門司港近辺は、門司港の再活性化、つまり西海岸埠頭の再開発、が失敗し、
平成に入り、門司港のレトロ化に舵を切りました。
海上貨物はコンテナ船に切り替わっていったため、従来の在来埠頭を再開発しても、
外国からの貿易船は入って来なくなったのです。
西海岸埠頭の再開発はすぐに取り止められ、
下関側壇ノ浦の向かいの田野浦に建設された田野浦コンテナターミナルと、
その後継の太刀浦コンテナターミナルが門司港の望みになりましたが、
これも関門海峡がネックとなりました。
明治から昭和にかけて、関門海峡は阪神から瀬戸内を抜けて、
朝鮮半島や大陸への大動脈となりましたが、
大型化したコンテナ船にとっては、関門海峡は水深が浅くて通れない海峡となり、
瀬戸内海は危険な航路となりました。
海峡の地底に、国鉄や国道の関門トンネルがあるので、
いくら工事技術が刷新改良され進歩しても、関門海峡の水深は深くすることが出来ないのです。
こうして、門司港には、小型のコンテナ船が入って来る太刀浦CT以外、
外国からの貿易船は入って来なくなったのです。
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門司港駅の「うどん屋」さんは、門司港駅の北側の端っこに、
その後、うどん屋兼飲み屋となって続いていました。
朝は朝食を摂る人、夕方は列車待ち時間で一杯飲む人、がお客さんでした。
門司港駅は、鹿児島本線も日豊線も、30分に一本くらいですから、
時間待ちでチョイ飲みする人もおり、シンジもその一人でした。
実は、シンジは、そのうどん屋の雇われ女将さんが気に入って通ったほうです。
乗る汽車を一本遅らせるのが常でした。
ですが、門司港駅を大正の建設時の姿に戻す大工事が開始され、
そのため、うどん屋も、閉鎖されました。
ミヨちゃんには言えませんが、雇われ女将さんの姿は、幻のように残っています。
門司港駅の改修工事が終わり、うどん屋さんは無くなりました。
もう雇われ女将さんに会うことはないなあと、
泣きはしませんが、人生とはこういうものだろうと思い、
商売用の笑顔だったと思いますが、ミヨちゃんに似た、笑顔をボンヤリ思い出します。
この記事は、長崎行きの思い出で、やめときゃよかったなあ。