老夫婦は、私をジロリと見ると…
『誰だね、君は?何の用だ?』
と、無愛想を通り越し、機嫌の悪そうな口調で言った。
私はドギマギしながらも、ひきつった笑顔を作りながら答えた。
『あ…あの…こちらに空き部屋があると、Uちゃんに聞いて来まして…。』
『部屋に空きがあったら何だと言うのかね?』
『あ…出来れば、その…住まわせて…』
『ダメだね!他を当たりな!』
老夫婦は、私の言葉を遮ると踵をかえした。
私は慌てた。
『ちょっと待って下さい!Uちゃんが紹介を…』
『そんなモン、知らんね!とっとと帰んなさい!』
彼等は、私を怒鳴り付けると部屋のドアをバタリと閉じてしまった。
『そんな…。』
私は呆然と立ち尽くしてしまった。
当たり前である。
幾ら住人の口添えがあろうが、身元のはっきりしない人間を『ああ、そうですか。』と、笑顔で招き入れる大家などいる訳がない。
ましてや此処は、治安の悪さが売りのニューヨークである。
不確かな人間を簡単に店子(たなこ)に置き、事件でも起こされては堪らない。
例え、住人の募集をしていたとしても、正規の手順も踏まえずに突然訪ねて来る様な、無礼な異国者に、誰が喜んで部屋を貸すだろう。
当時の私は、そんな常識も知らない馬鹿者だったのである。
私は仕方なく、元来た道をトボトボと歩き始めた。
『ダメだ…処置なしだ…。』
ホームレス決定である。
私の頭の中は、真っ白だった。
何処をどうやって、どのくらいの時間、歩いていたのか分からない。
気が付くと私は、再びステップスに来ていた。
余談だが、必死に住処を探す私は何故か、肝心の頼みの綱、ダニエルには相談していないのである。
これは、何故か?
今考えても全くもって、理由が分からない(笑)。
住む場所も無いのでは、レッスンどころては無かったが、スタジオの掃除はしなければならない。
私は、心此処に在らず…と言った状態で掃除を始めた。
もう、溜め息すら底を尽きた。
掃除に身が入らず、私は廊下のベンチに座り込んだ。
『あ!KAZUMI-BOY!』
誰が呼んだ。
顔を上げると、T君である。
彼も日本人で、当時彼は、現TRFのサムに付いて踊りを勉強していた。
『この前、部屋を探してるって言ってたけど、もう見つかりましたか?』
私は無言で首を横に振った。
部屋を探し始めた際に、彼にも尋ねたが、既にルームシェアのメンバーが決まっているとの事だった。
『実は、シェアする予定だった一人が、別にいい部屋見つけたって言うんで、出てっちゃって…。』
『え!?』
私はベンチからガバッと立ち上がると、半ば叫んだ。
『シェアさせて!』
T君は、3人でシェアする必要があった。
場所は忘れてしまったが(やはりウェストサイドの70何丁目だった筈である)、多くのニューヨーク滞在者が、一時の足掛かり的に住むアパートで、家賃は週払い。
汚いアパートの割には、立地条件がいい事と、五月蝿い入居審査や手続きが要らない為、家賃は高かった。
我々の様な貧乏ダンサー達は、シェアしなければとても住めない。
私は心底、胸を撫で下ろした。
『嗚呼…ホームレスにならずに済む!』
私は思わずT君の手を取った。
『ありがとう!本当に助かった!』
『いえ、こっちこそ助かります!誰も見つからなかったら、せっかく見つけたアパートを出て行かなきゃならなかったですから。』
彼は年下であるが、非常に礼儀正しい青年で、尊敬するサムの友人である私にも、いつも丁寧であった。
私は翌日の朝、T君のアパートへと引っ越した。
引っ越した…と言っても、大きなトランク1つの身である。
楽なモンだ。
もう1人のシェア仲間はKさんと言って、やはりダンス留学者。
彼はバレエを学びにニューヨークに来ていた。
部屋に通されると…
大体6畳程のベッドルームと4畳程のキッチン、後はトイレとシャワーがカーテンで仕切られた、狭いバスルーム。
想像以上に古く汚い。
窓はある物の、隣接した建物に光も景色も遮られ、昼間から部屋の灯りが必要な程、暗かった。
ベッドルームには、ダブルサイズのベッドが備え付けられており、部屋のほとんどのスペースはベッドに占拠されている。
-ここに、男3人…。-
ホームレスを免れたのだ、贅沢は言えない。
雨風凌げれば、それだけで御の字である。
しかし…
このような、プライバシーもヘッタクレも無い汚い部屋に、男が3人すし詰めで生活をするのである…。
いい事などあろう筈は無かったのである…。