しんさんには会えない  吉原志穂子さん | かずとのたびのブログ いい出会いと記憶 田舎爺の人生

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「画像はほとんど拝借です」
爺の故郷は山の裾 トンボも蝶チョも飛んでいた
過ぎ来し方を振り返り 明るく生きて参ります
孫の成長楽しみに いつか旅立つその日まで

おかあさん(上)高峰三枝子編 角川文庫 昭和51年2月発行より

 

  しんさんには会えない   福岡県田川郡 吉原志穂子さん 主婦33歳

 

 

 小さかった頃 おばあちゃんに

 「しんさんに会っちゃいけないよ」と

 言われた言葉を いまも忘れない

 

 母の名前は志津子

 十歳の私と やっと四歳になったばかりの妹を捨てて

 三人目の男の人へと行ってしまった母

 いくら会うなと言われても

 幼い妹は 近所に住む母にりんごをもらっては

 私に小さな声で「しんさんにもらったよ」と言う

 何もわからない妹に「返してきなさい」とどうして言えよう

 その時から 心の中にはっきり決めました 親はいないと

 小さな妹がいじらしい

 母のいない妹は 私を母のようにしたう

 私が学校へ行く前になると

 おじいちゃんからおそわった言葉

 「はよう帰ってござんしいな」

 その言葉を いまも忘れない

 

 二十年が過ぎました

 ニ~三年まえ 偶然にも

 三人目の夫に死に別れた母が 近所へこしてきました

 私の父も 妹の父とも

 そして三人目の人との間に 二人の子供を残して死なれた母

 いまでは 二人の子供も大きくなり嫁いでいき

 ひとりぼっちの母

 あるとき 私は母に言いました

 「三回も結婚して・・・」

 「二人目までは 私の意思ではなかった」と

 小さな声で言われたとき

 「どうして私達を捨てていったの」

 その言葉がでませんでした

 

 

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志津子さんという女性は、壮絶なは人生を送られたのですね。

詩の作者の志穂子さんは妹さんと一緒に暮らされていたのですから、

志穂子さんを連れて、妹さんのお父さんと再婚されたのでしょう。

 

三度目の結婚の時は、何かの事情で、志穂子さんと妹さんを一緒に連れて行くことが

出来なかったのだと思います。

でも、やはり近くで見守りたいので、近くに住まれていたのでしょう。

 

その三人目の夫も亡くなり、(さらに、子供さん二人も嫁がれて)志津子さん一人になった時、

最初の娘である志穂子さんの嫁ぎ先の近所に、引っ越してこられたのでしょう。

 

志津子さんは、「あなた達を捨てて行ったのではない、置いていくしかなかった」と、

心の中で泣いて叫んでおられたのかも知れません・・・