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忘れるにもほどがあるという出来事がありました。
これは1日だけで起こった出来事です
息子に「明日は早朝から病院に受診する予定がある」ことを伝えておいたけれど、いつも通り夜更かしをして当日は予想通り寝坊。
予定時刻を30分すぎて出る。息子はデニムの後ろポケットに長財布、携帯、前ポケットに定期入れ、首からイヤホンをかけて手には通称”ミッフィーちゃん”(母子手帳保険証などがはいっている)を持っている。
バッグを持ってくるよう促すが持ってないと不機嫌に返してくるのに対し、絶対ものを無くすからバッグをとりに部屋に戻ってと伝えると持ち歩くバッグを持ってないから取りに戻っても意味がないんだとかみついてくる。結局手にミッフィーちゃんSTYLEで出かけることに。
最寄り駅まで送ってもらい、急がない息子にPASMOチャージをするよう促す。
そして来た電車に飛び乗る。息子が起きないので予約時間ギリギリ(;'∀')
通勤ラッシュの時間帯、はぐれる可能性を考え乗換駅と目的地を伝える。
どこで乗り換えるって?!とイライラしながら聞いてくる息子に「目的地さえわかっていれば携帯で調べられるでしょ?」といってみると携帯を持っていない(;'∀')
まさか???
最寄り駅の切符売り場に携帯を置いてきたらしい。
「せかすから置いてきちゃったんだ!」と逆ギレしている息子の足を思いっきり踏みたい衝動を抑えながらあわてて主人に電話して車にないか確認すると
「運転中だからみれるわけねえだろ!最寄り駅に戻れば?!」といって切られる・・・・
ひと駅目で気づいてよかった。反対行きの電車に乗り戻る。
予約時間遅刻確定・・・。
携帯ありました(´;ω;`)改札に届けられていました。
もう失くしたものはない???と聞くとイライラいしてないよ!と言ってくる。
コイツもうどうしてやろうか・・・。
そして乗り換え時にも爆睡して起きない18歳。
ドロドロだ。
乗り返しても気になる荷物。携帯ある??あるよ!!!
なんとか目的地の駅まで到着。
次はバスに乗り換えっていうときに息子改札から全然出てこない
何かを探している・・・・。
今度は定期入れがないらしい
君、定期入れの中になぜか免許やら学生証やら入れていませんでしたか?!💦
携帯を出したときに落としたかもとか言っている。
イラついても仕方がないのにイライラする~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~!
とりあえず改札で相談し料金を支払いバスに乗る。
大体30~45分はこの子のペースで約束の時間を遅刻する。
きっかりその時間だ。
間に合うほうが少ない。
なので検査を後回しにしてもらえば予約時間にはぎりぎりセーフ。
これ自分で認識して行動変容できるようになるのかな、甘ちゃん息子よ。
無事受診を終え、帰りは息子は免許センターへ、私は違う用事で途中から別々に。
ネットで調剤薬局さんに薬を準備しておいてもらい、息子に薬をもらって帰るように伝える。
落とし物センターに電話をしたら奇跡的に定期入れが出てきたとのこと。
それをもらいにいって薬をもらうだけとなった
悪運強いな💦本当に困らないから直そうとしないんだとおもいつつ
ほっとした。
そして数時間後息子から電話がかかってきた
「処方箋もってない?」
処方箋、一緒に確認して君しまってなかった???
どうやら計算書と一緒に処方箋を病院で捨てたらしい
結局また病院に再発行に戻るという。
そしてその夜、レンジで一風堂の冷食を食べようとしていたらしい息子。
一風堂の袋はキッチンからやりっぱなしの状態で出てくる。
またこいつはすてられないんだよ!!!っておなかの中で文句を言いながら捨てようとするとスープが中から出てくる
え?味ないのに食べたの??
旦那さんと変だね~っていいながら捨てた。のが木曜日。(病院が水曜日)
今日(月曜日)旦那さんからラインが。
レンジからチンして放置された一風堂がでてきたと・・・・。
息子の部屋から生ごみのようなにおいがするって3日前から私怒ってたな・・・。怒っている場所のすぐ横からだったよ。
最近私は家の鍵を貴重品バッグにカラビナでつけているのだけれど、バッグが壊れて購入をまごまごしていたらないないと騒いで2日たったばかり。
なぜか息子の部屋からでてきたらしく玄関に2日後置いてあった。
基本的に外で落とすことはない。
家や職場のどこかにはあるのだけれど、見つからない。
家のものを極限まで少なくしても、目に入る情報量を減らすような工夫をしても無くすから困り感が半端ない。
貴重品バッグも用途に合わせて今日はリュックとかにすると高確率で失くすので貴重品バッグごとリュックに入れる。
こんな工夫や努力をしても
携帯は今日もない。
Googleで携帯を探すっていう機能がどれだけ助かってるか。
冷蔵庫から携帯が出てきたとき、私は自分を信用しなくなった。
ぱっと目に入るよう派手なカバー、厚み、重要です。
工夫していくしかないんだろう。疲れるけど。
これが息子のものまで気にしなきゃだと結構大変。
だからさ。息子も工夫して失敗から学んで、バッグは持ちましょう?そしてなくしちゃうよというアドバイスは素直にきくことにしませんか?
息子の幼少期からのことを思い返し今だから納得できる対人関係トラブル、人間関係構築の困難
発達障がいの人は、なぜ対人トラブルを起こすのか?
- 相手の気持ちを理解できない
- ニュアンスでおおまかに物事をとらえるという概念が薄い
- 感情コントロール(自制)力が弱い
- 過集中 or 注意散漫
- 場をわきまえず考えなしに発言する
- 急な変更に対応できない=パニック
などが思い当たります
1、相手の気持ちを理解できない
相手に起こった前後のエピソードからその人がどう考えるか?という共感力に乏しいと言われています。
息子の場合も国語のテストで
質問:母ぎつねを失った子ぎつねが「コーン」と悲しい声でなきました。この時子ぎつねはなぜ悲しい声でないたのでしょうか
回答:「子ぎつねじゃないからわからない」
表情をとらえる、物語から想像をふくらませる、何気なく幼少期から学習してくるはずのものが学習機会を多く与えても獲得しにくい。4歳まで寝かしつける際の読み聞かせは本人にとっては念仏を聞いてるものと同等で退屈、だから刺激を求めて同じ場所をぐるぐる走り回っているという毎日でした。
TVや動画は目からの刺激や変化が多いので習得しやすい情報だと思います。変化の乏しい挿絵だけの絵本は中学生まで全く興味を示さなかったです。
成長につれ、相手の気持ちを考えられず相手から怒られたり嫌われたりしていくストレスの中で自分にあった人間関係構築方法を獲得していきます。
相手を怒らせたり、自分が嫌われないように
- 言ってることはわからないけどとりあえずニコニコ意見を言わず我慢する
- 人は人、自分は自分と割り切る
- 対人関係を避ける
など
それを学習として支援してくれるのがSST<ソーシャルスキルトレーニング〉=社会生活技能訓練というものです。
なぜトラブルになるのか。その違いを相手も自分もわかっていないから生じる。
例えば・・・
このトラブルに対して通級で実際息子の支援として行ったSSTでは、「ごはん」という言葉のとらえかたについて客観的に考えさせたりすることでこのような場面ではどう考えたらよいかを繰り返し経験させていきます(ケーススタディ=事例研究)。
ゲームを通したり、グループディスカッションや体を動かして経験させていく。
社会生活訓練という言い方は堅いですが(;'∀')ようは対人コミュニケーションでのつまずきをひとつひとつ学んで集団に適応しやすくしたりします。
発達障がいの人がこのように大したことがない事にこだわり、激しい感情や言動で攻撃してしまうのにはいくつかの原因があるのではないかと思います。
-
ルールを覆されると混乱する=急な変更に対応しにくい
-
本人の中で納得した後その先の計画があると全部無駄になるので考えたことが無駄になる
なぜルールを変更でパニックになるの?
なぜ急な予定変更がストレスなの?
なぜスケジュールやルール通りにいかないといけないのか?
この頭の中での完璧な理想像と実行能力との差にも想像をできないほどの葛藤とストレス、自分を責めてしまう、自分はダメな奴だと落ち込んでしまうなどさらなる苦悩があります。
出来ないことをやろうと考えることをやめたらいいのにと思いますが、非合理的なことをやるのも相当なストレスで本人の中で折り合いをつけ納得ができるまでその葛藤は続いていきます。
葛藤が続いていく限り周りとのトラブルは生じ続けていく結果となります。
共感力、対人コミュニケーションスキルやこだわりと上手に付き合う方法は時間がかかっても獲得していける
例えば、目の前で泣いている人をみて、自分も身が裂ける程に切ない思いができるような共感力まではいかなくても、前後のエピソードからかなしいのだということを理解することはできるし、そのときに自分が他者に対してどう接していくのかの言動を獲得することはできます。
ただ、それには多くの経験と葛藤、ストレス、情報が必要になります。
息子も実際の社会生活の中でどんなところに本人が困っているのか、うまく発信することができない子どもでした。
なにかあったらひたすら部屋の隅で落ち込んで座敷童化している。
その時に活用したのは下の書籍です。
同じADHDでも強く出ている特性が違ったりします。
たくさんの書籍や情報を得ても自分の子どもに当てはまるようなあてはまらないようなぴったりくるものがないな~っていうのがほとんどです。
私が今正式に病院などで検査を受けたらASDやADHDだと診断されると思います。
実際2020年現在、脳の過活動によるストレスを抑えるためにストラテラ36mgを毎日内服しています。
ADHDの特性だけをみれば息子よりはるかに私の方が当てはまるものが多いです。
探し物は常にしていますし、鍵は何度作ったことか。
対人関係も人並み以上に不器用でトラブルもあるし、興味の対象の偏りも強い。
学習の方法も学校に与えられた方法は合わない。
だからこそ工夫して克服してきた経験があるから、息子の困難さも理解できる。
私ができて息子ができないものに対してはなんで?って思ってしまいますが(笑)
この本は息子の今抱えてる学校での困難さを知るのにわかりやすかったのでぜひ親子で読むのにお勧めしたい本です
発達障がいの特性と高校進学へのみち①
発達障害や難病といっても様々な特性、性格、環境などがあるためその子の特性、個性にあった選択が必要となってくると思います。
息子の場合公立学校普通級在籍で先生や周囲のサポートを得た状態でこなしてきました。
高校を選択するのにあたり、ある条件の支援を得られれば普通全日高校進学という選択肢もあります。
息子の特性状況を考慮し選択肢としてあげられるのは
1、全日制都立高校
2、定時制都立高校
3、私立発達障害受入れ可能な高校
4、通信制サポート校
5、チャレンジスクール(公立定時制・3部制)
6、エンカレッジスクール(公立全日制)
があります。
本人の希望は全日制都立工業高校です。
工業科で第二種電気工事士を取得し卒業後は電気工事関係の会社に就職したいそうです。
そして仕事と趣味を両立していくというのが当面の目標のようです。
息子が高校進学時に問題となってくるところとしては
①時間が守れない(先の見通し計画の困難)
②提出物の期限が守れない
(①とかぶりますが、ここは提出するタイミングなどがわからない)
③短期記憶が弱い
④睡眠障害があり時々ドロドロ状態
⑤処理速度が遅い(時間内に課題をこなすことの困難)
①時間が守れない
遅刻は5分~15分のものを3日に1度。時間の概念が違うのでしょうか。ただのルーズなのでしょうか。
決められた時間が近づくと支度をしだします。そして間に合わない。ここは⑤も絡んできていると思います。
とにかく物事を簡単に考え”そんなのすぐできる”と自分の能力を過信した発言があり、実際はできないので指導する立場の人を不愉快にさせ関係性を悪くします。
慣れてくると悪いという気持ちはあっても素直にごめんなさいと言えなくて叱られます。
自分でもなぜ守れないのかはわかっていません。
時間30分前行動といっても自分は完璧に5分でやりこなせると思うので25分待たされるということに強い不快感を示し無駄だと決めつけて実行しません。
何度困った事態に陥ってもまだ修正されません。
病院受診などは1時間前行動です。
②提出物の期限が守れない
提出物は私のチェックなどで出来上がっていて持ち合わせていたとしても提出できません。
みんなが出しているのだからそのまま声かけてもらって出せばよいのに・・・なぜか出しません。
もしかしたらADHDの特性のように違うことに気をとらわれていて意識が提出物に向かないからかもしれません。こうなると先生の支援を必要とします。声かけで出すよう意識が提出物に向くまで伝えてもらうという支援が必要になります。
③短期記憶が弱い
これは難病も絡んでいるかと考えています。理解しにくいことかもしれませんが、いきなりその日物覚えが極端に自覚できるほど悪くなります。
ひどいとメモをとろうと思った瞬間内容はわからなくなっています。
毎日というわけではなく1か月に数日という頻度だと思います。
④睡眠障害
夜寝ていても質が悪く日中寝てはいけない時間に肩をたたいても起きれないほど深い睡眠に襲われます。食事をしながら寝てしまうようなことはさすがになくなりましたが、体を動かしていない場合は自制がききません。
これも1か月に数回ほどの頻度かと思います。
⑤処理速度が遅い
自分ではできる簡単だと思う動作でも思うスピードで処理できないです。
手先は時間をかければ器用にこなせるのでしょうが、聞いて考えてすぐ判断して行動という器用さはなかなか難しいものがあるのかもしれません。
美術や家庭科、技術、などの作品の課題提出はみんなと同じスピードでできません。
みんなが彫刻刀で物体を削り終えた段階でようやくデッサンが終わるといった具合です。
しかも私でもこれを作るのは無理じゃないだろうかという大作をデッサンしています。
本人作れる気満々ですが作り終えた作品の提出がすでに終わっています。
次から各高校の学校見学をさせていただいて親の目線で書いていこうと思います。
画像が横になってしまいましたがコンビニでこのような商品が発売され試しに買ってみました
結局昼間にがぶ飲みされてしまい(←いうこと聞かない)検証ができませんでしたがまたチャレンジしてみます。
あ、あと肝心な成績ですね、
都内のW模擬 5教科38 3教科34 4月時点
偏差値は埼玉の北辰テストで5科49.3 3教科47.4 5月時点
30台でいける高校なんてあるんだろうか・・・。
あとは本人がどこまで頑張るかです
12/25から1/7まで冬休み。
今年の年末年始は目標引きこもり(笑)ってことで。
でも振り返ってみると色々出かけていますね。
12/24はクリスマスパーティ。
今までは色々なところからお声がかかっていて子ども&ママでワイワイしていたクリスマスですが
今年は仕事の主人がいない状態でケイティとふたりきりのクリスマス。
ケーキのデコレーションはケイティがしてくれました。
そこへKサンタ&Hくんが突撃プレゼントをしてくれてうれしいサプライズ。
12/25 終業式
通知表はオール3。テストの成績の割には先生いい点をつけてくれてます。
しかしオール3もすごい。
得意も不得意もない。本人いわく数学、英語、音楽、美術、体育は苦手だと。大分多いね^^;
お姉ちゃんは典型的なスポーツはできるけど勉強はてんでダメなタイプ。
12/26~27
千葉のコテージに一泊しながら忘年会。
ケイティが3歳の頃からもう10年になる友達。
総勢8名でワイワイ今年も過ごすことができました。
ケイティのマブダチ?は今年43歳(笑)
一緒にいたずらもします。
今は反抗期のケイティと一緒に43歳の反抗期が一緒になって口で反抗してくるのでウザッ。
12/29
スイーツパラダイスへ
子ども7人。大人2人でワイワイいきました。
最初は女子会+ケイティのつもりがどうせいくならワイワイ行こうよ!っていうことでこの人数。
1/1 元旦
カウントダウン中、ケイティのアカヒレがお亡くなりになっていることに気付いてしまい
ギャーギャーいいながら年越し、年明け。夜中でもうるさい我が家。
そのまま初詣へ。1時過ぎごろ佐野厄除け大師に到着。
予報ではなかったのに現地に着くと雨。
傘もなく・・・みんなずぶぬれw
おみくじ
主人・・・吉
娘・・・・・吉
ケイティ・末吉
私・・・・・半吉 (;゚д゚)ェ. . . . . . 半吉ってなに?!
みんなに大爆笑されしばらく笑われ続けました。
元旦は実家へ挨拶に行き
1/4 仕事始め
仕事始め一発目で軽くギックリ。
今年の運勢やっぱり半吉。
1/5 都立小児科へ定期受診
血中カルシウム値は正常値。
血中リン値も下がってきて大分ほっとしたのもつかの間
尿中カルシウムが上昇。
ゥ──σ(・´ω・`;)──ン
あっちを治せばっこっちが悪く・・・。
このまま尿中カルシウム値も下がってくれればいいのですが。
あと気になるのが、永久歯の生え換わり。
12~1月から3本抜け生え換わりましたが、3本とも永久歯の萌出する最初の部分だけ色が変色。
死んだ歯の色だったり異様に黄色かったり。
変色している歯はこれで5本目となりました。
疾患との関連を疑ってしまいますが・・・とりあえず栄養摂取はできるようなので経過をみていきたいと思います。
病院の帰りに秋葉原へ。
2時間程度の滞在でしたが有名なおでんの自販機を偶然発見し感動(笑)
ケイティは着実にヲタク系ですね。
なんとかってキャラクターのシールがある!と大喜びしていましたが母は興味なし。
でも、自分がみたことない世界には興味津津なので
しばらく秋葉探索を楽しみます♪
秋葉グルメも楽しみたいし(笑)
1/8
ケイティの道着、袴を慎重。
再度スーツを探しに行く。
今日から始業式。
1/9
病院へ定期検査。
脳波、血液、採尿。
1/10
イケアへ買い物。
1/12
通級。
歯医者へ連れて行く。
医者と買い物ばっかりかも(´゚∀゚`;)
ADHDの傾向、高機能自閉症スペクトラムと診断されていた息子が小1~中3まで公立学校 通常学級在籍していたとき、通級指導教室におけるSST(ソーシャルスキルトレーニング)指導の打ち切り時に知った組織、就学指導委員会=教育支援委員会=就学支援員会(2016年私が通級指導教室の先生に教えてもらった名称)のことを調べてみました。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
※原文は下のリンクから文部科学省HPでご確認ください。(引用2020.5.12)
就学相談・就学先決定の在り方について
それを読んで私なりに👆を要約すると
- 公立小中学校に就学希望の児童、保護者の意志を尊重し、各種専門家たちがOKし、就学支援ができると各市町村の教育委員会が最終決定したら就学できる。その就学先で児童に一貫した支援の提供をするために就学支援委員会がある。
- 平成25年9月(2013年) 就学指導委員会から教育支援委員会と名称変更
<名称変更の理由>
就学に関する支援だけでなく就学前~就学後も一貫した情報と支援の提供を行うことから名称変更
就学指導委員会=教育支援委員会の役割
(ア)障害のある子どもの状態を早期から把握する観点から、教育相談との連携により、障害のある子どもの情報を継続的に把握すること。
(イ)就学移行期においては、教育委員会と連携し、本人・保護者に対する情報提供を行うこと。
(ウ)教育的ニーズと必要な支援について整理し、個別の教育支援計画の作成について助言を行うこと。
(エ)市町村教育委員会による就学先決定に際し、事前に総合的な判断のための助言を行うこと。
(オ)就学先の学校に対して適切な情報提供を行うこと。
(カ)就学後についても、必要に応じ「学びの場」の変更等について助言を行うこと。
(キ)合理的配慮※の提供の妥当性についての評価や、合理的配慮※に関し、本人・保護者、設置者・学校の意見が一致しない場合の調整について助言を行うこと。
合理的配慮※とは
「合理的配慮」とは、
「障害のある子どもが、他の子どもと平等に「教育を受ける権利」を享有・行使することを確保するために、学校の設置者及び学校が必要かつ適当な変更・調整を行うことであり、障害のある子どもに対し、その状況に応じて、学校教育を受ける場合に個別に必要とされるもの」であり、「学校の設置者及び学校に対して、体制面、財政面において、均衡を失した又は過度の負担を課さないもの」、と定義
教育委員会が公立学校就学について最終決定をする
市町村教育委員会が、本人・保護者に対し十分情報提供をしつつ、本人・保護者の意見を最大限尊重し、本人・保護者と市町村教育委員会、学校等が教育的ニーズと必要な支援について合意形成を行うことを原則とし、最終的には市町村教育委員会が決定することが適当である。
引用:文部科学省 https://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chukyo/chukyo3/siryo/attach/1325886.htm
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
※ここから下は、個人的感情が入っています。不快感を与えてしまったらごめんなさい。
本人、保護者への十分な情報提供や意志の尊重などありませんでした。
うちのケースの場合、話し合いの末に児童・保護者と教育委員会・学校が同意を得られなかったということではなく、決定だけを一方的に伝えられることにおかしいのではないかと疑問を学校教員に問うことだけしか実際はできませんでした。
相談、質問した先生方は「気持ちはわかる」「私に決定を覆す力がなくて申し訳ない」とおっしゃいました。それ以上この先生たちに訴えても意味がない事だと痛感しました。。
学校側の決定に納得していないのならば、公立学校に子どもを通わさないという選択肢を保護者が子どものためにもつ必要性を私は訴えたいです。
当時の私は、子どもが学校に通わないでいいという概念を持ってなかった固い固い頭でした。
子どもを尊重してくれない組織にいれて子どもの笑顔が失われるならば、
興味の持てるような体験をたくさんさせて発達障がいの子がもっている集中できる何かを一緒にみつけていくような組織(フリースクール、サポート校など)や自宅で体験させたほうがよっぽどよかったのではないかと後悔しました。
対人コミュニケーションなどの不得意分野も、本人がなんとかしなきゃと思えばきっと心理学でも学んで対応しようとする能力があるはず。
笑顔を失うことよりも公立学校や高校大学進学が重要なことなのかな?
って当時の私、気づけなくて本人を責めてしまってものすごく後悔しています。
2016.1月 息子が公立中学1年生の時点で説明をしてもらった”就学支援委員会”のこと
- 小中学校の教員
- 医師
- 通級の教員
- 特別支援級の教員
- スクールカウンセラー
など各専門家総勢50名が年3回集まり会議を行う。
第一回の会議では1学期の学校生活で支援が必要と思われる生徒について話し合われる
会議で話し合われる生徒のピックアップについては、
-
在籍校内でコーディネーターの先生が中心となって職員会議し決定される。
-
就学支援委員会の会議に出した方がいいと思われる生徒の名前が挙がると、学校は担任を通して保護者に了承を得て(緊急の場合は了承を得ないで)就学支援委員会で話し合われ、どのような支援が必要で適切かを話し合い判定を出す。
判定を保留にされた生徒については第2回、第3回の会議で最終判定を出す。
特に発達障がいの生徒に対しては学校生活の中で
1、行動・・・集中ができない等の問題
2、学習・・・学習障がいなどで普通級でついて行けない生徒
3、他者との関わり方・・・他者の気持がわからずトラブルになってしまい困難を生じている
の3つの点で問題のある生徒をピックアップ対象としている。
2、普通級に在籍し通級に通い週1回の個別支援をする(不登校生徒は通級指導は受けられない。あくまでも毎日学校に登校できる子対象の支援)
難病と判明した息子。
将来が心配で不安で・・・泣きながらも前を向くしかなくて。
毎日息子や家族、友人が当たり前に周りに居るものだと思っていた。
毎日は同じように繰り返されると。
それが根本から揺らいだことで自分の生活や人生の見方の一部を変更せざるを得なくなったわけだけど。
当たり前が私には当たり前にこないと悟った時。
こどものように駄々をこねて抵抗してみるけれど、そんなことは無意味で。
ひとしきり泣いたからあとは前を向くだけ。
大丈夫。だいじょうぶ。
時間に追われてまさに心を亡くしていた『忙しい』日々から一つ一つ優先順位をみなおしていったら
自分の心が返ってきた。
だいじょうぶ。
今日も息子は笑顔だから。
得られるものがあれば見えなくなるものや失うものもあり、
見方を変えれば見えなかったものが見えてくる。
何言ってるの~?ってブログになってますが・・・w
自分に戒め、ですね。
2015年11月18日 就学支援委員会決定事項の通達が担任の先生、通級指導教室の先生によって伝えらえました。
息子の子育ての困難だったことと相談先を時系列で記載します。
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~幼児期~
- 1歳前・・・気持ちが伝わらないと怒り床に頭を打ち付ける。話を聞いてる感じがない。養育相談へ行くがまだ小さいので様子をみましょうと。
- 2歳前・・・脱走癖が頻繁になる。内鍵が必須になる。
- 3歳前・・・集団になると拒否感が強いことから児童館、サークル通いを開始。養育相談では問題なしと言われる。
- 4歳・・・幼稚園入園。逃亡癖、へそまげが多いので先生の側に常におかれる。
- 5歳・・・かわらず逃走癖。園外へ。園長室登園が増える
~小学生~
- 1年生・・・嫌なことがあると教室を飛び出すのが問題に。校外には出ない。
- 2年生・・・学童の先生からいじけと脱走癖にて注意を受ける。
- 3年生11月・・・担任から集団生活困難感を指摘される。
- 4年生5月・・・通級指導教室のサポートを週1で開始
- 5年生4月・・・本人の希望で通級週1で継続。先生は必要性がないと言っていたがその直後いじめから登校しぶり。通級継続。
- 6年生冬・・・アルツハイマーのような症状があり、家中が散乱。指摘をされると泣き叫び日常生活自体が困難に。
~中学生~
- 中1年生4月・・・情緒不安定ピーク。奇声を発し養育困難感もピークに。児童相談所、教育センター、学校、通級あらゆる機関に相談する。学校ではてんかん様発作出現。
- 中1年生5月・・・自宅でもてんかん様発作にて倒れる。病院受診。
- 中1年生6月・・・てんかん発作10回こえる/日。学校登校拒否。学校も受け入れ拒否。学校に行かせられる状況でなく、発作による生命の危険も感じる。
- 中1年生7月・・・受診検査結果から精査入院決定。変わらず日に6~10回のてんかん発作あり。
- 中1年生7月半ば・・・精査入院前日発作消失。入院後てんかん脳波消失。情緒落ち着くが学校側の受け入れが悪く本人は感じ取ったのが登校しぶりが強くなる。
- 中1年生8月(夏休み)発作なし。奇声なし。受け答えもでき情緒落ち着いて生活できる。登校困しぶり継続。
- 中1年生9月・・・特発性副甲状腺機能低下症の診断され治療開始。登校しぶりはあるがサポート付きでなんとか登校できている。夜間不眠、夜中に食事をしてゴミを隠す
- 中1年生10月・・・血中カルシウム濃度が基準値近くまで上がる。情緒落ち着く。記憶障害なし。お金を盗み友達とゲームセンターに行く。
- 中1年生11月・・・血中カルシウム濃度が基準値にはいる。情緒落ち着いている。毎日学校に通う。
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宿題に対しても、テスト時に提出するワークやノート類に対しても拒否感なくこなす。学生になって初めて自分から奇声をあげずにイライラせずに課題に取り組むことができている。
現在は情緒も落ち着きサポートは必要だが公立中学の普通級で過ごせている。成績はクラス40人中30番前後。てんかん様発作や脳の石灰化による知的障害は認められない。
てんかん様発作で休学してから通級指導教室にも通えない状態だった。ようやく落ち着いて在籍学級に通うことができ、通級指導教室の支援が必要か否かの会議が夏休みの入院中に検討されていたようでその結果がでたということでした。
結果
1学期の状態が、
てんかん発作で倒れてしまい学校生活がままならない状況であり、
特別支援が必要だと就学支援委員会で話し合われた結果
特別支援級へ来年度から在籍した方が良いという決定が下された。とのこと。
なので来年は特別支援級(自閉・情緒の特別支援学級)で、通級指導教室は残念ですが打ち切りです。
通級指導教室での支援が必要と言われた時もそうでしたが、こっちの意志関係なく教育委員会側は勝手に会議して勝手に報告してそれに従わせようとする
学校に通う本人の意志の確認も全くないまま、大人がよかれとおもって勝手にあてがっていく。
それは本当に本人のためを思っての決定なのか?
わなわなと怒りで手が震えた。
今病名が判明し、治療が開始されている。発作なく、登校しぶりもあるがそれでも毎日普通級に通っている。
学校側はリスクの多い生徒は人数の少ない支援級に入れてしまおうという考えなのか?
きっと
学校の先生や通級の先生たちは疲弊していく私の様子を見て支援が必要であり、
学校でできるだけ手厚く息子を支援できる体制を作ってくれたんだと思います。
ありがたいことです。が・・・タイミングが遅いよ・・・・。
病状がどうなるかわからない発作のあるとき=支援が必要な時は学校に来ないでくれと言っておいて、発作がなくなってから支援級にいけという。
しかも難病治療をはじめたら情緒が落ち着き、今までのように発達障害要因での対人トラブルもなくなり集団生活に迷惑かけてないし本人の困り感もない。
実際、内分泌の先生からは副甲状腺機能低下症による精神症状だったと考えられる説を毎月言われるほどに精神状態が改善し今ではコミュニケーションも普通にできるし、なんら問題ない。
息子自身も自分の状況を客観的に医師に伝える能力も以前のように出てきて驚かれるほど。
今日まで毎日通っていた普通級の横にある支援クラスに行かなきゃならないなんて、息子の性格を考えたら嫌がり
逆に不登校になる。
さらに自尊心もかなり低下することが容易に想像できる。
と伝えると、支援級の先生は支援級への熱い思いを話しだした。
そして最後には・・・
「本人の困り感へアプローチし自立と共生ができることを目標にしています」
息子が今困ってるのは支援級に行かされることだよ・・・。
挙句先生が私に言った言葉は
「本人もお母さんも特別支援に対しての理解が足りない」
「てんかん発作が今はないから情緒が落ち着いていますが、また発作が頻発したら情緒が最悪になることも想定されて支援級にいっては?」
「次に状態がわるくなってもそうころころ支援級にいったり普通級にいったりすることはできないです。1年スパンなので」
※この時の「いく」は在籍するという意味だそうです。←後から確認。
そして、今回の就学支援委員会で特別支援級への在籍への決定がくだったので、来年からは通級に通うことはできません。
小4の時、息子がどんな経緯で通級指導教室に通いはじめたのか、
それを周りの目に怯えながらも4年間も通い続けていたのか、
そして通級という場所と通級の先生がどんなに必要な場所であって本人が中学生になっても通級指導を希望していたのか理解してない。
そのうえなんとしても特別支援級にいれたがる。
心の闇全開になりました。
私はブラックハートのまま、熱血支援級の先生に教室の見学に連れていかれ、いかにいい支援かを話された。
(中身は通級そっくりでした。)
http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chukyo/chukyo3/044/attach/1298217.htm
「特別支援教育の在り方に関する特別委員会」におけるヒアリング資料
「埼玉県の特別支援教育の現状」
(「支援籍」制度の取組及び就学に係る概要等について)
平成22年10月5日
埼玉県教育委員会
~中略~
(2)就学支援の基本的な考え方
○1 保護者の願いや気持ちを共感的に丁寧に聴く。
○2 保護者の意見や専門家の助言を踏まえながら、子ども一人一人の障害や発達の状況について的確に把握する。
○3 療育機関や幼稚園等の関係機関との連携を深め、早期からの相談支援を行う。
○4 就学支援においては、就学時だけでなく、就学後の経過観察が必要な子どもに対して、保護者との信頼関係を保ちながら、丁寧なフォローアップに努める。
○5 障害のある子どもに対しては、その成長の過程において多面的、専門的な支援が必要となることがある。そのため、さまざまな関係機関の専門家と連携を図り、一貫した相談支援体制を築く。
○6 障害のある子どもの就学支援をしっかりと行うために、個別の教育支援計画を策定し、活用する。
(3)就学支援委員会の役割
○1 障害のある子どもの就学先について、その障害の種類、程度等を教育学、医学、心理学等の観点から調査・審議する。
○2 特別支援学校や特別支援学級、通級指導教室の教育的支援の内容等について助言する。
○3 小中学校や特別支援学校に就学した障害のある子どもに対するフォローアップを行うとともに、障害の状態の変化等に伴う転学や、通級による指導や特別支援学級での教育の必要性について調査・審議をする。
○4 障害のある子どもの教育支援プラン(個別の教育支援計画等)への助言を行う。
息子に特別支援級にいかないかと教育委員会の先生から話をされたよと伝えると、
「絶対に嫌だ」
「そこに行けというなら二度と学校へは行かないから」
きっぱりと意志をいうのは穏やか主義の息子の性格からするとものすごく珍しい、
それくらい嫌だということです。
私は息子の意志を尊重することにしました。
先日ようやく国立国会図書館に行くことができました。
特発性副甲状腺機能低下症についての欲しい情報がネット上では限界で。
実際の事例研究をされた医学資料が欲しくなったのです。、
調べたい内容の資料、本を探して、
本が用意されるのを待ち、
分厚い本や資料を受け取り、
さらにそこから欲しい情報を探して、
コピー以来して
コピーを受け取って持って帰ってくるだけで
一日がかり。
そして持ち帰った資料を時間をかけて調べながら読み、
内容を理解するのにまた時間がかかる。
今持ち帰ったコピーを読み終えたのが1/6というところでしょうか。
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きっかけはやっと紹介していただいた内分泌科の先生に発達障がいについて訊ねられ
なんでここで発達障がいについて訊かれるの?と頭の中は「???」でいっぱいでしたが
かいつまんで伝えると先生は、
「うん、発達障がいじゃなかった可能性があるね」
と笑顔で言われました。
親子3人顎が外れるかと思うくらいびっくりです。
「副甲状腺機能低下症の精神症状のひとつだったかもしれないですね。
ほら、小3で発達障がいの指摘を担任の先生に言われた時期も一緒だし。
その後小4の6月に肺炎で入院したら幻覚幻聴があって入院先で精査したら脳炎。
その時に低カルシウム血症を指摘されてることを考えると、時期一緒ですよね。
だから否定はできないよね」
えっと・・・精神症状って?!
「不機嫌、イライラ、もっと小さいと泣きどおしだったり・・・情緒不安定とか・・・」
えっと・・毎日がそんな感じなのであまりよくわかりません。。。
結局、発達障がいであろうと
個性であろうと、
精神症状であろうと・・・息子にに変わりはない。
しかしできることとできないこと、努力の範囲内なのかでそうでないのかは冷静に細かくみて対応していく必要はありそうです。
しばらくは文献とのにらめっこになりそうです。
看護師として本格的に仕事を4月から始め(その前も3年働いてましたが^^;)、
仕事に家庭に忙しく過ごしていました。
忙しくも充実していたのですが、
5月末実子が倒れました。
以降、原因がわからず倒れる息子と病院をたずねる日々。
そうこうしているうちに倒れる回数が日々おおくなり、一日に数回~十数回となっていきました。
仕事どころではなく、5月末から休職し24時間いきなり倒れる息子に付きっきりで生活していました。
ようやく7月に大学病院で精密検査入院が決定しやっと原因がわかるとわからない不安の中にいたところから救いあげてもらえた気分でした。
二転三転する病気の原因に翻弄されていましたが、
入院先の某大学病院が伝えたことは、【原因不明】・【これ以上検査し診れる医師がここにはいない】とのことでした。
原因が分かれば治療があると思っていただけに・・・。
大きなショックで目の前が真っ暗でした。
場も関係なく悲しくて悔しくて不安で、たくさん泣きましたが・・・。
だからといって息子の命を諦められるわけもなく。
日中は息子に四六時中付き添い、夜中に医師探し、病院探しとともに当てはまる症状がないかを探す。
自分は医療関係者なのになにもわからぬ不安、どうすることもできない無力さ。
次から次へと与えられる試練に悔しくて悲しくて。
ようやく診れる医師を見つけ診てもらい、8月末に原因不明の難病であることが判明しました。
今の医学では治すことができない、慢性的に進行していく病状。
今後どのような症状が現れるかもわかっている部分と不明部分と。
実子は5月末から完全に引きこもり状態。
あれだけ携帯依存みたいな状態だったのに友達と連絡をとることも嫌がり・・・
まるで人が変わったようになってしまっていました。
そんな実子や私を支えて見守って救いあげてくれたのは多くの友人でした。
こんなにも心配してもらい、手を差し伸べてくれる。
徐々に実子も外に出れるようになり、病状も運よく落ち着き。
学校へ少しずつ行けるようになりました。
そろそろ私も仕事復帰をしようという段階までようやく、本当にようやくこれた感じです。
人生ってなんなんだろう?心が折れてやさぐれそうです