こんにちはニコニコ


2月末に紹介状と検体を持ってがんセンターへ行ってきました。

さすががんセンター。

緑に囲まれていて、新しいこともあって雰囲気は落ち着く作りでしたキラキラ病院


結論から言うと、がんセンター、断られましたーー。


え、って感じですが、

簡単に言うと、私は再発確定してないし、再発してもまずはまた同じTCをするはずだから、元の病院とやることは変わらないと。。


それだけで終わればいいのに不安にさせるようなことばかり言う泣

卵巣がん、明細胞癌についてマイナスのことしか言ってこない。

転院断ってる上にわざわざそこ言わなくていいじゃんって感じでした。

あと、あなたに1時間とってるからって感じで、面倒くさいんだな〜と思った。


はっきり言って、がんセンターのこの先生とは合わないし、主治医になってほしくないと思った真顔





それから2週間後くらいに元の総合病院へ出戻り診察。

ca125のマーカーはまた上昇。。。


あえて数値は聞きませんでした。

来週また造影剤CT検査してきます。


もう再発だよね…


癌が顔出して画像に映るのを待ってる状態…


10月にマーカーが増えてから半年近く。

毎日不安に襲われてますえーん


4月に念願のDisneyのバケパに行く予定なので、

何も起こらないでほしいです赤ちゃんぴえん




癌で治療中の方々が奏効しますように





先日、CT検査の結果を聞きに行ってきましたあせる


もう不安で不安で、、気絶しそうで

吐きそうでしたショボーン



結果は、CTには何も映ってなかったのですが、

ca125は確実に右肩上がりで上昇中なので、こまめにCT検査をしていきましょうとえーん


顔を出すのを待っている状態…ガーン


あーやだやだ、やだよーガーン




顔出す前に何か薬で再発を止めることはできないのかな泣くうさぎ


また毎日不安な日々を過ごすんだー…





ちなみに私は総合病院へ通っています

主治医の先生はガン治療認定医で、元々大学病院で

上の立場の人でした。

とても優しく寄り添ってくれる先生で、心配性でネガティブな私にいつも優しく微笑みながら診察をしてくれます。

婦人科の看護師さんもびっくりするくらい優しくて乙女のトキメキ

病棟の若い看護師達とは大違い赤ちゃん泣き



でも、もし再発となると、総合病院だとやれる事が限られてるとのことで、

この機にがんセンターへ転院することにしました。


先生との相性って大切だと思います。

だけど総合病院だとやだてあげられることが限られてしまうと言われて、癌専門のがんセンターへ転院に決めました。


またいつでも顔見せに来ていいからねにっこり

と言われ、総合病院をさりました。

まさかここで泣きそうになるとは驚き


がんセンターの主治医との相性がドキドキアセアセ



とにかく今は考えすぎないように

ストレス溜めないように(なかなか難しいあせる)

元気な体を大切に日々過ごしたいと思います乙女のトキメキ



もうすぐ娘も年中にあがります。

こうして成長を見れること、当たり前だけど当たり前じゃないんだって思います。


普通に車に乗れて買い物して、友達とおしゃべりして、美味しいご飯を食べれて。


これって本当に、すごく、幸せなことなんだにっこりハート


娘と家族のために頑張らなきゃおねがい




癌で治療中の方々が奏効しますように





↓辛いの苦手だけど無性にタコライスが食べたくて食べたチュー





経過観察中の23年10月、もうすぐ抗がん剤終了から一年たつ頃。


ついにきてしまいました…

マーカーの上昇ショボーン



卵巣癌の腫瘍マーカーca125

いつも10とかだったのが、21に上昇。

11月は26

そして先週、24年1月は53に。

(基準値は35以下。閉経後は一桁が望ましい)


先生は、上がってきてるので造影剤CTを撮りましょう。と。


昨日ちょうどCTとマーカー測定してきました。


結果は来週明けになります。


この様子は、きっと再発です…


私が通ってる病院はPET検査がないので、たぶん今後どこかの病院でPETも撮ると思います。


最近は心ここに在らずで、気を抜くと涙がでて泣いてます。


本当にメンタル弱々で赤ちゃん泣き



同じ病状の方達のブログを陰ながら読んで、辛いのは私だけじゃないんだといい聞かせてます。


再発しませんようにと毎日祈ってます。



癌で治療中の方々が奏効しますように





読んでくださりありがとうございましたハート




Instagramやってますニコニコ



数日後、私の両親も呼んで先生の話を聞きました。


血液検査の検査で

腫瘍マーカーCA125が3000を超えていること…

CTで見るとかなり卵巣が腫れ、腹水もあるとの事で、卵巣がんの可能性が高いのと説明されました。


腹水…

最近体重が増えて少しお腹が出てきたとは思ってました。

でも太っただけだど、お腹も痛くないし、食欲も普通にあったので、まさか腹水もあったなんて。



生理は出産して3ヶ月くらいできました。

出産した際に、子宮内膜症は問題ないと言われていました。

なので、もしまた子宮内膜症になっても、生理痛はひどいけど慣れていたし、そこまで問題ないと思ってました。

しかも出産後は生理痛はほとんどありませんでした。


生理再開して2年で、あっという間に卵巣がまた腫れて、しかも悪性へとなってしまっていました…


昔MRIを撮った時に、子宮内膜症は癌化するかもしれないと言われてた。

でもまさか自分がなるなんて…

大丈夫大丈夫、私はならない。

他人事だと思ってました。



数日後に両側卵巣、子宮、大網を取る手術をしました。

腹水は2ℓあったそうです。

微量の腹水は残存。


手術後、血栓の数値が下がらず、すぐに退院出来ませんでした。


退院後しばらくして、病理検査の結果を聞きに行きました。


毎日不安で泣いていました。

怖くて卵巣癌のことは私は調べられませんでした。

パパはいろいろと調べていたようです。


とにかく卵巣癌は恐ろしいことだけは知ってました。



ステージが高いと余命宣告されてしまうんじゃないか、長く生きられないんじゃないか…


恐怖で気を失いそうでした。

手が震え、気が遠くなるような感覚。



病理結果は、

卵巣癌明細胞腺癌ステージ1C3期

トルソー症候群

腹水に癌細胞あり


あんなに癒着もして腹水もあって卵巣も腫れていたのに、他の臓器への転移はなかったそうです。


ステージ1だから大丈夫でしょと思うかもしれません。

でも、同じステージで亡くなってる方がいました…


明細胞腺癌は抗がん剤が効きにくく、再発しやすいそうです。。



抗がん剤は、

22年7~10月に、パクリタクセル+カルボプラチンのTC療法を6クールしました。


もちろん髪の毛も抜けて、体中の全ての毛がほぼ抜け落ちました。


抗がん剤終了後は経過観察で腫瘍マーカー(CA125)を測りに行ってます。


今は再発にビクビクしながら過ごしています。



長くなりましたが卵巣癌発覚の経緯読んでくださりありがとうございます乙女のトキメキ







とてもとても久しぶりに更新ですおすましペガサス




遅くなりましたが

今から私が卵巣癌になった経緯を書きたいと思います



このブログは不妊治療のために記録と、誰かの役に立ってほしいと思い、はじめました。


あらためて話すと、

私は子宮内膜症で、赤ちゃんができにくかったので不妊治療をしました。

2019年に娘(現在4歳)を出産しましたうさぎのぬいぐるみ


産まれてきてくれてくれたことを心から感謝しています乙女のトキメキ


毎日初めてのことばかりで、あっという間に1歳、2歳となって、自分のことなんて後まわしでした。

もちろん婦人科検診も行く余裕ありませんでした。




昔から偏頭痛もちで、よく頭痛はありました。

22年1月頃からその頭痛が悪化し、頭がもげるくらいの痛み、嘔吐もするほどに。

いつも飲んでるEveクイックも効きませんでした。


今思えば、生理前にこの頭痛はきてたかも。


すぐに病院にいけばいいのに、娘をみてくれる人が昼間はいなかったので、病院へいくタイミングを逃してました無気力


パパが平日仕事を休んでくれて、近くの脳外科へ受診したのが22年の5月19日。

娘も一緒に連れて病院へ。


その日もずっと頭痛で車の後部座席でうなだれてました。


MRIを撮ると、小さな脳梗塞がチラホラ。

この年齢でこれはあまりないので、脳神経内科へ紹介状をだします。と。

私はびっくり不安


次の日行こう!となり、車で脳神経内科の病院へ。

片道40分くらい。

その間も激しい頭痛に襲われていて、もう耐えられなくなり途中のコンビニの駐車場へ車をとめパパに救急車を呼んでもらいました。


受け入れ先は脳神経内科の病院ではなく、隣の市の総合病院でした。

そこでもMRI。

あれよあれよとそのまま緊急入院しました。


頭が真っ白とはこのことガーン


夜、部屋に看護師さんが来て

『今日何日か分かりますか?』

…何月かも分からなくて答えられずガーン


次の日にはどうして今自分がここにいるか、かろうじて思い出せてました。でも不安でずっと泣いていました。


脳だったので麻痺や記憶障害とか起きる可能性もあるので、とにかく怖かったです。



血液をサラサラにする点滴をずっとしたままの入院生活。

お風呂も入れずショボーン


何日かして、婦人科へ呼ばれました。


エコーをすると、それまで話してたカーテン越しの先生が無言に。

私は何もわからないまままた病室へ戻り入院生活。


周りは高齢者のおじいちゃんおばあちゃんばかり。

ほとんどがオムツで自力で食事をもできない、そんな方ばかり。


若い看護師たちが私語や愚痴を言いながらオムツ替えや食事介護をしている。

もう正直、物扱い。

これを間近で初めて見て、胸が押しつぶされる思いに。


早く早く退院したい。娘に会いたい。何の病気かも分からず一日中泣いていました。

死という文字が初めて近くに感じていました。



入院中たくさんの検査をしました。


自分の体に何が起きてるのか不安なまま、家族を呼んで話をしたいと婦人科の先生から言われました。


家族って…


もうこれ絶対やばいやつじゃん…ガーン




②へ続きます猫 



ちなみに不妊治療を経て産まれた娘は

12月に4歳になりましたキラキラ


全前置胎盤で早産をし、産まれてすぐNICUへ。

今はあまり大きな病気せず、毎日元気にてますニコニコ