旧街道めぐり 有馬街道(前編) | Kのランチ in北の大地【東北よござりす編】

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4月に1回だけ出したこのシリーズですが、グルメと違って書くのに時間がかかり、第2弾まで半年以上空いてしまいました。

ごく一部の琴線にしか触れない旧街道めぐり、自己満足のために続けていきます。

 

さて今回ご紹介するのは有馬街道です。

地元の人ではなくても有馬温泉といえば誰でも聞いたことのある温泉地。
日本三古湯にも数えられ、日本書紀にもその存在が記されている名湯です。

大阪からこの有馬温泉に至る道を「有馬街道」と称し、古くから多くの人々が行き交いました。、皇族や豊臣秀吉などの戦国武将なども通った由緒ある道をたどってみます。

有馬街道のスタート地点は、猪名川と神崎川がぶつかる神崎付近。
大阪城からであれば十三経由でアクセスする脇街道を通ることになります。

この時住んでいたところは国道2号線近くだったので、国道で尼崎市に入り、左門渡川沿いに北上すると神崎にたどり着くのでそのルートでアクセスしました。


スタート地点近くには神崎の渡しがあり、大阪城からはこの渡しで上陸すれば、有馬街道に入ることになります。
名残として大きな石灯篭が残っていました。かつては灯台代わりにもなっていたそうです。


こちらが有馬街道のスタート地点。
大きな古民家があり、その足元には礎石が埋まっています。
そして隣には須佐男神社があります。


そのまま街道を進むとすぐに分岐があります。
ここには道標が建っており、近くの壁には集落の案内もありました。

有馬街道は今となっては何の変哲もない住宅街の道が多いですが、所々遺構があったり自治体の説明版があり、これを辿ることになります。
古民家などもそうですが、旧街道にはやはり独特の風情というか雰囲気が漂います


分岐からしばらく北上すると、再び道標発見。
セットで説明板も建っており、このあたりで有馬街道も本道と間道に分かれるそうです。
今回は本道をたどってみることにします。

本道はまっすぐ北に向かい進んでいきますが、住宅街の中の道なので下調べをしていないと迷うような道です。
旧街道めぐりは自転車で行っていますが、自転車用のナビにルートを入れているので、こういう時に役立ちます。


新幹線の線路にぶつかったら線路沿いに北上。
このあたりからまた遺構をちらほら見かけるようになります。

 


漢字違いですが素盞鳴神社もありました。
それにしても有馬街道沿いは"スサノオ神社(当てる漢字はそれぞれ)"が多いのは何かあるのでしょうか?


車では絶対通れない阪急のアンダーパスをくぐると、旧街道は右へ左へとウネウネと蛇行しながら進みます。


このあたりは難読地名となっており、ふりがななしでは読めません。


猪名寺付近まで上がってくると道はさらに細くなり、一車線ほどの広さになります。
昔は車なんてないですから、人が通るには十分なんでしょうね。


このあたりにも遺構や自治体による案内板があり、この道が間違いなく旧街道であることを示しています。


知らないと通り過ぎてしまうのですが、杜若寺の墓地には道標があるので、ここも忘れずにチェック。


JR宝塚線の踏切を渡り伊丹が近づくと、かつては大坂道として呼ばれていたようで、銘板なども有馬街道よりは大坂道という呼称で案内が続いていきます。
このあたりも古い建物がたくさん残っているというわけではないのですが、なんか旧街道のにおいがする道でした。

住宅が増え、県道13号線が近づいてくると伊丹市の繁華街。
市役所などがある本来の中心部は、かつて西国街道の宿場があった昆陽の方ですが、有馬街道の通る方は阪急伊丹駅とJR伊丹駅の間にあり、人が集まり商業の中心と言ってもいいでしょう。


にぎやかな中に古い建物も残されており、街道の雰囲気も感じられます。
このあたりは造り酒屋で栄えたそうです。


またコーヒーチェーンの目の前には道路元標が残されていました。
道路元標とは、かつて道路法で定められたその自治体の基準点です。
今は法的根拠がなくなっているので一概に言えませんが、青看などで記されている"○○までX km"とあるのは、この道路元標までの距離のことです。


伊丹は有岡城の城下町なので街はずれには特有の桝形があり、九十度のカーブで進路を変えます。そして街が終わるからなのか猪名野神社が鎮座していました。
街道はここから小浜宿(宝塚)へ向かっていきます。


伊丹を出てしばらく進んだ大鹿で西国街道と交差。
ここも道標があったりと旧街道の雰囲気が色濃く残っています。


街道は一車線ほどの広さで住宅街の中をグングン進んでいきますが、瑞ヶ池公園の近くで分かれていた間道と合流。合流地点にも道標があります。

その後県道331号線に合流し、しばらくは県道と同じルートをたどります。
そして鴻池財閥発祥で有名な鴻池から街道独自のルートへ。


街道のルートは基本住宅街ですが、今風の住宅前に道標があったりして気が抜けないですね。
ついに宝塚市に入りました。


国道176号線を越え、中国道の高架をくぐると京伏見街道が合流し、小浜宿に入ります。
宿場の入口には神社があり、宿場の案内板も建っているのですぐにわかりました。


小さな宿場だったので丹念に回ってみると、古い町並みがそのまま保存されており、非常に雰囲気を感じられます。


宿場の中心と思われる皇太神社前は街道の分岐となっており、北行が有馬街道、南行が西宮街道になっています。
西宮街道の方ヘ進んでみると、古い道標があったり、首だけの首地蔵があったりと、こちらも珍スポ的なものがみられます。

長くなりそうなので、後編へ続きます。