ニューヨーク物語⑮ | 鬼ですけど…それが何か?

鬼ですけど…それが何か?

振付師KAZUMI-BOYのブログ



さて、新たにスタートした、男3人のすし詰め生活の話は、少しの間あちらの棚に上げておき、今回は食の話をしよう。






子供の頃から、我が家の朝食はパンであった。


卵料理にベーコンかハム、コーンフレークやオートミールにサラダ…


と、完全なるアメリカン ブレックファーストである。




母曰く




これは父の好みだったらしい。


こうした食生活を当時の友人に語ると…




『おーとみーるって何さ?』




とか…




『なーんか、気取った感じ…』




と言われた。




我が家は決して裕福だった訳でも、気取った家族でもなく、団地住まいの言わば…中の下的家庭であった。


父は…何と言うか…

何処か『浮世離れ』しており、頭脳明晰である代わりに生活能力に欠けていた。


だから、母はむしろ、家計の遣り繰りに四苦八苦していたくらいである。





しかしこのアメリカンな朝食は、ニューヨーク時代の私には役に立った。




『米が恋しくならない日本人』




で居られたからだ。





現在のニューヨークではどうか分からないが、私が住んでいた頃は、日本食は高く、貧乏ダンサーにはとても手の出せる物ではなかったし、米にしても日本の米は高くて買えなかった。


それでも時々、米が欲しい時はコリヤンのデリ(コンビニの様なストア)で、韓国米を買った。




ニューヨーク時代の私の食生活は、完全なるアメリカンで、ピッツァ、ベーグル、ハンバーガーと言った物が中心だった。




『質より量!』
『バランスよりカロリー!』




今から考えると、恐ろしい(笑)。




金の目処が出来た頃には、ピッツァは一度に一枚(日本のピッツァのLサイズより一回りデカイ奴)平らげ、大好物である某マクドナルドのビッグマックなどは、一度に五個を平気で平らげていた。





ニューヨークに着いて間もない頃は、アメリカンな料理のアメリカンな大味に眉を寄せる事も少なくなかった。



何と言うか…



全てにおいて、日本の料理の様な繊細さが無い。



しかし、そんな違和感などは三ヶ月もしないうちに何処かに吹き飛び、舌も胃袋もすっかりとアメリカン使用になってしまった。





ニューヨーク時代の中盤から終盤にかけての私の食の太さは半端じゃなく、日本から訪れて来た数人のダンサー仲間は皆、呆気にとられていた。




『相撲取りの食生活』




と呆れられた。




それでも全く太らなかったので、ある人などは…




『KAZUMI-BOYは過食症なんじゃないのか?』




と、真剣に疑われた。



元々、太る体質ではない様だが、太らない人間など居ない訳で、こうした食生活を送りながらも私が太らなかったのはやはり、その運動量だったろう。




スカラシップを取ってからの私は、毎日最低3クラス。
曜日に寄っては4クラスをコンスタントに受講していたし、多い時は5クラス、などと言う日もあったのである。


食ったモノは、あっという間にエネルギーと化した。




故に、この頃の私は間食も激しかった。



何せ、朝から夕方までのレッスンの後に、掃除と言う労働が待っている。



掃除の休憩時間に、近所のデリにひた走り、腹の足しになる物を調達した。



甘いコーヒー(ファーストフードの様に紙のカップに入った物)、スニッカーズのチョコバー、韓国風太巻き(酢飯じゃない)、サラダバーからは、ポテトサラダやパスタ、ケチャップで煮たチキンetc.




立派な一食分である(笑)。





先程も述べたが、こうした食生活は、稼げる様になってからの話であり、それ以前は、スーパーで買ったパンに、ハムやタマゴを挟んでかじるのが、ご馳走だった。




持参金が少なくなってからも、バイトにはありつけなかったので(この辺はまた、お話するが)、かなりひもじい思いもした。





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↑金が無い頃は、食器など買えない。
鍋から直接喰う(笑)。



一体、何を作ったのやら(笑)?




髪が伸び放題で鬱陶しく、チョンチョコリンに結んでいる(笑)。


懐かしい…。