5月22日の日経新聞一面トップから。
G7、ウクライナ支援結束 ゼレンスキー氏「強い協力達成」
について。
タイトルにある事態について、一方では
「G7の首脳がロシアを批難するより『一にも二にも停戦だ。我々が仲に入るから双方銃を置け』と言うべきではないでしょうか。武器供与、資金援助したら戦争が長引くだけです。子供、女性、お年寄り、それぞれ世界でたった一つの命です。何故命を守ることを考えないのでしょうか」
という意見があるようです。
考え方は人それぞれだと思いますし、この主張は一見すると正しく、そして美しく聞こえもします。
ただ私には「耳障りはいいけど『道理』には外れた主張である」という風に感じます。
とにかくも現実を確認しましょう。
まず大前提として、
「ウクライナはロシアから侵略を受け、領土を蹂躙され、都市は破壊され、国民は殺され、東部を支配されている」
のが現実であることを理解しなければなりません。
これが仮に、双方自国領土の外まで軍隊を展開し、互いの領土を削り合いながら大規模な戦争を行っているのなら、『双方銃を置け』も分かりますが、この戦争においては『銃を置くべきなのはロシア側』なのです。
国連憲章2条4項には
「すべての加盟国は、その国際関係において、武力による威嚇又は武力の行使を、いかなる国の領土保全又は政治的独立に対するものも、また、国際連合の目的と両立しない他のいかなる方法によるものも慎まなければならない。」
とあります。
つまり、国連加盟国であるロシアがウクライナに行っていることは、れっきとした国連憲章違反であり、国際秩序に対する挑戦であり破壊行為なのです。そこに擁護すべき事由などありません。
反対にウクライナが行っているのは侵略者たるロシアに対する撃退行為であり、『自衛行為』です。
先に挙げた国連憲章においても51条において
「この憲章のいかなる規定も、国際連合加盟国に対して武力攻撃が発生した場合には、(略)個別的又は集団的自衛の固有の権利を害するものではない」
と規定されています。
そう、国家において『自衛』とは『固有の権利』であって、決して害されるものではありません。
それが国際ルールであり、秩序であり、『道理』なのです。
仮にロシアの側に
「ウクライナは元々ソ連の構成国であるのに、NATOに入りたいだのEUに入りたいだの、そんなことは決してロシアの安全保障上看過できる話ではない。」「そもそもミンスク合意を反故にしているウクライナにこそ非がある」
との主張があっても、
それによって第二次世界大戦を経て国際社会が(曲りなりにも)築き維持してきた秩序を、破壊していい道理などありません。
武力を行使し世界地図を描き換える、つまり『武力による現状変更』を国際社会は認めない、それがこの世界における最も大きなルールなのです。
実社会について考えてみてください。
住居侵入罪(刑法130条)を犯し、住人を暴行し、傷害を負わせた罪(同204条)を犯した犯罪者と、
それに抵抗し正当防衛(同36条)を行っている住人を、社会或いは法は同一に扱いますか?
そんなはずないですよね。
逆にこのようのような事件が生じている最中で遠方から「二人とも喧嘩はやめて―!」と叫んでいる人がいたら周囲の人はどう思いますか?
恐らく口には出さずとも「いや、これ喧嘩じゃないでしょ、、」と呆れることでしょう。
国際秩序を破り他国を侵略した国家は、世界からその行為を認められてはなりません。
仮に侵略国がその行為によって何か得るものがあって、それを世界が認めてしまえば、それによって第二次大戦以降の国際連合下での国際秩序は崩壊するからです。
そして次の「武力による現状変更」を試みる国がすぐに現れることになります。
実際日本のすぐ隣にそれを公に表明している国があります。
それに対して侵略を受けている当事国ウクライナが徹底抗戦を主張し、実際に戦っている。
だからこそG7は国際秩序維持と、その破壊者を否定するという『道理』から、これに協力するのです。
勿論、この戦争の早期終結は全人類が望んでいることです。
実際、ウクライナとロシアはそのための協議を1年前から行っています。
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20220330/k10013558751000.html
このNHKの報道によれば、
ウクライナはNATO加盟について「NATO加盟にかわる新しい安全保障の枠組みを提案」し、ロシアは「提案を検討する」と言っており、またウクライナのEU加盟についてはロシアは「否定しない」と言っています。
しかし国境については、ウクライナが協議を持ちかけているのに対し、ロシア側は「獲ったものを手放すつもりはない」という強固な姿勢を取っており、協議は妥結されませんでした。
結局ロシアがそういう姿勢である以上、話合いでは事態は解決しません。
ロシアは侵略を行っている側で、他者から『奪っている』側である限り、話合いを行っても相手の態度がこちらへの屈服ではない以上は、侵略を継続するだけなのです。
だから「ロシアを批難するより『一にも二にも停戦だ。我々が仲に入るから双方銃を置け』と言うべき」
との冒頭の主張は、いかにも絵空事なのです。
更にいうなら冒頭の主張には「ゼレンスキーだけ呼んでどうする」と、プーチン氏のG7出席も呼びかけるべきとの認識が示されていますが、どう考えてもプーチン氏は呼んでも日本に来るとは思えません。
プーチン氏にしてみれば日本に来たところで意に添わむ撤兵を迫られるだけですし、場合によって身柄を拘束される危険もあるからです。
ただ、来ないことは承知の上で日本としては格好だけでもプーチン氏に呼びかけを行えば、よりこの戦争の責任がプーチン氏にあることをアピール出来たのかもしれません。
「武器供与、資金援助したら戦争が長引くだけです。」との論調については、正直、真意を測りかねます。
それはつまりウクライナに『早期に屈服をしろ』ということなのでしょうか?
国家がその主権をかけて侵略者に対し徹底抗戦することを選び、実際に国民の流血を顧みず戦い、戦闘によってはロシアを撃退する場面もある。だからこそロシアの支配地域が東部に限定されているという状況で、侵略者を撃退するために参戦は求めずとも武器の供与や資金を協力してほしいと、そう求めてきた相手に『早期に屈服し、国土を侵略者に明け渡せ』と言うのが正しいことなのでしょうか?
それは、自分の家に住居侵入してきた犯罪者と戦っている最中に、外から『抵抗することを止めて家を明け渡せ』と言われるのと一緒ではないのでしょうか?
考え違いをしている方も多いようなのですが、アメリカがウクライナにF16を貸与するのは侵略してくるロシア軍を撃退するためであって、アメリカ・バイデン大統領は「F16をロシア領内では使わない」という確約をゼレンスキー氏と交わしています。
https://news.yahoo.co.jp/articles/2318ff7ead8355398e52f46c8ced04599945b4c4
戦線を拡大し、戦争を長引かせるためではありません。
この戦争を早期に終わらせるためには、ロシア軍に大きな損害を与えることによってプーチン氏に侵略に対するリスクを強く認識させ、それによって侵略継続を断念させる必要があります。
逆にロシアが「ウクライナに戦力なし」と見做せば、どんなに周囲が停戦を呼び掛けようがそれを無視することでしょう。
その能動的な判断は「攻めている側」にしかないのです。
結局、戦争が起こるかどうかと同様に、戦争を終わらせらるかどうかも、互いの戦力比によって大きく影響されるのです。
だから私はG7のウクライナ支援が無駄なものとは思いませんし、逆にロシアに停戦を決意させるには足りないぐらいだとさえ思っています。
しかしまあ、それも私個人の考えでして、人それぞれに考えがあるかと思います。
ただ日本国内にも、国際社会にも、『法』というものがあり、守るべき『道理』というものはあります。
日本人は『戦争』という言葉にアレルギーがあって、すぐに「命が一番大事。喧嘩を止めて双方銃を下ろせ!」という論調に走って、あたかもそれが唯一絶対の正解であるかのように振る舞います。
でも現実はそういうものではありませんし、
冒頭の意見に関しては例えるなら「住居侵入罪」「傷害罪」を犯している人間と、それに対して「正当防衛」を行っている人間を一緒くたに扱い、不遜にも「お互い喧嘩を止めるんだ!」と言って、それでいて自分は正しいことを主張していると勘違いして悦に浸っている愚を犯しているように私は感じました。