ガソリンスタンドでのアルバイト | かずとのたびのブログ いい出会いと記憶 田舎爺の人生

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爺の故郷は山の裾 トンボも蝶チョも飛んでいた
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孫の成長楽しみに いつか旅立つその日まで

高校の授業は1月末で終わったので、

2月から、シンジは唐津のガソリンスタンドでアルバイトを始めた。

教会の神父さんか牧師さんが紹介してくれたのだ。

 

中学の同級生、高校の同クラス生と3人でアルバイトに通った。

 

そこは民族系石油会社のガソリンスタンドで、

最初に中心のスタンドに出勤したとき、

社長さんが、「我が社は民族系の石油会社の系列である。

そのことに誇りをもって勤めて下さい」と訓示された。

 

その時は、社長さんの訓示の意味がよく分からなかったが、

その後社会に出て、いろいろと経験し、少しずつ言われた意味が分かるようになった。

 

まずは、ガソリンの給油だが、ガソリンの給油口を見つけるのに苦労した。

左右の後部両側にあるものは分かりやすいが、

ナンバープレートに隠されているタイプのものが分りにくかった。

見つけられず、ドライバーに聞いて教えてもらったこともあった。

 

一週間もすれば分かるようになっていったが、

それ以後、就職しても、しばらく自動車を見ると給油口を探す癖が治らなかった。

 

トラックの経由給油の時は、給油レバーを握り続けるのが大変だった。

何しろ、百リッターくらい入る小型ドラム缶みたいなものが、二つ並んで付いていた。

握力が必要だった。

 

灯油や重油の配達もあった。病院などに配達するのだった。

配達担当のK本さんが運転する軽トラの助手席に乗ってついて行った。

 

当時、ガソリンは、1リットル50円前後、灯油は1リットル20円位だった。

重油の値段は覚えていない。

 

重油はその名の通り重かった。暖房用のボイラーの燃料タンクに上から注ぎ込むのだが、

シンジは、灯油缶18リットルは抱え上げることが出来たが、

重油缶18リットルは抱え上げることが出来ず、K本さんに抱え上げてもらうしかなかった。

 

それでも、夏休みに10日ほど通った、養鶏場のアルバイトよりは楽だった。

 

2月の半ばに高校の卒業式があり、母が出席してくれた。

卒業式と最後のホームルームが終わって帰る時、母には先に帰ってもらい、

シンジは5時までアルバイトをしてから家に帰った。

卒業式の後も、就職のギリギリまでアルバイトをした。

 

愛知県に就職する中学の同級生が3月半ばごろアルバイトを辞め、

その一週間後、3月22,23日ごろに、高校同クラス生と一緒に辞めさせてもらった。