厳木での滞在が1年を経過したので、サデ彦は軍を率いて句邪韓国に向かうことにしました。
かなりの兵糧米を集めましたが、サデ彦は不安でした。
それは、せっかくの自軍の兵糧米が、句邪韓国に着いたら、苦戦している味方の軍勢用に、
そして民衆用に、供出させられてしまうのではないかということでした。
倭国本国の九州から句邪韓国への食料の輸送は定期的に行われてはいましたが、
それは米の生産が少ない句邪韓国の民衆への応援米であり、軍用米ではありませんでした。
三韓からの圧迫が続くここ数年、農地の拡大は出来ず、防御陣地の作成、維持のため、
農地はむしろ減少しており、句邪韓国では軍用米の確保にも苦しんでいたからです。
そのためサデ彦は、兵糧船に積み込んだ米以外に、自分が乗る大将船に、
稲の成る木を積んで行きたいと思いました。
そして、佐用姫に唐津の港まで見送りに来るように言い、
その際、稲の成る木をこっそり持ち出してくるよう頼んだのでした。
それを実行させるため、稲の成る木を持って来てくれたなら、
佐用姫を、サデ彦の大将船に乗せて、一緒に連れて行く、と、約束したのでした。
佐用姫は恋しいサデ彦の言葉を信じ、厳木長者の家から、稲の成る木を持ち出しました。