①集中力をつけたい。情報処理力を10倍にしたい。うつ病治す治療家になりたい。国家試験に合格したい
②若干二日酔いなのでサバ食べたい
③今日は勤め先の中国整体院で事件があった。いや、事件が起きないようにしておいた。来店した中国人男性2人が見るからにあやしい感じがした。1人は50代に見えて腎や心のツボを押すとずいぶん痛がってた。もう1人は30代に見えて丸刈り頭。2人とも背が低くて165センチ以下。カルテの字は震えたような感じで、同僚が中国語で話したところ、酒の飲み過ぎで身体が悪いという。30分の施術が終わり、その2人が帰った後、ちょうど院長が来て、同僚がその2人のことを話すと、院長が対策を考え始めた。適当に忘れ物があったことにして、着信履歴から電話をかけ、忘れ物をしていないか?と尋ねる。すると、向こうは、こちらが電話番号を知っていることを知ることになり、犯罪を企てる気を起こさなくなる、というもの。それはやっておいて損はないと思い、僕が電話してやってみた。携帯電話に出てきたのはやはり先ほどの客だけど、カルテに自ら記入した日本人名で呼んでも、あまり反応しない。忘れ物の話をしても理
解しづらいということで、日本語わかる人に電話かわるといって別の人が電話に出た。今度は女性なんだけど、やはり中国人で、同じ話をしても理解できない様子。院長が受話器の横から、名前言ってくださいと言うと、結局またもとの男性に戻った。また同じ要件を繰り返し、忘れ物を警察に届けると言うと、もう届けたのか?と聞いてきた。そもそも日本語が分からないのでこれだけでは決定的ではないんだけど、こちらの目的は、相手に犯罪を起こそうという気にさせないことであって、相手が本当に犯罪者かどうかはあまり関係ない。同じ姿勢でプレッシャーをかけつづけると、向こうが一方的に電話を切り、しばらく後に、忘れ物をしたとカマかけられた本人が来た。こちらが忘れ物について小芝居をした後、また何かあったら連絡するからあなたの連絡先をカルテに書いてください、と院長が何度も言うけれども、頑として書かない。日本人名をカルテに書いてるので、あなた日本人ですか?と尋ねると、はい、日本人です、と平然と答える。そうするうちに相手は勝手に立ち去ってい
った。院長は携帯持って追いかけ、わざと相手にわかるように動画を撮影して帰ってきた。
どうしてそこまで?と思うところかもしれないけど、中国人である院長としては、自分の身は自分で守るのが当たり前みたいだ。中国人の犯罪者が日本で狙うのは、実は日本人ではなくて、中国人だという。日本で日本人に犯罪をおかすと、日本の警察が捜査に乗り出してくるからだと言ってた。ということは、日本における中国人の安全はどうなってるの?と思った。同僚の中国人は若い女性なので、狙われるかもしれないと怯え、ご主人に迎えに来てもらって早退した。
中国人の犯罪といえば、日本人が中国人に狙われることが問題にされがちだけど、外国人という不安定な身分につけこんで狙われるのは中国人という実態がもしかしたらあるのかもしれない。日本で暮らす中国人は大勢いて、中国人の犯罪者に狙われそうな中国人は今後ますます増えるだろう。特に少子化した日本の労働力不足を埋めるかたちで、介護の仕事をしる中国人が増えていく可能性がある。日本人の代わりに日本人の世話をする中国人が、中国人犯罪者の餌食にされるなんてひどい悪夢だ。日本で真面目に働く中国人の生活と財産を、日本が守るという視点も必要なんだと、今日初めて思った。
④というわけで、同僚の中国人女性は、退職予定を前倒しして、今日でお別れとなった。中国語の単語と発音をいくつも教えてくれたし、中国人のことをいろいろと聞かせてくれた彼女に感謝。これからも、日本で楽しく安全に暮らしますように。
⑤イザヤ書56章1-3節
「異邦人の救い」
主はこう言われる。
正義を守り、恵みの業を行え。
わたしの救いが実現し
わたしの恵みの業が現れるのは間近い。
いかに幸いなことか、このように行う人
それを固く守る人の子は。
安息日を守り、それを汚すことのない人
悪事に手をつけないように自戒する人は。
主のもとに集って来た異邦人は言うな
主は御自分の民とわたしを区別される、と。
聖書には帰留の外国人を守るようにという律法が繰り返し出てくる。といっても、イスラエルの神様を信仰するなら、ユダヤ人と同じように暮らすことができるという条件つき。思想信条の自由どころではない、神々の闘いがあったみたい。昔は世界共通の正義とかルールとかを立てるのが今よりずっと難しかったんだろうな。でも、今では、共通の正義というものを立てられる可能性があると思う。人間には誰にでも良いところがあるのだから、よく知らない隣人でも、困っていれば助けるのがよい、というのはわかりやすい。人間には誰にでも良いところがあるけれども、自分で自分の身を守る必要上疑ってかかるべきケースもある、というのは今日学んだ。みんながみんな神様に仕えて正義を行うようななるまでには途方もない歳月を要するし、その間にも自分の身を守ることはせざるを得ないのだろう。生きていて罪のない人はいないのかもしれない。罪なくして、誰かを守ることはできないのかもしれない。自分を犠牲にするリスクを負うことで、人を疑う罪を贖おうという気持ちは、も
しかしたら、初めから世界共通なのかもしれない。

②若干二日酔いなのでサバ食べたい

③今日は勤め先の中国整体院で事件があった。いや、事件が起きないようにしておいた。来店した中国人男性2人が見るからにあやしい感じがした。1人は50代に見えて腎や心のツボを押すとずいぶん痛がってた。もう1人は30代に見えて丸刈り頭。2人とも背が低くて165センチ以下。カルテの字は震えたような感じで、同僚が中国語で話したところ、酒の飲み過ぎで身体が悪いという。30分の施術が終わり、その2人が帰った後、ちょうど院長が来て、同僚がその2人のことを話すと、院長が対策を考え始めた。適当に忘れ物があったことにして、着信履歴から電話をかけ、忘れ物をしていないか?と尋ねる。すると、向こうは、こちらが電話番号を知っていることを知ることになり、犯罪を企てる気を起こさなくなる、というもの。それはやっておいて損はないと思い、僕が電話してやってみた。携帯電話に出てきたのはやはり先ほどの客だけど、カルテに自ら記入した日本人名で呼んでも、あまり反応しない。忘れ物の話をしても理
解しづらいということで、日本語わかる人に電話かわるといって別の人が電話に出た。今度は女性なんだけど、やはり中国人で、同じ話をしても理解できない様子。院長が受話器の横から、名前言ってくださいと言うと、結局またもとの男性に戻った。また同じ要件を繰り返し、忘れ物を警察に届けると言うと、もう届けたのか?と聞いてきた。そもそも日本語が分からないのでこれだけでは決定的ではないんだけど、こちらの目的は、相手に犯罪を起こそうという気にさせないことであって、相手が本当に犯罪者かどうかはあまり関係ない。同じ姿勢でプレッシャーをかけつづけると、向こうが一方的に電話を切り、しばらく後に、忘れ物をしたとカマかけられた本人が来た。こちらが忘れ物について小芝居をした後、また何かあったら連絡するからあなたの連絡先をカルテに書いてください、と院長が何度も言うけれども、頑として書かない。日本人名をカルテに書いてるので、あなた日本人ですか?と尋ねると、はい、日本人です、と平然と答える。そうするうちに相手は勝手に立ち去ってい
った。院長は携帯持って追いかけ、わざと相手にわかるように動画を撮影して帰ってきた。
どうしてそこまで?と思うところかもしれないけど、中国人である院長としては、自分の身は自分で守るのが当たり前みたいだ。中国人の犯罪者が日本で狙うのは、実は日本人ではなくて、中国人だという。日本で日本人に犯罪をおかすと、日本の警察が捜査に乗り出してくるからだと言ってた。ということは、日本における中国人の安全はどうなってるの?と思った。同僚の中国人は若い女性なので、狙われるかもしれないと怯え、ご主人に迎えに来てもらって早退した。
中国人の犯罪といえば、日本人が中国人に狙われることが問題にされがちだけど、外国人という不安定な身分につけこんで狙われるのは中国人という実態がもしかしたらあるのかもしれない。日本で暮らす中国人は大勢いて、中国人の犯罪者に狙われそうな中国人は今後ますます増えるだろう。特に少子化した日本の労働力不足を埋めるかたちで、介護の仕事をしる中国人が増えていく可能性がある。日本人の代わりに日本人の世話をする中国人が、中国人犯罪者の餌食にされるなんてひどい悪夢だ。日本で真面目に働く中国人の生活と財産を、日本が守るという視点も必要なんだと、今日初めて思った。
④というわけで、同僚の中国人女性は、退職予定を前倒しして、今日でお別れとなった。中国語の単語と発音をいくつも教えてくれたし、中国人のことをいろいろと聞かせてくれた彼女に感謝。これからも、日本で楽しく安全に暮らしますように。
⑤イザヤ書56章1-3節
「異邦人の救い」
主はこう言われる。
正義を守り、恵みの業を行え。
わたしの救いが実現し
わたしの恵みの業が現れるのは間近い。
いかに幸いなことか、このように行う人
それを固く守る人の子は。
安息日を守り、それを汚すことのない人
悪事に手をつけないように自戒する人は。
主のもとに集って来た異邦人は言うな
主は御自分の民とわたしを区別される、と。
聖書には帰留の外国人を守るようにという律法が繰り返し出てくる。といっても、イスラエルの神様を信仰するなら、ユダヤ人と同じように暮らすことができるという条件つき。思想信条の自由どころではない、神々の闘いがあったみたい。昔は世界共通の正義とかルールとかを立てるのが今よりずっと難しかったんだろうな。でも、今では、共通の正義というものを立てられる可能性があると思う。人間には誰にでも良いところがあるのだから、よく知らない隣人でも、困っていれば助けるのがよい、というのはわかりやすい。人間には誰にでも良いところがあるけれども、自分で自分の身を守る必要上疑ってかかるべきケースもある、というのは今日学んだ。みんながみんな神様に仕えて正義を行うようななるまでには途方もない歳月を要するし、その間にも自分の身を守ることはせざるを得ないのだろう。生きていて罪のない人はいないのかもしれない。罪なくして、誰かを守ることはできないのかもしれない。自分を犠牲にするリスクを負うことで、人を疑う罪を贖おうという気持ちは、も
しかしたら、初めから世界共通なのかもしれない。