愛と勇気の物語③ | 鬼ですけど…それが何か?

鬼ですけど…それが何か?

振付師KAZUMI-BOYのブログ


泣きながら慰霊碑に近づいた私は、その車がパトカーである事を知りました。

そして何故、この公園にまつられたのか?

何故、慰霊碑がこのパトカーと共に、此処に運ばれたのか?

その理由が解りました。

以下、設置されているパネルの文章を掲載します。

文章はそのままですが、私なりに、更に読みやすくする為、原文よりも句読点を増やしています。

原文をお読みになりたい方は、写真を拡大してお読み頂ければと思います。






震災遺産

津波被災パトロールカー(双葉31号車)  ベース車両 トヨタ・クラウン


この車両は、平成15年に双葉警察署に配備されたパトカーです。

以来、富岡町や双葉郡内で、住民や地域の安全を守る、多くの業務に携わり、走行距離は29万24㎞を超えました。

平成23年3月11日の、東北地方太平洋沖地震発生後、双葉警察署から、増子洋一警視(当時41歳)と、佐藤雄太警部補(当時24歳)が、このパトカーで富岡町仏浜地内に急行し、町民をはじめ、沿岸部の住民の避難誘導を行いました。

避難した住民の中には、駆け付けたこのパトカーと、冷静に避難誘導をしていた2人の警官の姿を、鮮明に覚えている人が多くいました。


その後パトカーは、2人の警察官と共に津波に遭い、車両は子安橋のたもと付近にて、多量の土砂が流入した状態で発見され、増子警視は、地震から約1ヶ月後に、陸地から30㎞離れた沖合で発見されました。


また、佐藤警部補は行方不明のままです。


震災以後、このパトカーを訪れ、手を合わせる人や献花する人々が増え、自然と祭壇が設けられ、2人の警察官にメッセージが寄せられるようになりました。


このパトカーは、震災直後の初動対応として、津波が近づく緊迫した時間の中、使命感と勇気を胸に、多くの住民を守るために職務を全うした人達がいたこと、そして、平穏な町を襲った地震や津波の威力の凄まじさを示すものであり、東日本大震災を象徴する、歴史的な資料として貴重なものです。


この震災遺産を通じて、震災を後世に伝えるために、町民とご家族、そして福島県警察、富岡町とふくしま遺産保全プロジェクトが共働して、この場所に設置しました。

平成27年 3月




私達は、用意して来たお線香、お酒、水、お菓子をお供えさせて頂きました。


いつまででも手を合わせていたい思いでした。

そして、この移設された慰霊碑と、貴重な記念碑であるパトカーから、愛と勇気のお裾分けを頂きました。



亡くなった方々から、愛と勇気をお裾分けして頂く・・・

私達は生かされているのだ・・・

こうした悲しく、切ない出来事の犠牲から、私達は、必ず『何か』学ばなければならない・・・

生きる事に疲れてはいけない・・・

下を向いてはいけない・・・

生かされている私達は絶えず、前を向き、前に歩かなければならない!!

私はそう思いました。

皆さんはどう感じて下さったでしょうか?


この物語、この記事が、お読み頂いた皆さんの胸に届き、また、皆さんの前向きなエネルギーの源のひとつになれます様に・・・



切に願っています。