ご訪問いただきありがとうございます♡

 

 

 

先日、お話し会のお知らせを致しましたが、

さっそくお申込みをいただきましてありがとうございます!

 

 

本当に有難いことですハートチュー

 

 

久しぶりにお話し会を開催する私自身も、

きっと何かしらの気づきがあるんじゃないかな?と思っています。

 

 

一応テーマはありますけれど、

無意識さんにお任せでお話ししますのでどうなることやら?

場合によってはもっと深~いお話しになるかも、です。笑

 

 

私の無意識さんと皆さんの無意識さん

無意識さん同士の交流を楽しみたいです♡

 

 

 

さてさて、

本日は「無条件の愛は自分の中にあるんだよ」です。

 

 

先日のブログで私のトラウマについて書きました。

 

 

大嶋信頼先生の「催眠ガール2」を読んだら、

母親に暴言を吐いている夢を見たという話しです。

 

 

 

 

 

 

この“存在否定”というトラウマについてはケア済みなので、

今はもう心が揺さぶられるようなことはありません。

 

 

反応しないからこうしてブログに書きました。

書ける(表現できる)ということは癒されたということです。

 

 

人間は本能でトラウマの回避行動をとりますので、

ケアしていないトラウマは避けようとしますからね。

 

 

だってトラウマって怖いでしょ。

思い出したくもないことを思い出すなんて恐怖ですよ。

 

 

私は、自分がアダルトチルドレンだって認めるだけでも、

1年半ぐらいかかっています。

 

 

カウンセリングを受けているのに、

自分がアダルトチルドレンだって1年半も気づかなかったんです。

 

 

気づかなかったというより、

絶対に自分がアダルトチルドレンだと認めたくなかった。

 

 

だって認めちゃったらパンドラの箱が開いちゃいますから…

もう後戻りできないもんね笑い泣き

 

 

アダルトチルドレンの回復ってね、

どこまでも自分を知っていくことなんですよ。

 

 

自分を知ることは恐怖です。

だって、現実を見なくちゃいけないから。

 

 

現実を見て、ひとつひとつ認めていくんです。

そうすることで幻想の世界から目覚められるのです。

 

 

自分を知っていくということは、

現実を見るということ。

 

 

現実を認めることは苦しいけれど、

自分を知れば知るほど自由になっていくのです。

 

 

なんだか不思議ですよね。

知れば知るほど幻想の世界から抜けていくなんて。

 

 

まだアダルトチルドレンだなんて自覚がなかった頃の私は、

自分の家族はそこそこ仲が良いと思っていたのですよ。

 

 

今だから言えることですが、

本当に幻想(ファンタジー)の世界に酔ってました笑い泣き

 

 

そりゃそうですよね。

幻想の世界に酔って泥酔状態なら気付かずに済みますから。

 

 

ある意味その方が幸せです。

 

 

虐待されていたことも無自覚

親が依存症だったなんてことも無自覚

ネグレクトなんて自分には全く関係のない他人事

 

 

ただ、ちょっと親が厳しくて口煩くて、

時々イラつくこともあるけれど~っていう程度の認識。

 

 

それが、現実はちょっと厳しいどころの話しじゃないわけです。

 

 

リアルな世界は 虐待にネグレクト

親はアルコール依存にワーカーホリック

 

 

愛がない、愛を知らない親

だから愛があるフリをしていたけれど、

親もまた同じ傷を抱えたアダルトチルドレン

 

 

さらに、問題アリだと薄々は思っていた母親よりも、

尊敬していた父親からコントロールされていたという事実

 

 

現実を見る、思い出す、認めるってことは本当に苦しい。

 

 

自分で向き合っておきながら、

こんなこと知りたくなかった~!って何度泣いたことか。

 

 

でも、知りたくなかった~!は思考なんですよね。

 

 

本当に知りたくなければ向き合わないですもん。笑

 

 

私は本当の意味で自由になりたかったんです。

自分を知って自由になりたかった。

 

 

なぜなら、幻想の世界に生きたくなかったから。

目を覚まして正気に戻る・本来の自分に戻りたかった。

 

 

条件つきの愛を愛だと思い込まされて、

そんな偽りの愛でコントロールされるなんてもうまっぴら!

 

 

私の無意識はすべてわかっていたのですね。

 

 

先日のブログでね、大嶋先生の「催眠ガール2」を読んだら、

自分という存在も含めて、自分が経験してきたこれまでのことを肯定し始めたと書きましたよね。

 

 

自己肯定ですね。

 

 

自己肯定ってね、

無条件に自分を愛することなんですよ。

 

 

無条件に自分を愛することができれば、

ただ、存在しているだけでOK!ってなります。

 

 

でも、私の両親は、

無条件の愛を持ちあわせていませんでした。

 

 

だから私は

ずっと自分を肯定できなかったのです。

 

 

もし、親に無条件の愛があったのなら、

無条件の愛に育まれて育っていたのなら、

私は無条件に自分を愛し自己肯定できていました。

 

 

馬車馬のように頑張らなくたって、

自分を犠牲にしなくったって、

ただ、存在しているだけでいいんだ!と。

 

 

ですが、私の育った機能不全の家

私の両親には条件つきの愛しかなかったから、

自分で自分を肯定できなくなってしまいました。

 

 

両親とも機能不全の家で育ったアダルトチルドレンですから、

それは仕方がないことだと、今ならわかります。

 

 

無条件の愛は外にはありません。

いくら外に求めても無いものは無いのです。

 

 

無条件の愛は自分の中にあるんですよ。

 

 

無条件に自分を愛し

自分自身を肯定できた時

 

 

それが“ゆるし”になるのです。

 

 

大嶋先生の「催眠ガール2」に書かれてあったスクリプトは、

“無条件の愛”“ゆるし”だったんじゃないかな!?

 

 

そんなことを思う今日この頃です。

 

 

それではまた♡