ニューヨーク物語 123 | 鬼ですけど…それが何か?

鬼ですけど…それが何か?

振付師KAZUMI-BOYのブログ




残された日数…


私は扁桃炎に寄って奪われてしまった体力と筋力を取り戻すべく、レッスンを再開すると共に、友人達と過ごす時間に費やした。



「カズミ、帰国まで1週間を切ったけど、あとは何したい?」


ある日、カズシが私に尋ねた。


「うーん、体調崩して『お流れ』になっちゃってたから、自由の女神を見に行きたいなぁ…。」


「それから?」


「最後にリバーカフェに行きたい。」



リバーカフェとは、マンハッタンからブルックリン・ブリッジを渡った所にあるカフェである。


丁度、マンハッタンの対岸に位置し、ブルックリン・ブリッジをブルックリン側に渡った、橋のすぐ麓にある小さなカフェは、いわゆる高級レストランでもあり、食事をするには予約が必要で、男性はジャケット着用必須である。


しかし、レストラン・エリアの隣にあるバーは、予約が要らず、混んでいなければすぐに入れて貰え、金をかけずともリッチな気分が味わえる。


このカフェの最も特筆すべきは、何と言っても夜景である。


マンハッタンの対岸にあるカフェからは、マンハッタン最高の夜景を望む事が出来る。


恐らく、マンハッタンの夜景と言われれば、誰しもが思い浮かべるであろう風景が眼前に広がり、客達はその唯一無二の夜景を見ながら、食事や酒を楽しむのだ。


私は、時間とタイミングさえ合えば、日本からの友人知人を此処に連れて来た。


特に、帰国を控えた友人達へは、マンハッタンの思い出のギフトとして、このカフェに連れて来たのである。


一体、何人の友人知人達をこのリバーカフェに連れて来たろうか?




「そりゃ、あそこは外せないよね…。」


と、カズシが言った。


「うん…。マンハッタンにサヨナラ言うなら、あそこしか無いよ…。」


「そう言えば…ジョディー…パーティーしないの?」


「え?」


「カズミのバイバイパーティーだよ。」


私はふと、数日前のジョディーの事を思い出す…。





「パーティーなんてしないわよ…。アタシ…サヨナラも言わないし、見送りなんかにも行かないわよ…。」


ある日の夕食の後、ジョディーは私に背を向け、洗い物をしながら言った。


スコットが『カズミの為のパーティーはやらないのか?』と聞いたのである。


ジョディーのその返答に、スコットは黙って立ち上がり、洗い物をするジョディーを背後から抱き締めた。


私は…


何も言えずに、身を隠す様に自室に入る。


母国に帰る事がまるで…


大罪を犯す事と同じであるかの様に思えた…。






「やらないよ…。ジョディーが…ヤダって…。」


カズシが黙る。



パーティー好きのジョディーが…


例えほんの短い滞在であったとしても、仲良くなった友人であれば、必ずと言っていい程に『サヨナラ・パーティー』を計画していたジョディーが…


私の為にはパーティーを開こうとはしなかった…。






私は毎日、少しずつ荷物を纏めた。


旅行中の荷造りと違って、例え2年とは言え、生活をたたむ作業であるから、1日やそこらでは片付かない。


気付かない内に増えてしまっていた物は、恐ろしく多かった。


とても全てを持っては帰れない。


まるで『形見分け』の様に、誰かしらに譲る物を、それぞれの袋に詰める。


それらの袋には銘々に、友人達の名前を書いた。


ジョディーは…


「私は…何も欲しくない…。要らないわ…何も。」


と言った。






「ウチでパーティーしよ!」


カズシが気を取り直したかの様に声を張る。



私はつい、黙り込んでしまっていた事に気づいた。


「でも…」


「でも?」


「…ううん…何でもない。ありがと…。」




…でも…ジョディーは誘えない…いや…誘っても…きっと来てくれない…。




時計の針は…


時に…


さも気紛れであるかの様に…


不公平に時間を刻む。


それはまるで…


ボトル一杯に詰まった水を溢す時の様だ。


はじめはゆっくり…


ボトルの狭い口から犇めき合う様に重々しく水は流れ出し…


そして徐々に、流れ出るスピードが上がり、ボトルは軽くなって行く…


最後は…


あっという間…。



私に残されたニューヨーク滞在最後の数日は、ボトルから流れ落ちる水の様に速かった…。



私は、此処で得たもの、起きた出来事、景色、そして思い出の全てを取り零さないで持って帰る為に、マンハッタン中を練り歩いた。

この街の色、匂い、音、私が感じた全てを吸い込み、記憶に刻む。



人の記憶は薄れ、思いは変わる。


しかし、経験は残り、過去を変える事は出来ない。


長い人生を思えば…


私が此処で生きた2年など、その人生のほんの一部に過ぎない。


しかし、あまりに多くの収穫を得たこの2年は、非常に濃いものであり、風化させ、錆び付かせてはならないものである様に思えた。


此処で暮らす多種多様な人種、一人一人がこの街に対するあらゆる感情と記録を持っているだろう。


しかし…


私の感情と記録は、私だけのもの…。


その存在は、広大な砂漠の砂の一粒に過ぎないが、それでも、精一杯輝こうとした事を忘れたくなかった。


そして、このニューヨークに来れた事、出逢えた人々全てに対する感謝の思いを忘れてはならない。



私が日本に持ち帰れるものは、わずかであるが、此処で得たエネルギーは永久に等しい。





気づけば私は、セントラルパークの例の岩に腰掛けていた。


この時、私は初めて、この岩からの景色を見る。


この岩に座る時、私の瞳はいつも涙で塞がっていたし、心は悔しさや切なさで塞がっていたから、周りの景色なぞ見えた事がなかった。



「俺…帰るんだ。今迄…いつも…ありがと…。」


私は岩肌を撫でた。


どのくらい座っていたろうか…


私は『よし!』と、気合いを入れると、岩から降りた。


「…バイバイ。」


軽く手を振り、私はセントラルパークを後にした。