ひとつの疑問を残して | 鬼ですけど…それが何か?

鬼ですけど…それが何か?

振付師KAZUMI-BOYのブログ


今回の休暇で4年ぶりに訪れた福島。

前回同様、慰霊はひとつの目的でしたが、もうひとつは『福島グルメツアー』でした。

福島は広い!そしてデカイです!

その面積の広さは、北海道、岩手に次ぐ第3位。

よって、会津地方、中通り地方、浜通り地方と、大きく3つに区分された各地域では、言葉も文化も風習、習慣も違います。


各地域の名物を食べ歩き、改めて感じ、分かった事は、食文化は『人』の努力と工夫、そして苦労の結晶である!と言う事。

そして、愛情と誇りで育まれ、受け継がれているのだと言う事。

受け継がれて来たと言う事は、当然ながら歴史があると言う事。

そうした歴史を、サラッとでも知る事は、とても大切で、そして楽しい事です。

ただ『美味しい!』を連発し、舌鼓を打って終わりにするのではなく、その美味しさの秘密は何処から来るのか?また、どうしてこんなに長く受け継がれる事が可能だったのか?

そんな事を調べてみると、食べ終わった後も、再びの感動が得られますね。


福島から戻り、横浜の田中屋さんでも、全く同じ事を感じました。

長い歴史の裏には必ず、汗と涙、怒り、悲しみ、悦びと楽しみ、そして人々の真摯な『仕業』『仕事』がありました。

『継承して行かなければ!』『守って行かなければ!』と言う、愛と決意、そして誇りがありました。


人を感動させる為には、絶対に必要な事です。

大内宿が現在の佇まいになり、多くの観光客を集める様になるには、そうなるべき歴史がありました。

その歴史を守りたいと頑張る人々と、それを支える行政がありました。

人々の結束があったればこそ、今の大内宿がある・・・と言う事を知りました。


田中屋の女将は言いました。

『近代化が進む中、それでも守らなければ、伝えて行かなければならない文化がある』と。

かつては沢山の料亭が周りにありましたが、近代化の波が押し寄せ、次々と店じまいして行く中、田中屋さんは必死に暖簾を守ります。

しかし、そうした頑張りを見せる女将に、心無い人々は冷たい言葉を浴びせます。

『一体、いつになったら店をたたむんだ?』

『ババァの三味線なんかじゃ、飯が不味くなる!』


田中屋さんには、政治的な『守り』がありません。

(女将!頑張って!!)


ユネスコが、和食を無形文化遺産に認定したのは記憶に新しいです。

和食が無形文化遺産ならば、その和食を、江戸時代から154年もの間、大切に伝えて来た田中屋さんに、何故、行政は付かないのでしょう?動かないのでしょう?

神奈川県は・・・

横浜市は・・・

何故動かないのでしょう?


好奇心を満たす旅の最後に、ひとつの疑問が残りました。