それが今となっては残念なことに、就職指導の先生のことをほとんど覚えていません。
名前はもちろん、お顔さえ覚えていない。まとわれていた雰囲気だけ、かな。
就職試験を受ける日は、学校は休むことになるのだが、
就職指導の先生から、就職試験や面接の日については、黙って勝手に休まず、
その日の授業学科の先生から、公休の承認を受けておくように指導された。
卒業時の成績評価?に影響するようだった・・
職員室に出向いて、
「○○先生、○月〇日、就職面接で休みますので公休をお願いします」と、
何人もの先生を回ったとき、
なぜ、シンジが進学せず就職するのかと、みんな驚いていた。
担任さえ、シンジの家庭状況を知らなかったのだから、
担任以外の先生たちが知るわけもなかった。
ただ、いつも、教室最前列のシンジ一人に語り掛けるように授業をしていてくれた、
ご高齢の日本史の先生が、半泣きのお顔になられていたのが忘れられない。
シンジは、就職指導の先生が薦めてくれた企業の面接を福岡市で受け、
一週間後くらいに、郵送で、内定の知らせを受けた。
どうも、この日の、博多駅近くでの面接が、
1971年(昭和45年)7月10日、のようです。(立原道造を買いました)