今日はお空にいる長男の35回目の誕生日でした。
ウイークデーのうえに歯医者の予約日でもあったため、ケーキは手作りすることができず、シャトレーゼで買ったものですませました。
でも、レモン風味スポンジクラムで包まれた「節分 黄鬼ちゃん」のケーキは気に入ってくれたのではないかな?
可愛いものが好きだったし、レモン味のお菓子も大好きだったものね。
息子の誕生日にかこつけて、母も大好きなキャラメルムースのタルトを堪能しました
晩ごはんも今年は手抜き
『マカロニサラダは好物だし、チンゲン菜と牛肉のオイスターソース炒めは好きな味付けよね~』と言い訳しつつ、食卓に並べました。
休日に大好物だったハンバーグを作ろうと思います。
今年のプレゼントは大好きだったコダックのぬいぐるみにしました。
ピカチュウはいくらでもあるけど、コダックはどこのお店にもなくて…
でも、アマゾンで見つけることができました
これは絶対に喜んでくれているはず!
長男の弾けるような笑顔が目に浮かぶようです。
今年も『いのちのメッセージ展』のお仲間からバースデーカードが届きました。
長男のことに思いを馳せてくださっているメッセージが綴られており、心がふんわりと温かくなりました。
いのちの大切さを伝え続けているメッセンジャーたちやそのご家族たち。
フルタイムで働いていた頃に比べると時間的にも気持ちの面でも余裕がもてるようになったので、ぜひ会いに行く機会を作りたいものです。
長男が紡いでくれた「つながり」に感謝し、これからもそれを大切にしてきたいと思います。
それは人とつながること(和)が大好きだった長男の(希)望でもあるだろうから・・・
最後に私信に載せた文章を記しておきます。
(18度目の命日のブログにも載せたものですが、長男の人となりが出ていると思うので、再度、記しますね。)
口唇裂と口蓋裂をもって生まれた和希は、3度の手術を受けました。
3度目の手術は小学3年生の時でした。
前回までは、まだ小さくて、手術の意味もわからずにいたのですが、この時は、「どうして手術をせんといかんの?」「痛いことをするのは、イヤ!」と、手術をすることを拒みました。
なんとか和希を納得させようと、私は「かずくんは『変な顔って言われて嫌だ!』って、言よったやろ?手術したらきれいなお顔になって、もうそんなこと言われんなるよ」と話しました。
すると、和希は、はっとしたような顔をして、「そうか!『変な顔』って言われるんは、手術せん僕が悪かったんや。わかった。僕、手術する!」と答えました。
私の言葉は、和希を納得させたいがための苦し紛れのものでした。
それが適切な言葉であったかは、今も疑問に思うところです。
それなのに和希は、私の言葉を素直に受け止めただけでなく、自分のことを悪く言う子のことまで気遣ってみせたのです。
『自分で決めたことだから』という和希なりの決意があったのでしょう。
普段は少し転んだだけで大泣きする泣き虫だったくせに、手術前の検査でも手術に臨む時でも涙をこらえていました。
血管が細いため採血がうまくいかず、何度も注射針を刺された時でさえ目にいっぱい涙をためながら、ぐっと我慢していました。
そんな和希を見て、私の方が涙ぐんでしまうほどでした。
優しさとはすべてのことを受け入れる強さでもあることを感じました。
障がいのある子どもは、同年齢の子どもより劣っていると思われがちですが、はたしてそうでしょうか。
この時のことを思い出すたび、私は障がいとはどういう定義のもとに判断されるのだろうかということを考えずにはいられません。
字の読み書きや計算が上手くできなくても、和希は人として大切なものをたくさんもっていたと思うのです。
あの時の和希の言葉、その言葉にこめられた優しさや勇気、清らかさを心に刻んで生きていかなければと思います。
――――どうしてこんなに早く逝ってしまったの?――――
何度そう問いかけたことでしょう。
その問いかけは、この先も続いていくのでしょうが、死の意味を考えることは、命の意味を考えることであり、答えを出すよりも、むしろ考え続けていくことが大事なのかもしれません。
和希の11年の人生に込められた大きな意味を考えながら、これからの日々も過ごしていこうと思います。
平成18年11月28日 『和希のメール便№14』より
お母さんにたくさんのことを教えてくれたかずくん。
今年もまた同じ言葉を贈るね。
生まれてきてくれて、ありがとう。
ずっとずっと大好きだよ。