消えた音は帰って来なかった。
私達は諦めて、一度舞台袖に引っ込む。
「何かトラブルか?」
私達は正に出鼻を挫かれた格好で、暗い舞台袖で所在不明に彷徨いた。
私は…
口から飛び出してしまいそうだった心臓が元の位置に戻り、何やら不思議な安堵感を覚えていた。
『音が消えたのが、始まったばかりの所でまだ良かったのかも知れない。』
私は、気持ちが落ち着くとそう思った。
もしも、ナンバーの後半に差し掛かっていたら引っ込みもつけ辛かったろう。
ほんの数分後、舞台袖に居たスタッフから声がかかった。
「よし!出直しだ!みんな位置に居るか?」
「いるよ!とんだウォームアップだ(笑)!」
ダグが笑う。
『よし!気持ちを引き締め直そう!』
私はグッと両拳に力を入れた。
一時明るくなっていた客電(客席の明かり)が再び落ちて、客席が暗くなる。
音がかかる…。
照明がステージを照らした。
私達は気を取り直して、再びステージへと出て行った。
反対側の袖から、数人の女性達も出て来る。
C・Cとの距離が縮まる…
彼女と目が合った…
と…
再び音が途絶えてしまった。
「Why!?」
思わずC・Cが声を上げて踊りを止めてしまった。
ざわつく会場。
私達はステージの上から、再び客電が点くのを認めると、仕方なく舞台袖へと引っ込む。
「なんだよ、一体!?」
今度は皆、口々に騒ぎ始めた。
一気に苛立ちの空気が舞台袖周辺に広がった。
恐らく、反対側の舞台袖でも同じ様な状態になっているだろう。
一度ならず二度までも音が消えてしまうとは…。
私は今も、陸上競技などでフライングが発生した現場をテレビで見る度に、この時の出来事を思い出す。
緊張感もピークに達したスタート直後のフライングを告げるピストルの音は、見る者でさえ、その気を大きく殺がれてしまう。
選手達においては、心中如何ばかりか?と、同情の念を禁じ得ない。
私達は暫し、ああだこうだと騒いでいたが、前回の待機時間を上回る時間が経過すると、誰からともなく寡黙になり、身体が冷えない様にストレッチを始めた。
『イヤだな…こんな風にケチがつくなんて…』
私は完全に苛立っていた。
『舞台稽古では何ともなかったのに…なんで本番でトラぶるのさ!』
私の苛立ちは、しっかりと音響スタッフに向けられていた。
『何してくれてんだよ!』
私の苛立ちが上昇し始めた時、舞台スタッフから声がかかった。
「みんな、スタンバイだ!」
「もうウォームアップはごめんだぜ?」
今回はダグも笑ってはいない。
私達は自分の出の袖に向かう。
私はフッと強く短く息を吐いた。
緊張と苛立ちを身体の中から追い出したかった。
時折、客席からブーイングも聞こえて来た。
客電が落ちても尚、客席のざわめきが消えない。
音がかかる…。
ステージに照明が入った。
きっかけの音。
私達はステージへと出る。
反対側の袖から、女性達が出てくる。
C・Cと目を合わせる。
『頼む!!音よ!止まるな!!』
私は心の中で懇願していた。
C・Cの目付きが、さっきよりも弱い…。
やはりボルテージが落ちたのだろうか?
そう思った瞬間…
音は三度消えた…。
客席から『Oh!No!』と言う落胆の声が聞こえた。
一早く見切りをつけたC・Cが客席に向けて一礼して、袖に戻る姿が見えた。
私は言葉を失った。
いや…
なんの感情も無くなっていたかの様に、呆然としてしまっていた。
「Again!?」
客席のざわめきが大きくなり、私は客席を見た。
客電が点いており、客席を離れる客の姿が見えた。
『ダニエルはどうしてる?』
私は、客席に居るであろうダニエルの姿を探したが、何処にも見当たらなかった。
音響室にでも駆け込んでいるに違いない。
気性の激しいダニエルの事…
音響スタッフの胸ぐらを掴んでいる頃かも知れない。
そんな事をボーッと思っていると、誰かが私の肩を掴んだ。
「一度楽屋に戻るぞ。」
振り返るとダグだった。
私はダグに背中を押される様に、ステージを降りた。
『こんなのってないよ…こんなのって…』
私は『意気消沈』と言うものを初めて体感していた…。