周りの友だちに

次々と欲しがられるそうで

自分の手元には何も残らない🤷‍♂️と

言っていた



5年生の頃から担任の先生にも

コミュニケーションスキルが高いと言われ

6年生の担任からは

周りのみんなが

彼に自然に手を貸したり

サポートしたりと

彼の不足をわかって補う

自然に手を差し伸べてもらえるような

愛される力が彼にはありますね

と言われた



わたしとしては

楽しそうに学校に行っているから

おっけー

行きたくなければ行かなくていいし

学校に合わせることで

彼の良さを無くしたくもなく



学校を矯正施設のように思いたくない

けれど

家を1歩出た社会というものに

関わっていくということも

体感しておいてもらいたい


自分の意志に関係なく

合わせなければいけないこともあり

合わせることができない時

どうやってその中で自分を置いておくのか

主体的に過ごせるようにも

なってもらいたい

だから行くも行かないも

どう過ごすのかも自分でまず決めること



そんなことをしながら

6年生になり

今月末

長男の引退試合の前日には

小学校最後の運動会がある



運動能力は高いのに

体育は嫌いな次男

みんなで合わせて同じことを、とか

競争をさせられる、とか

とても苦手


これまでの運動会は

2歳の保育園時代から

沢山見てきたけど


ほとんどが

地面の砂いじりに夢中な姿ばかり笑

下を向いて砂をいじって

なにかを描き

時々順番が来ると

いやいや

走ったり

踊ったり




保育園年長さんの運動会は

ソーラン節

オリジナルの法被も先生お手製で作り

カッコよくきまる姿に

うるうるしたけど

当の本人は

身体が大きいからという理由だけで

ここ一番のラストに

大漁旗を振るという大役に抜擢されてしまい

緊張で真っ白な顔をして

無表情で大きな旗を力いっぱい振るという

姿をみせてくれた



緊張しすぎる

人がたくさん観てるからやだ


そう言いながら大漁旗を振った年長さんから

6年経ち



今年もまた

ソーラン節



わぁ懐かしいねぇ🥹

年長さんの時も踊ったねぇ🥹

と言うと


あんなお子さまのソーラン節とは

訳が違うから🙂‍↔️

と一蹴され🤣


いかにしんどいか

実演でキツいポイントをみせてくれる




あー🥹大きくなったんだな



あんなに踊るのが苦手な子が

(ちなみに家ではよく踊るので体動かすそのものは嫌いじゃないと思う)


みんなが燃えてるから

ひとり悪目立ちするとかっこ悪いから

なんとなくではやり過ごせないから

みんなと同じくらいの

熱量があるように振る舞い

ちゃんと踊ろうと努力をしている



もちろんわたしとしては

踊りたくないからやらない、でも良い

嫌なら行かないでいいし

運動会も出なくたっていい


そう言うと


それはそれで嫌だ、と

やっぱり学校にいるからには

みんなと同じことも、したい




出来ないという悪目立ちも

本当はしたくない

その自立心が最近芽生えて

強くなっていて

出来ないまんまでわからないを通してきたことも

少しずつ

わかる、になりたい

そんな意志がようやく

みえるようになってきた




ふわっとして

可愛くて

いつまでも小さい子

みたいな感じだった次男も


反抗期の入り口で

いっぱしのことを言うようになってきた



なんていうのか

2人目、下の子って

上の子をみてきた余裕からか

いつまでも可愛く見えませんか


6年生になった今も

小さい頃とは違う可愛さがあり

最近ではとくに

自分のクセの強さが分かってきた次男が

どーでもいいことに

こだわって気になっちゃうシリーズの

話をよくわたしにしてくれるため

家で次男との会話が

クセの強いちょっと変わった

小さい大人との会話みたいで楽しい

本人も

そんなちっちぇーことどーでもいいって

思うんだけどー!

気になっちゃうんだよねぇ

と笑っている



運動会って何のためにやるの?

ほんとウザイんだけど!と言いつつ

一生懸命ソーラン節を覚え

本番を迎える



あんなに小さくてふわふわしてて

可愛いしかなかった次男も

背が伸びて

わたしの目線と並ぶようになり

寝顔を見れば

朝陽に照らされた横顔には

うっすら濃くなりつつある口元のうぶ毛


あー

大人になっちゃうんだな



子どもを育てていると

早く大きくなってくれ

早く育ってわたしを自由にしてくれ

などと

思ってしまう時も多々あったのに




今年成人を迎える長男

思春期の入り口にいる次男


長男を見てきたからわかる

ここからの成長

駆け上がるはやさ

中学校入学から高校3年生までなんて

本当にあっという間でした


次男も間もなく中学生



早く大きくなってくれと

願ってきたのに

大きくなってオトナびてくる

その横顔を見ていると

あどけなさの残る一瞬一瞬が

切なくて愛おしい





時を過ごすということは

あの頃に戻ることがない

本当に尊い一瞬一瞬を

重ねているということ

子どもをみているとより一層

そのことを感じます




小さかった頃

声変わりをする前の声

わたしの背丈を追い越す前


どれも戻れない




成長して大きくなって

巣立っていくこと

親としては本当に

望んで願った喜ばしいことなのに


背中合わせのように

しんみり切なくなるの

理不尽ですねほんと笑






小さくて幼くて

可愛かったその日々も

一生懸命夢中だったけど

必死にその姿と向き合ったから

懐かしく思い返せる

ということなんでしょうね



悲しい涙ではないけど


息子たちそれぞれの成長を

ただみているだけのような

何もしない母親だけど笑



愛おしいと思い

向き合ってきたことは

間違いない


自分の手を必要としなくなる

その姿に

よろこびと切なさが混ざる




とはいえやはり

嬉しいんです



頼れる家族のいない静岡に

ひとり親で移住したわたしは

当初、かなり心細くもあり

例えば遠方へ行きたい時も

子ども達を置いていく

という選択肢が消えて

絶望もした

わざわざ高齢の親を東京から呼ぶのも

大変だし

子ども達だけで置いていくにも

この子達が頼れる人

周りに誰も居ない孤立状態では

しのびない



そんな時もあったけど

このところようやく

母ちゃんいなくても大丈夫だよ

むしろ居なくていいよ←

と言われるようになり


長男が居てくれれば

学校のない日なら

わたしが1泊ぐらい居なくても大丈夫


ということも

出来るようになった



自由だと感じられる

選択肢が増えることは

子ども達が成長したから

得られたこと



子どもをもったことって

不自由でしかないんじゃないかと

泣きたくなることも多々あった

けれど





愛おしさと

尊さと

切なさと

不自由と

自由




色々を感じながら



残り少ない家族3人

(+猫🐱とレオパ🦎)

での暮らしを


慈しんで過ごそうと思います







わたしたちもいるのよ♡♡


トンネルなのに乗っかって座布団になってる笑