小学2年か3年の時、国語で本を読まされた。
昔話?に入るような話だった。
村にやって来た新しい人が、村の常識を破って、新たな作物に?取り組んだ。
最初はもう一つだったが、諦めずに取り組んでいくと成功し、
お陰で、村は「豊か」になった、という話だった。
「豊か」というところは、2年生か3年生にはまだ早かったのか、
「ゆたか」か「ユタカ」と書いてあった。
私は「ゆたか(ユタカ)」という言葉を知らなかったので、
その平仮名かカタカナの字ずらから、脳内自動変換に従い、
それから村は「ユカタ(浴衣)」になりました、と読んだ。
学級内は大笑いとなった。
間違ったのだなと思い、私はもう一度、ゆっくりと、ユ・タ・カになりましたと読み直した。
*******
それ以来、私は「なぜ、あの時読み間違ったのだろう」と思っていた。
小学5年か6年になると、その理由が分かって来た。
私は、生活に苦労する毎日から「貧乏」という言葉と、
その反対語?である「金持ち」という言葉は知っていたが、
裕福とか豊かとかいう言葉は知らなかったからだ。
単に、語彙の不足だったのかも知れないが・・・
(なぜ、語彙が不足するのか、という問題は、まだ分からないでいた)
*******
最近また、「豊か」について考える。
我が国は、この30年ほど、経済成長がストップしているだけでなく、
30年前より貧乏になっているらしい。
ストップなら停止であって、低下ではないのではないかと思ったりするのだが、
でも、一般的には、貧乏になった、と言われているようだ。
それは外国と比較するからではないかと思ってしまう。
では、外国のどこのレベルの人達と比較するのだろうか。
外国は、概ね、支配者と奴隷の国であるらしい。
外国の貧しい人達のことは考えもせず、裕福な方達と自分を比較するのは、
正しくないのではないかと思う。
*******
「豊か」であるとは、何だろうか。
民の竈は賑わいにけり、ではないが、
自分だけが豊かになろうとする「今だけ金だけ自分だけ」では、
「豊か」なものは手に入らないのではないだろうか。
「日本は貧しい、だが高貴だ」と言ったフランスの詩人の言葉が思い出される。