MotoGPプラチナセレクション/再放送:8/7 | 坂田和人 オフィシャルブログ Powered by Ameba

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日テレG+ (日テレジータス)

 

MotoGPプラチナセレクション

伝説のライダーの伝説のレースが甦る

 

 

<放送時間帯>

 

 

<以下、日テレG+のHPより抜粋>

 


(1) 1996鈴鹿 阿部典史大逆転初優勝
1996 年、鈴鹿で行われたWGP日本グランプリ。最高峰クラスフル参戦2年目の「ノリック」こと阿部典史は予選で11位。しかし決勝では次々と順位を上 げていき、ついにトップに立ち、14年ぶりとなる日本人最高峰クラス優勝、そして自身初の最高峰クラス優勝を飾った。日本のバイクファン待望の「日本人ラ イダーが日本製のマシンで日本グランプリに勝つ」その瞬間に向け長髪をなびかせて快走するノリック。伝説のレースが日テレジータスで甦ります!



(2) 1993スペイン 坂田和人涙の初優勝
1993 年第4戦スペインGP 125ccクラス決勝。レース前日の予選、若井伸之を不慮の事故で失い、日本人ライダーたちは決勝レースの出場に対して逡巡する。中でも、親友でありライ バルでもあった若井を失った坂田和人の沈痛ぶりは凄まじく、周囲は心を痛めた。それでも決勝への出場を決めた坂田和人は、レースが始まるとトップを快走。 独人ライダーのラルフ・ワルドマンが猛追する中、必死に逃げる坂田。タイヤが限界に近づく中、幾度も転倒の危機を紙一重で脱する坂田の姿に、サーキット中 が見えざる力を感じていた…。鬼気迫る坂田のライディングに観客はひとつになる。グランプリサーカス3年目にして初めて表彰台の頂点に立った坂田は、日の 丸が掲げられる中、盟友が見守ってくれている天を仰いで涙を流し続けた。後に、2度の年間王者に輝いた125ccのスペシャリスト坂田和人、その初優勝 レース。涙のレースを日テレジータスで初公開。



(3) 1997インドネシア 岡田忠之がドゥーハンを破る
1997 年のWGP500ccクラスは13レースを終えて12勝とミック・ドゥーハン(オーストラリア)が席巻していた。ドゥーハンは'94年から3シー ズン連続ワールドチャンピオンに君臨しており、この年も5月に開催されたイタリアGPから負けなしの10連勝、既にワールドチャンピオンの座を確定させ、 意気揚々と第14戦の舞台、インドネシアのセントゥールサーキットに乗り込んできた。ドゥーハンひとりに注目が集まる中、その連勝記録更新にストップをか けたのは、GP参戦5年目、最高峰500ccクラス2年目の日本人ライダー岡田忠之だった。岡田にとっての500ccクラス初優勝はドゥーハンに競り勝つ というドラマティックなものだった。



(4) 1994アルゼンチン 坂田和人年間王者、上田昇驚異の追い上げ
1994 年第13戦 アルゼンチンGP125ccクラス決勝。日本人が125ccを席巻した1994年。残り2戦となったこのレースまで、12戦のうちなんと10戦で日本人が 優勝。ポイントトップ坂田和人は、日本人3人目の世界チャンピオンに王手をかける。ライバル上田昇は、最終戦まで持ち込むべくマシンを駆ける。「ノビー」 こと上田が、スタートを失敗しながら、圧倒的なスピードで次々とパッシング、最終ラップ、最終コーナーまでマルチネスと優勝を争う。坂田和人は負傷の痛み をこらえながら完走、世界王者を決める。日本人の強さが輝く歴史的レース。



(5) 2001マレーシア 加藤大治郎 年間王者決定の瞬間
2001 年第15戦マレーシアGP250ccクラス決勝。当時25歳の加藤大治郎は、ここまで14戦で9勝をマーク。このレースで勝てば、日本人5人目の 世界チャンピオンとなる。ポイント2位も日本人、「クールデビル」原田哲也。灼熱のセパンを舞台に、ポールポジション加藤大治郎を、6番手スタート原田哲 也が追う。このレース、優勝で見事年間王者を決めた加藤は、世界のスターダムにのし上がる。わずか2年後、若くしてこの世を去った加藤大治郎、愛らしい笑 顔と驚異的強さ…「ゼッケン74」を偲ぶ時、誰もが語り継ぐ歴史的レース。



(6) 阿部典史 ロッシも衝撃を受けた鮮烈の世界デビュー
阿 部典史(ホンダ)は前年の1993年全日本選手権最高峰500ccに18歳でフル参戦、この年を最後に廃止が決まっている500cc最後の王者に最年少 で輝いた。翌年の1994年、日本GPにスポット参戦することになった阿部典史は予選7番手。他のライダーからはノーマークだった阿部典史は1周目に4位 まで上がりケビン・シュワンツ、ミック・ドゥーハンといった世界王者を相手に互角のバトルを展開した。19周目、後ろにドゥーハンを従えてトップのシュワ ンツを追っていた阿部典史は第1コーナーで大転倒! 残り3周というところでリタイアに終わった。このレースを見たバレンティーノ・ロッシが阿部典史のファンになったという。阿部典史はこの年、シーズン途中 にホンダからヤマハに移籍。翌年からウェイン・レイニーのチーム(ヤマハ)で世界GPフル参戦することになった。阿部典史が世界に衝撃を与え自らの力で世 界の切符を手にいれた伝説のレース。

 

 

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ご興味のある方は、日テレG+「MotoGPプラチナセレクション」を是非ご覧になって下さい。