ニューヨーク物語 126 | 鬼ですけど…それが何か?

鬼ですけど…それが何か?

振付師KAZUMI-BOYのブログ




ジョディーが煎れてくれたコーヒーから立ち上る湯気…。


重苦しい沈黙…。


私達三人はテーブルに着き、顔を突き合わせたまま、黙って居た。



さながら…


手術室の扉の前で、ひたすら近親者の手術の成功を祈りながら、寡黙に過ごす家族の図の様である。


どれくらいの時間そうしていたろうか?


この重苦しい沈黙を破ったのは、ジョディーだった。


「私達ね…ニューヨークを離れてフロリダに移ろうと思ってるの。」


「え?フロリダ?」


「ええ。何も準備してないから、直ぐにって訳じゃないんだけど…。」


「フロリダに行ってどうするの?」


「それもこれから話して考えるつもりよ。」


ジョディーがスコットと目を合わせる。


「ニューヨークよりは暮らし易いって言うしね。」


スコットが言った。


「そう…。」


思いがけない展開に、私の反応は今一つ鈍い。


『ジョディーもスコットもニューヨークから居なくなる…。』


まだ形を成さない漠然とした計画を聞かされ、私は再び黙り込んだ。


「貴方は日本に帰って、新しい環境と状況の中で、また前進する…。」


ジョディーが私を見つめた。


「私達も前へ進むわ。」


私はジョディーを見つめ返した。



ジョディーもスコットもニューヨークから居なくなる…?


そんな事…


夢にも思わなかった…。


「カズシが迎えに来るんでしょ?」


私は壁かけの時計を見た。


「あ!シャワー浴びなきゃ!」


私は、釈然としない…形容し難い…何かモヤモヤとした思いを抱えて、バスルームに向かった。



『もし、またニューヨークに帰って来ても、その時にはジョディーもスコットも居ないかも知れないんだ…。』


この感情は何だろう?


この…ポカンとした…いきなり出来た穴…得体の知れない黒い穴を見る様な…


どう反応したら良いのか解らない感情であった。


まじろぎもせずに突っ立ったまま、降り注ぐ湯を浴びながら…


私はふと思う。


『ジョディーは…ジョディーも今、こんな思いでいるんだろうか…?』




シャワーを浴び終え、私は自室に入った。


綺麗に片したベッド。


このベッドに寝る事は…


もう無い。


そのベッドの脇には大きなトランクが二つ。


何日もかけて厳選した、私ニューヨークで得た『欠片達』が詰まっている。


並べてあるのは、機内持ち込み用の大きなバッグ。


開け放たれたクローゼットの扉の奥に、空っぽの棚が見える。


もう此処に、私の衣類が並ぶ事は無い…。


『この部屋を与えて貰った時は嬉しかったな…。』


それまで自分の部屋など持った事など無かった私の、人生初の『自分の部屋』である。




私は着替えを済ます。


人は知ってしまえば、知らなかった頃には戻れない。

ニューヨークに来なければ知らなかった事を、私は知り、ニューヨークに来なければ会えなかった人達に、私は会った。


そして今…


ニューヨークに来なければあり得無かった別れを、私は体験、痛感している。


ジョディーと出逢わなければ、こんな思いをせずに済んだ?


ジョディーと出逢ったからこそ、体験出来る痛み?


これは…


この強烈な寂しさと胸の痛みは、ニューヨークで私が得た多くの事、貴重な多くの経験に対する代償…?


…ならば…


支払わねばなるまい…。


『胸って…ホントに痛くなるんだな…』




私は、不必要にノロノロと自室から重いトランクを運び出した。


スコットが手を貸してくれる。


アパートのエントランスのチャイムが鳴った。


ジョディーがインターフォンを通じ、カズシの到着を確認する。


そして、気重な様子で玄関の鍵を開けた。


私は黙って、その様子を見ていた。


玄関のドアが開き、カズシが表れる。


「ハイ、ジョディー。ハイ、スコット。」


「ハイ、カズシ。」


まるで感情の動かない、無機質な挨拶が交わされる…。


「カズミ、支度出来た?」


カズシが並べてあるトランクに目をやった。


「うん…。」


カズシが私の目を覗き込む様に、ジッと見た。


私はカズシの目の奥の言葉を読んだ。


『ジョディーとの挨拶は済ませたのかい?』


私達は無言で言葉を交わした。


『まだだよ…カズシ…』


『じゃあ、ちゃんとして…』


『だって…だって…』


私の視界が曇り出し、カズシの顔が一気に歪む…


『カズミ。』


『だって…なんて言ったらいいか…分からないんだ…』


もう…


私の視界の中のカズシの顔は形を成していない…


私の肩が…


小刻みに震え出す。


私とカズシの無言の会話を見ていたジョディーは、私達に背中を向けた…。


「カズミ!」


カズシの声。


「ジョディー。」


スコットの声。


私はジョディーを見た…


その途端、私の目からボロボロと涙が溢れた…。


視界が少しハッキリする…。


ジョディーはスコットに肩を抱かれ、私の方に身体を向けた…。


しかし、下俯いたジョディーの顔が見えない…


『ジョディー』と、呼ぼうと…声を掛けようとした…


しかし…


涙が喉をキツく締め上げる。


見兼ねたカズシが私の代わりにジョディーを呼んだ。


「ジョディー。」


ジョディーはゆっくりと顔をあげる…。


私とジョディーは、お互いの顔を見た。


酷い顔。


涙と悲痛な思いに、ジョディーの顔は痙攣している…。


ジョディーの綺麗な顔が…


こんなに歪むなんて…


私はおずおずと、ジョディーに両手を差し出す…


喉が痛い!


顎が痛い!


首が痛い!


あばら骨が痛い!


身体中が…


ジョディーとの別れを拒んでいる…


ジョディーもゆっくりと両手を私の方に伸ばした。


『何か…何か…言わなきゃ…言わなきゃ!』


私達の手が触れ合う…


後は…


ただ…


お互い…


言葉もなく…


ひたすら…


ただ、ひたすら…


嗚咽の抱擁。




言葉など無力だ。


この思いの、たったほんの一部すら言い表す事が出来ない。


この世界の、幾多数多存在する言語をどんなに駆使しようと、こんなにチッポケな私の、こんなにチッポケな思いすら表現する事は出来ない。



この二年…


私とジョディーは…


こんなにも深い思いを積み重ねて来たのだ。


それを言い表し、更に、今の私達のこの感情を言い当てる言葉など、この世に存在する訳がない。



カズシは…


残酷な役回りを買って出た。


「カズミ…時間だよ…外でみんな待ってる。」


覚悟していた時が来た。


しかし…


私がしていた覚悟など、如何に脆いものであったか…


どうにもならない事に対する往生際の悪さ…


この空間、この時間から、ジョディーから立ち去り難く…



ジョディーの身体を離す時、まるで皮と身が引き剥がされる様な痛みを感じた。


カズシとスコットがトランクを表に運び出す。


二人の姿が玄関の外に消えると…


「…さ…さぁ…い…行ってらっしゃい…」


ジョディーが涙に声を詰まらせながら言った。


「あ…貴方の…行くべき所へ…」


私は…


頬を伝う涙を手で拭う…


その私の様子に少しだけ冷静さを取り戻したジョディーが言った。


「私は…ここから…貴方を送り出す…いつもの様に…だから…さぁ…行きなさい…」


その言葉に私は、ゆっくりとジョディーに背中を向ける。


そして玄関のドア・ノブに手をかけた。


「Have a good day, Jody…」


「…You too, KAZUMI-BOY…」



私は…


次に自分が進むべき世界へと…


その扉を開けた…。