私達三人…
ジャックとアケミと私は、その晩帰宅するも、充満する何とも重たい空気をどうする事も出来ずにいた。
ジョディーは私達より先に帰宅し、リビングとキッチンを仕切るアコーディオン式のパテーションを閉め切り、リビングに閉じ籠っていた。
私とジャックは同じ部屋。
ジョディーとアケミがリビングで寝ていた。
このままでは、アケミもリビングに入りづらかった。
暗黙の了解で、私がジョディーに声をかける。
「ジョディー?」
応答はない…。
私達三人は途方にくれた。
一体、彼女にどんな言葉をかければ良いのか?
誰にも分からなかった。
「ジョディー?」
私は再び呼び掛けた。
「今夜はそっとしとくしかないんじゃないか?」
ジャックが言った。
「でも…これじゃアケミが中に入りづらいよ。」
「大丈夫。ジョディーを起こさない様に、そっと入ってすぐ寝るわ。」
しかし私は、それではいけない様な気がした。
これが逆の立場で、もしも私がオーディションに落ちていたなら、ジョディーは決して放っておかないだろう。
一番付き合いの長い私には、それが分かっていた。
私が三度声を掛けようとした時、リビングの奥で音がした。
そしてジョディーがパテーションを開けた。
酷い顔…。
泣きはらした目は充血し、長い時間ベッドに突っ伏していた事がうかがえる程に髪は乱れていた。
ジョディーは私達を見ると
「みんな…おめでとう…」
と、か細い声で呟く様に言った。
「…ジョディー…」
私がその後に続ける言葉を探していると…
「いいの。大丈夫よ。」
と、ジョディーは無理矢理笑顔を作った様だが、私にはそれは笑顔には見えなかった。
「残念だったな…。」
ジャックが本心からそう言っているのは分かったが、私は、それは早急過ぎる言葉に思え、つい、ジャックを睨み付けてしまった。
ジャックは黙って立ち上がると、隣室に姿を消した。
ジャックは私の部屋にあるロフト部分を彼のスペースにしていた。
アケミはこの間に、荷物を置きにリビングに入ったが、すぐに出てくると
「先にシャワー浴びていいかな…?」
と、バスルームに姿を消した。
「本当にもう大丈夫よ。」
とてもそんな風には見えなかったが、同時に私は何か…なんと言うか…解せない何かを感じていた。
ジョディーは確かにダニエルのクラスも受けてはいたが、決してダニエルに惚れ込んでいる訳ではなかったのである。
彼女は元より、ジョー ランテリと言うインストラクターに傾倒しており、ジョーが不在の際には、彼の代行インストラクターとしてクラスを担当する地位にあったのだ。
そして、更に言うならばジョディーは、ズケズケと遠慮会釈の無いダニエルの素行や物の言い方、ガールフレンドを短期間にとっかえひっかえする部分などを嫌っていたのだ。
『カズミには悪いけど、あたしはダニエルのパーソナリティーを好きにはなれないわ。』
と、私にハッキリと言っていたくらいなのである。
私はジョディーが、このオーディションを受ける事自体を訝しく思っていた。
そんなジョディーが、何故ここまで落ち込んでしまうのか…?
私の頭の中の疑問に感ずいたのか?
ジョディーは言った。
「ダニエルのショーにひかれてた訳じゃないの…。」
私は黙って、次の言葉を待った。
「誰のショーでも良かったのよ。」
ジョディーはキッチンのテーブルに向かい、椅子に座った。
「最初で最後のチャンスだと思ったの…。」
「え?」
「あなたと同じステージで踊れる、最初で最後のチャンスだと思ったのよ。」
私は、息の詰まる様な思いに襲われた。
「カズミは必ず、このオーディションに受かって、チャンスを掴む。そしてそれは、あなたがこのニューヨークに来た唯一で最大の目的だわ。」
私は、この後一体、ジョディーが何を言い出すのかが分からなかった。
私の思考は完全に止まってしまった。
「でも…それは同時に、違う事…と言うか…違う意味がある。」
「違う意味…って?」
「ニューヨークでの目的、ダニエルのショーに出ると言う目的、それを果たしたあなたは、次にどうするの?」
ジョディーが私を見つめた。
「あなたは日本へ帰る事を考える。」
私はこの時…
このジョディーの一言に寄って、初めて『帰国』と言う言葉を知った。
『帰国?日本に帰る?俺が?』
私は、全く予期せぬジョディーの言葉に狼狽えた。
夢中で…
本当に無我夢中で今日まで来た。
しかし…
いや…だから…
帰国の事など、ほんの塵ほども考える余裕などなく…
自分が日本に帰る事など、夢にも思っていなかった事に、逆に衝撃を受けてしまったのだった。
「だから、これが最初で最後のチャンスだと思ったのよ…。」
ジョディーは俯くと、再び泣き出した…。
私は…
恐らく無意識に…
背中からジョディーを抱き締めた…。