浦田川の中ほどの、浦田から高台の炭鉱事務所に登っていく橋のすぐ上流側に、
共同の炊事場があった。
一坪の広さに、セメントが打ってあり、水道が引いてあった。
その水道は、炭鉱持ちの無料の共同の水道だった。
だから近くの人は自分の家の水道はあまり使わず、
その共同水道で、洗濯したり、炊事の下準備をしたりしていた。
そこでの思い出が「イワシの竹輪」である。
シンジが保育園だったか、小学1年だったか、記憶に無い。
ただ、母がいたので、その日はきっと木曜日だった。
母の仕事、厳木町営失業対策事業は、月火水と行って木は休み、そして金土だったのだ。
母の近くに行くと、近所の小父さんが七輪で竹輪を焼いていた。
シンジはじっと、それを見ていた。
数本の竹輪が焼き上がった時、小父さんがシンジに一本くれた。
母がすみませんと頭を下げてお礼を言っていた。
シンジは、お礼を言うのも忘れて、竹輪にかぶりついた。
色が黒くて、アジは覚えていない。
色から、きっとイワシのスリミで作った竹輪だろうと、
思っているのだった。