「歴史的観点から見たドゥマゲテ」第50回 1754年から1898年まで:19世紀のドゥマゲテ | kco-szkのブログ

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フィリピンでのCOVID-19による新しい条例をまとめていましたが、今はパンデミック中に学んだことやFB投稿の備忘録として活用しています。

 

ドゥマゲテ市観光局

今週のHISTORICAL POSTは、地元の歴史家T.バレンティーノ・シトイJr.による「歴史的観点から見たドゥマゲテ」をお届けします。#DumagueteHistory #DumaGetMe

「歴史的観点から見たドゥマゲテ」第50回 T・バレンティーノ・シトイJr.

1754年から1898年まで:19世紀のドゥマゲテ

下の表で、上記の4つの町の戸数は、Buzeta and Bravoの研究によるものである。その他の町の戸数は、ポブラシオンの人口を6で割って求めた。1850年、現在のネグロス・オリエンタル州の町の人口分布は、各町または自治体の誕生日とともに以下の通りである:

町 誕生年 1850年の人口(家屋/人口)

ギフルンガン 1748 (1837) 22 132

ヒヌバン(ラ・リベルタ) - 13 80

ジマラルド 1818 65 393

タヤサン 1701 49 296

アユンゴン 1799 50 300

マンジュヨド 1736 124 744

バイス 1801 76 458

タンジェイ 1580 337 2,024

アムラン 17351 5461 3,281

アユキタン - 63 377

シブラン 1720 (1837) 228 1,371

ドゥマゲテ 1620 896 5,374

バコン 1837 305 1,833

ダウイン 1660 317 1,903

シアトン 1660 252 1,513

合計 20,079

シブラン町とギフルンガン町には2つの町の設立日があるが、最初の設立が効果的でなかったため、両町とも後日設立し直さなければならなかったようである。

続く

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