A: こげーな本が出るゆうんで、楽しみにしょーたんよ。
 (こんな本が出版されると聞いて、楽しみにしていたのですよ。)

B: ほーん、そりゃーそりゃー。
 (ほう、それはそれは)


いにしえ吉備の自転車古墳さんぽ/NPO法人吉備野工房ちみち 編

¥1,050
Amazon.co.jp


A: 梅田のJュンク堂に行きゃーあるかー思うて行ってみたんじゃけど、郷土本の所にもありゃーせんが。
 (梅田のJュンク堂に行けば置いてあるかと思っていってみましたが、郷土本のコーナーにも置いていなかったのですよ。)

B: あんた、そげーな本を大阪の人らーが読むわけがなかろー。
 (あなた、その様な本を大阪の人が読むはずもないでしょう。)

A: せーじゃけど、岡山じゃったらM脇書店やこうに、平積みーなっとるゆーが。
 (そうなんだけど、岡山ならばM脇書店などに、平積みで売っていると聞きましたよ。)

B: あそかー、岡山でもでぇれぇ大きーけー。
 (あの書店は岡山でもとても規模が大きいからですよ。)

A: しょーがねーから、Amazonか楽天で買うことにすらーよー。
 (仕方がないので、Amazonが楽天で買うことにしますね。)

B: そーせられー
 (そうしたほうがいいよ)

A: 来たら貸したげらーよー。
 (来たら貸して上げますからね。)

B: わしゃー、えーわー。
 (私は遠慮しておきますよ。)

A: ........ 。
 (........ 。)



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いや、ごめんなさい。買いますよ、買います。
5月5日 子供の日。



主役の甥っ子君はもう帰ってしまっており、例のごとく実家は求心力を失ってしまった状態。従兄が来ているとはいえ、いまさら特別扱いされはしない。


実家の車は空いているし、天気も快晴。午前中の早い内から出かける事にした。


久しぶりにハンドルを握り、西方向へ。


高梁川を越えて向かうは【ウェルサンピア岡山総社】、私らの世代には『厚生年金休暇センター』と言ったほうがピンと来るだろう。あの流れるプールに行くことが昭和50年台、総社の子供の夏の一大ステイタスであった。


ここまで来たのも20年以上ぶり?、もうよく分からないくらい昔の話。建物の雰囲気も変わっており、駐車場の場所もこんな感じだったかなと、正直記憶も曖昧。とりあえず車を止める。


駐車場前の施設案内板に『古墳群』の文字。うっすらと記憶にあるこの看板。この駐車場の横が古墳群となる。少し高くなっているので上がってみる。


 $邪馬台国吉備説派宣言

金子2号墳。


確かにかつての小学生コフニストの記憶にはある。建物との位置関係とかやっぱり記憶曖昧。
(その横には6号墳、道を鋏んだ反対側の丘に金子1号墳があったようです。下調べ不足が悔やまれます。)


それでは山の方へ、舗装が無くなり一気に山道モードです。快晴とはいえ、前の雨で少し足元は悪い。


少し歩くと左側、茂み越しに小さな神社らしき建物。そこを過ぎた辺りから、人為的に伐採し、藪払いされ、地面がはっきりと見えている状態に。

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ここは?と思い登ってみた。

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仏塔?(どういう名称が正しいのか分からない。)が建つ。そう、ここは聖なる山、正木山。


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仏塔から神社方向。奥までに何個か地面の高まり、ここは『何か』ではある。 
前準備の無さがあらためて露呈。よく分からなくなってきた(笑)。こんなときスマフォは便利、充電もバッチリ。ブログ『古墳奮闘』を参考にさせて頂くことにした。


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さあ、一気に山道が信仰心溢れるものになってまいりました。もはや参道です、晴天も後押しして最高の雰囲気。都会生活で荒んだ心があらわれます。


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さらに歩を進めます。時に大木が行路を遮ります。


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この辺りから、右手の尾根の頂にかけて、大々的に伐採されて地形がよく分かります。頂上が見えてます、あそこに行きたいんです。でもどっから登ればいいのか。

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尾根部分の北側まで上がると、細い道が付いていてそれを登ります。


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上まで登ると、大きな石が見えてきます。


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白く大きな四角い石、何個か連続で並ぶ、こ、これは?!


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尾根の頂に向かって、ここも何個か高まりがあります。もう全て『何か』です。


そして、尾根の頂には大きな高まりが2つ。

これが今日の目的。 一丁ぐろ古墳(1号墳)であります。

総社市のHPの記載によると、全長74mの前方後方墳。総社市内では最大の前方後方墳で、岡山県内でも第2位の大きさとの事。

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昨年末の調査のため伐採されて墳丘形状がよく分かる、尾根の頂上という立地もあってか、墳丘が非常にリアルに残っている。


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前方部の端から後方部、後方部墳丘面にもお地蔵様。

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前方部に登って、後方部を望む。後方部墳頂にもまた仏塔、はるか昔からありがたい場所。

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後方部仏塔。基礎の部分の石が石室?上の薄い石が石室の蓋だとかどこかのblogに書いてあった。


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後方部から前方部、新聞記事によると墳丘端に、列石や小さな別の埋葬もあるとのこと。


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周りの集石色々。これが別の埋葬ということか。


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墳頂から市内を望む。当時はどのような眺望であったか想像もつかない。が、水と緑に囲まれたこの故郷が吉備勢力の一端を担ったであろうことには何の疑問もない。


当時は墳丘面には拭石が敷き詰められ、今日のような天気の良い日には、下からは光輝いて見えたことだろう。大きな力を持った首長の奥津城に相応しい。


網と虫かごを持った子供のごとく、時間の許す限りカメラを手に墳丘を駈けずり回った。


結局、午前中を費やし昼前に帰宅。午後はまた違うところへと画策していたが、午前の登山で力を使い果たしてしまい断念した。

一丁ぐろ古墳群だけで精神的に満足してしまった部分も大きい。あと、喉の渇きに耐えられず、昼にビールを呑んでしまった点も(汗)



== 各種参考資料 ==

【一丁ぐろ古墳現地説明会】
 

【総社市HP】
市指定_一丁ぐろ古墳群

【古墳奮闘】
一丁ぐろ古墳群=南支群
一丁ぐろ古墳群=調査2
金子古墳群
 ※主宰者様には私のmixiへの投稿記事に対しても、丁寧な解説コメント頂きました。この場を借りてお礼申し上げる次第です
「爆発的に喋るようになった。」



とは、G.W.の帰省に際して、弟から入ってきた甥っ子君の現在の状況。


正月の帰省時以来だから、4ヶ月。その時は喋っても単語程度、まだあまり喋らないなという印象を持っていた。そして、そこから爆発的ってどの程度なんだろう、と。


実際目の当たりにして驚いた。成長期の4ヶ月とはこれほど変わってしまうのかと。


カメラを向けても、以前はそんなことお構いなしこちらの気も知らずわが道を行っていたのが、ポーズはキメてくれるし、ピースサインも出してくれる。

シャッターを切れば、「何撮ったの~?」とこちらに駆け寄ってくるので、再生して見せてあげないといけない。


歌も歌うし、私が食卓にて焼酎を呑んでいると私の前に座ってきておばあちゃんにお水を要求、私の乾杯にも応えてくれました。



あまりにも正月の時から成長変化著しく、「自分、正月の時そんなキャラちゃうかったやんっ」ってツッコミたくなる。




恐るべし4ヶ月。爆発的成長。微笑ましいことこの上なし。




あと一番面白かったのが、「~食べる?」「~しようか?」という問いかけに対して、「うん」とか「食べる」ではなく、


  「 はぁい 」 (語尾を上げるテンション高い感じでなく、クレームを受けるお客様相談係的に)


と、返すところ。


弟が義妹に対して「はぁい」と返すことがありそれがルーツの様子。それもまた微笑ましい。



保育園にも通い始めるとの事、そうなると入ってくる言葉の数が桁違いでしょうから、この感じは期間限定。


次はお盆までの3ヶ月。また成長していることでしょう。

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ふと気つけば、ここ最近の投稿ネタは古墳ネタばかり、これでは墓参りブログである。



4月になってもまだまだ肌寒いが、空は快晴。ブログネタという訳でもないがカメラを持って外にでた。(実の所はコートをクリーニングに出すついで、何のことはないただの家事。)



自転車跨って数分、阪急神戸線沿い武田製薬の辺り、やはり今年はまだ満開とは行かず、微妙な感じ。



すれ違った自転車のお兄さんが趣味レベルには当てはまらない大きなレンズのカメラを構えており、同じ目的と思えどそのお兄さんも微妙な花ぶりにシャッターを切る気にはならない様子。



本来の目的、クリーニング出して十三公園へ、すこし肌寒い気温もなんのその。多くの人手、宴会中。



宴席の車座を横目に人の居ない所で数枚シャッターを切る。

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ついでに傍にあったパンジーをトイフォトフィルターにて撮ってみた、雰囲気でます。

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コートもクリーニングに出しました。も少し暖かくならんもんかいね。
先日、まだまだ暖かいとは言えない微妙な気温の中、高槻の今城塚古墳に行って参りました。


JR高槻駅から市バス。岡山弁で思わず、「といー」(遠い)。 

バス停降りてすぐ目に入る今城塚古代歴史館。開館一周年記念の特別展示中。


常設展示は無料。すばらしい。

発掘資料はは今城塚古墳の最大の特徴ともいえる懐かしきNHK「おーい、はに丸」の世界。


邪馬台国吉備説派宣言
はにゃ?(← アラフォーにしか分かるまい。)



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はにゃ~?(← しつこい。)


さあ、今城塚古墳の方に移動します。通路も綺麗に整備されております。


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すぐ目につくのが堤の横のテラス状の場所に規則的に並べられた多数の埴輪類、ただの賑やかしでもなんでもなくて、実際にこの場所から大量に出土されており、当時の様子の再現となっています。

邪馬台国吉備説派宣言
まさに日本の兵馬俑

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一体が公園として整備されており、集壕部分は広場に。

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後円部から作り出し、そして奥が前方部分。作り出しのところに家族連れ。 
人と比べると大きさがよく分かる。後方部から墳丘へ。


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前方部てっぺんから後円部方向、1596年の伏見地震により墳丘が地すべりを起こしていて形を成していないです。



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石室が基礎ごと地すべりを起こして石棺ごと埋まってた場所、もったいない限り。


墳丘を一通り回って、時間は昼過ぎちょいの微妙な時間。


実は前方部方向の道路の向こうに回転寿司を見つけていて、そこでビールを呑んでしまうといういつものダメ親父パターン。


「古墳みて酒飲んで、一体なにやってんだろう」と自戒の念に駆られるも、古墳と酒、現在の自分の琴線に触れる2大要素を目の前にして一体何が不満なのかと自問自答。






【おーい、はに丸:NHK】
http://www.nhk-character.com/chara/hanimaru/

【インターネット歴史館:高槻市HP】
http://www.city.takatsuki.osaka.jp/rekishi_kanko/rekishi/rekishikan/