先日、125時代に同じレースを4年間戦ったファウスト・グレシーニ氏が死去されました。
現役時代、ヘルメット越しの顔は「鬼の形相で闘志むき出し」とても気迫に満ちていました。
日テレジータス・Moto2解説のノビー(上田昇氏)は、1992・93年はグレシーニ氏とチームメイト (マールボロ・チーム・ピレリ) でしたし、故・加藤大治郎氏がGPへデビューしチャンピオンを獲得 (2001年 250クラス) した時のチームオーナーでもあり、日本GPの74大治郎シートをサポートされたりと日本人に馴染みのあったグレシーニ氏。
現役引退後は、日本GPで会うこともありましたが、とても穏やかな人になっていました。
一時は持ち直したとの報道がありましたが…。
心からお悔やみを申し上げます。
<ファウスト・グレシーニ (前列右から2番目)/motogp.com>
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ファウスト・グレシーニが死去 <motogp.com>
グレシーニ・レーシングを率いた元軽量級王者が新型コロナウイルスが原因で死去。
<motogp.com>
グレシーニ・レーシングのチームオーナー兼チームマネージャーのファウスト・グレシーニは22日、新型コロナウイルス感染症による肺炎が原因で12月27日から入院していたイタリア・ボローニャ市内の病院で死去。享年60歳。
1983年から1994年まで12年間『125ccクラス』に参戦したイモラ出身のグレシーニは、通算132戦に参戦し21勝、47回の表彰台、17回のポールポジション、13回のファウステストラップを獲得。
1985年と1987年 (motogp.comには1994年となっているが間違えです) にはチャンピオンに輝き、1986年から1987年にかけて11連勝を達成。レジェンド、アンヘル・ニエトに並ぶ軽量級の史上最多連勝タイを記録した。
引退後の1997年に自らチームオーナーとなりグレシーニ・レーシングを設立。2001年に故・加藤大治郎が『250ccクラス』を制覇。2010年にトニ・エリアスが『Moto2™クラス』、2019年にマッテオ・フェラーリが『MotoE™ワールドカップ』の初代チャンピオンに輝き、2018年にはホルヘ・マルティンが『Moto3™クラス』のタイトルを獲得。
2021年シーズンは、最高峰クラスにアプリリア・レーシング・チーム・グレシーニ、中量級にフェデラルオイル・グレシーニ、軽量級にはインドネシアン・レーシング・チーム・グレシーニとして3クラスへの参戦が予定されている。
ドルナスポーツの最高経営責任者カルメロ・エスペレータは、「ファウストを失ったことを深く悲しんでいます。彼は大変良い友人であり、とても愛していました。彼の状態に関するニュースを注意深く見守り、入院しているときでさえ彼と話すことができたのは幸運でした。彼の家族、友人、そしてチームのメンバーに心からお悔やみ申し上げます」と語った。