暗闇が白む…。
ゆっくり昇る朝日が宴の終わりを告げた。
「カズミ、そろそろ帰って支度しないと…。」
カズシがポツリと言った。
みんなの動きが止まった。
そして、みんなの視線が落ちる。
「うん。」
私が立ち上がる。
「信じられない…。」
シェリーが言った。
「カズミが居なくなるなんて、信じられない。」
誰も答えなかった。
「すぐに帰って来るさ!な?」
カズシが私の背中をポンと叩いた。
「カズミと此処でお別れの人は、何か言い残した事は無い?」
私は身支度をしながら、みんなの顔を見渡した。
この中の何人かは、空港まで見送りに来てくれると言う。
「無いね?大丈夫だね?」
カズシが念を押す。
みんな黙っていた。
「じゃカズミ、後で迎えに行くから。」
「うん。」
私は、此処でサヨナラを言わなければならない友人達の方に顔を向けた。
「みんな…今迄ありがとう。それに今日は、こんなに遅くまで付き合ってくれてありがとう。」
誰かが…
泣き出した…。
「お世話になりました!」
私は深く頭を下げた。
私は、黙って一人一人と抱き合い、別れを告げ、カズシのアパートを後にした。
荷造りは済ませてある。
帰って、シャワーを浴びて、着替えたら…
出発だ…。
カズシのアパートの前でタクシーを拾う。
タクシーは真っ直ぐに14thストリートを目指して走り出した。
「途中までブロードウェイを走って。」
私はドライバーに、そう告げた。
もうすぐ、通りの反対側にステップスが見えて来る…。
私を二年と言う短い期間で急成長させてくれた場所。
不特定多数の人々が集うオープンスタジオにして、私の大切な学舎。
私のダンスを育み、言葉を教え、多くの経験と友人を与え、そして…
多くの喜びと涙を与えた、世界に唯一の、私の第二の故郷の家である。
私の原点…。
現在の私を『KAZUMI-BOY』足らしめたスタジオ…。
視界に、建物から張り出したステップスの旗が見えた。
私は窓から顔を出す。
建物がみるみる近づいて来る。
タクシーがステップスの前を通り過ぎる…。
私は頭を下げた。
『お世話になりました!』
『ありがとう』と言う言葉を上回る言葉は、どうして存在しないのか?
こんなちっぽけな言葉で、私の心を表現しきるのは、全くもって不可能であり、全くもって不完全極まりない。
『上手くなろう!今よりも!もっと上手く!それ以外に、この感謝の気持ちを表す事なんて出来ないんだ!』
私の目頭が熱くなる。
『もっと上手くなって…それで…いつか必ず、見て貰おう!今より上手くなった俺を!ニューヨークに見て貰おう!』
帰国したら、再び役者を目指す道も真剣に考えた。
しかしそれは、こうして私を育ててくれたステップスとニューヨークに恩返ししてからだ!
そう思った。
今、こうして当時を振り返ってみると、私が思うよりもずっと深く、ダンスは私の中に根を張っていた様である。
この二年間のニューヨーク生活が、私の中の『ダンス熱』を猛烈に引き上げ、ダンスの魅力を私の血肉に染み込ませてしまった。
結果、私は二度と役者の道を目指す事はなかった。
タクシーはひた走る。
昨日まで現実だった景色を思い出に変えながら…。
見慣れた景色は次々に背後へと流れ、一つ…また一つと過去に変わって行く…。
昨日と何一つ変わらない景色が今、私の目には非常に特別なものとして映っている。
タクシーは早朝のマンハッタンをタイムマシンの様に走り抜け、あっという間に14丁目のアパート…
ジョディーとMiss Kitty、そして多くのルームメートと暮らして来たアパートの前に到着する…。
アパートのエントランスを入り、部屋の玄関を開けると、ジョディーとスコットが待っていた。
寝ずに待っていてくれたのか…?
それとも、起きたばかりなのか…?
ジョディーの目が…
赤く腫れぼったい。
スコットの表情は…
神妙な面持ちである。
「お帰りなさい…。」
「…うん…。」
「コーヒー…飲む…?」
「うん…。」
私は…
急に、ジョディーとスコットに抱きつきたい衝動に駆られた。
しかし寸での所で、辛うじて、その衝動を抑えた。
ジョディーがコーヒーを煎れてくれる…。
幾度も幾度も見て来た光景…。
昨日までは、ありふれた、いつもの朝の光景…。
しかし…
今朝は…
その光景に胸が詰まる…。
スコットが手持ち無沙汰にウロウロと部屋の中を彷徨いた。
二人とも…
私と目を合わそうとしない…。
私はいつもの様に、テーブルに付き、ジョディーのコーヒーを待った。
『なんて…なんて言おう…?ジョディーになんて言ったらいい?』
すぐそこにやって来ている『その時』に…
ジョディーに告げる言葉を…
私はまだ決められないで居たのだった…。