①集中力をつけたい。情報処理力を10倍にしたい。うつ病治す治療家になりたい。国家試験に合格したい合格

②ゲリラ豪雨を浴びた後、電車電車に乗ってる間に服ワンピースを乾かしたい、と思ってたら、本当にほとんど乾いた。先日、店長からいただいた短パン履いて来て大正解だった。ほんとありがたい。

③沖縄タイムスでウミショウブの記事を読んだ。西表島美田良で11日の干潮のときに直径3ミリの雄花が一斉に開花ブーケ1して海波が白く染まった。と読んでもイメージしにくい。どんな光景なんだろう?
ウミショウブは海草の一種で、浅い海に生息する。インド洋から西太平洋、熱帯から亜熱帯にかけてみられる被子植物で、日本では石垣島と西表島以南でしか見られない。干潮のときに、3ミリほどの雄花が一斉に開花し、海一面が白く染まる。咲くのは5月から9月に一度きり。しかも干満の差が大きくなる大潮のときの3時間だけ。波や風、潮汐にあおわれて雄花が海面上を走り、海底近くから伸びるいくぶん大きな雌花にキャッチされる。潮が満ちるに従い、雄花も雌花に抱かれて海面下に沈み、受粉となる。このような受粉をするのはウミショウブだけなんだそうだ。年に一度だけ受粉するという切なさから、悲恋花という名前もつけられたとか。
かつては満月満月のときに開花すると考えられてたんだけど、新月新月のときにも咲くことがわかって謎を深めている。そもそも大潮どきをどうやって知るのだろう?とてもおもしろいお花ブーケ1だ。沖縄に旅するときは、大潮波の日を選んで行きたいな。

④今日はお客さまに感謝。女性のお客さまから「ああ~気持ちよかった~」って言われたの初めてかも。痛くしないように意識しはじめた成果かな。

⑤創世記14章13-16節

アブラムは当時、アモリ人マムレの樫の木の傍らに住んでいた。マムレはエシュコルとアネルの兄弟で、彼らはアブラムと同盟を結んでいた。アブラムは、親族の者が捕虜になったと聞いて、彼の家で生まれた奴隷で、訓練を受けた者三百十八人を召集し、ダンまで追跡した。夜、彼と僕たちは分かれて敵を襲い、ダマスコの北のホバまで追跡した。アブラムはすべての財産を取り返し、親族のロトとその財産、女たちやそのほかの人々も取り戻した。

ダンは、後にダン族が奪う北方の土地。ロトさんと分かれた直後に神様からおもいっきり祝福されたアブラハムさんが、ロトさんたちを救出すると、サレムの祭司王が出てきてパンとぶどう酒で祝福される。よく考えたら、アブラハムさんはここでも神様の命令とは関係なしに自分で考えて行動してる。しかもアモリ人3人と同盟してる。そういえば、エジプト人とは食事は別々にとるから契約は結べないのだった。アブラハムさんについても、まだ取りこぼした部分がありそうだ。
①集中力をつけたい。情報処理力を10倍にしたい。うつ病治す治療家になりたい。国家試験に合格したい合格

②夕食は西中島のマクロビのレストランでいただきたいナイフとフォークというわけでいただいた。お豆腐のソテーがめちゃ美味しかった。量もちょうど腹八分目。素材も量も味もバッチリで満足したのだニコニコ

③昨日のアルカホー飲料は0ml

④今日はクラスの同じ班のメイトにサンキューだ。っていうか、毎週火曜日の授業でたいへん世話になっている。僕が患者役でカルテ作成してきたんだけど、自分のあまりの老化ぶりにだんだんしょげてきて、お任せしてきた。自虐ネタで笑いがとれてそれなりに楽しいんだけど、ここまで不健康だと洒落にならん。
しかし、ここから回復して健康になりたいと思っているし、その経験を通して人を癒す仕事をしたいと思って学校学校に来たんだ。いつまでもしょげてるわけにはいかないな。

⑤メルマガ「天才のヒント」より

自分が何を大事にしているのかよくわからないという人は、
・これだけは譲れないこと
・これをされるとイヤだなと思うこと
を考えてみると、自分らしさが見えてくるかも知れないですね。


僕は差別をみる許せなくなる。日本人の村八分的な習慣も大嫌いだ。これだけは譲れない。だから、日本においてどんなに村八分にされたり、差別されることがあっても、はっきり言うべきことを言ってくれる存在はとても大切だと思っている。

たとえば、偶像崇拝は神様に背くことになるからやってはいけないと言うクリスチャンは日本にもいる。クリスチャンが圧倒的大多数で偶像を打ち壊してまわり、政府に圧力をかけて強大な権力を握ったりしたら、キリスト教は日本人の村八分といった習慣にみごと溶け込んだことになるかもしれない。そしたら僕は偶像崇拝しまくって、権力側であるクリスチャンに敵対するかもしれない。しかし、現実はまったく違う。クリスチャンは世界的には巨大な勢力であっても、日本においては1%しかいないマイノリティだ。

日本人のほとんどは無宗教で、何らかの信仰に熱心な人をみるとすぐに後ろ指をさすことがある。日本で信仰をつづけるクリスチャンたちは、信仰にとって極めて困難な日本社会で、信じたものを曲げることなく信じつづけている。村八分とか差別というものがどういうものか、身をもって知っている人も少なくないから、信仰をベースとしながらも様々な現場で支援活動を展開したりしているんだと思う。

どんな目に遭っても信じたことを曲げず、言うべきことをはっきり言う。日本人に決定的に欠けているものをクリスチャンはちゃんともっているんじゃないかと思う。とても貴重な存在だ。空気を恐れてばかりいないで、言うべきことをはっきり言う。なおかつ、コミュニケーションを根気よくとりつづける。こういう柔軟かつ頑固な生き方をクリスチャンからも学んできたんだ。
①集中力をつけたい。情報処理力を10倍にしたい。うつ病治す治療家になりたい。国家試験に合格したい合格

②若干二日酔いなのでサバ食べたいフグ

③今日は勤め先の中国整体院で事件があった。いや、事件が起きないようにしておいた。来店した中国人男性2人が見るからにあやしい感じがした。1人は50代に見えて腎や心のツボを押すとずいぶん痛がってた。もう1人は30代に見えて丸刈り頭。2人とも背が低くて165センチ以下。カルテの字は震えたような感じで、同僚が中国語で話したところ、酒の飲み過ぎで身体が悪いという。30分の施術が終わり、その2人が帰った後、ちょうど院長が来て、同僚がその2人のことを話すと、院長が対策を考え始めた。適当に忘れ物があったことにして、着信履歴から電話をかけ、忘れ物をしていないか?と尋ねる。すると、向こうは、こちらが電話番号を知っていることを知ることになり、犯罪を企てる気を起こさなくなる、というもの。それはやっておいて損はないと思い、僕が電話してやってみた。携帯電話に出てきたのはやはり先ほどの客だけど、カルテに自ら記入した日本人名で呼んでも、あまり反応しない。忘れ物の話をしても理
解しづらいということで、日本語わかる人に電話かわるといって別の人が電話に出た。今度は女性なんだけど、やはり中国人で、同じ話をしても理解できない様子。院長が受話器の横から、名前言ってくださいと言うと、結局またもとの男性に戻った。また同じ要件を繰り返し、忘れ物を警察に届けると言うと、もう届けたのか?と聞いてきた。そもそも日本語が分からないのでこれだけでは決定的ではないんだけど、こちらの目的は、相手に犯罪を起こそうという気にさせないことであって、相手が本当に犯罪者かどうかはあまり関係ない。同じ姿勢でプレッシャーをかけつづけると、向こうが一方的に電話を切り、しばらく後に、忘れ物をしたとカマかけられた本人が来た。こちらが忘れ物について小芝居をした後、また何かあったら連絡するからあなたの連絡先をカルテに書いてください、と院長が何度も言うけれども、頑として書かない。日本人名をカルテに書いてるので、あなた日本人ですか?と尋ねると、はい、日本人です、と平然と答える。そうするうちに相手は勝手に立ち去ってい
った。院長は携帯持って追いかけ、わざと相手にわかるように動画を撮影して帰ってきた。
どうしてそこまで?と思うところかもしれないけど、中国人である院長としては、自分の身は自分で守るのが当たり前みたいだ。中国人の犯罪者が日本で狙うのは、実は日本人ではなくて、中国人だという。日本で日本人に犯罪をおかすと、日本の警察が捜査に乗り出してくるからだと言ってた。ということは、日本における中国人の安全はどうなってるの?と思った。同僚の中国人は若い女性なので、狙われるかもしれないと怯え、ご主人に迎えに来てもらって早退した。
中国人の犯罪といえば、日本人が中国人に狙われることが問題にされがちだけど、外国人という不安定な身分につけこんで狙われるのは中国人という実態がもしかしたらあるのかもしれない。日本で暮らす中国人は大勢いて、中国人の犯罪者に狙われそうな中国人は今後ますます増えるだろう。特に少子化した日本の労働力不足を埋めるかたちで、介護の仕事をしる中国人が増えていく可能性がある。日本人の代わりに日本人の世話をする中国人が、中国人犯罪者の餌食にされるなんてひどい悪夢だ。日本で真面目に働く中国人の生活と財産を、日本が守るという視点も必要なんだと、今日初めて思った。

④というわけで、同僚の中国人女性は、退職予定を前倒しして、今日でお別れとなった。中国語の単語と発音をいくつも教えてくれたし、中国人のことをいろいろと聞かせてくれた彼女に感謝。これからも、日本で楽しく安全に暮らしますように。

⑤イザヤ書56章1-3節
「異邦人の救い」

主はこう言われる。
正義を守り、恵みの業を行え。
わたしの救いが実現し
わたしの恵みの業が現れるのは間近い。
いかに幸いなことか、このように行う人
それを固く守る人の子は。
安息日を守り、それを汚すことのない人
悪事に手をつけないように自戒する人は。
主のもとに集って来た異邦人は言うな
主は御自分の民とわたしを区別される、と。

聖書には帰留の外国人を守るようにという律法が繰り返し出てくる。といっても、イスラエルの神様を信仰するなら、ユダヤ人と同じように暮らすことができるという条件つき。思想信条の自由どころではない、神々の闘いがあったみたい。昔は世界共通の正義とかルールとかを立てるのが今よりずっと難しかったんだろうな。でも、今では、共通の正義というものを立てられる可能性があると思う。人間には誰にでも良いところがあるのだから、よく知らない隣人でも、困っていれば助けるのがよい、というのはわかりやすい。人間には誰にでも良いところがあるけれども、自分で自分の身を守る必要上疑ってかかるべきケースもある、というのは今日学んだ。みんながみんな神様に仕えて正義を行うようななるまでには途方もない歳月を要するし、その間にも自分の身を守ることはせざるを得ないのだろう。生きていて罪のない人はいないのかもしれない。罪なくして、誰かを守ることはできないのかもしれない。自分を犠牲にするリスクを負うことで、人を疑う罪を贖おうという気持ちは、も
しかしたら、初めから世界共通なのかもしれない。