ダニエル・イノウエさん〜ワシントンへの道〜(2) | 我が麗しき君と摩天楼

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沢田研二さんへの想いを胸に秘め、ニューヨークに14年滞在後2013年帰国。
変わり果てた日本で逞しく生きる日々。

(昨日からの続きです)



第442部隊に入隊したダニエルさん他ハワイの日系二世は、訓練のためミシシッピー州のシェルビー駐屯地に行きました。

「そこにはハワイからと米本土からの2つの日系人グループがありました。

私達ハワイの兵士は浅黒く、しゃべる英語はハワイ特有の言葉だったので、本土の日系人兵士達にはでたらめのように聞こえたんです。
上品な英語をしゃべる本土の兵士が、ハワイの兵士の会話を聞いてよくからかうようになり、些細ないざこざが発端で部隊の中で大げんかが頻繁に起こるようになりました。


ある日、アーカンソー州のジェロームとロウアーという街から招待状が届いたんです。
私は、きっとそこは日系人のコミュニティーの街で、招かれたのだと思いました。

3800人の第442部隊の各隊の中から、上官がその街に向う兵士を10人選抜したんですが、偶然にも、それぞれの隊から選ばれた10人は全員がハワイ出身だったんです。
本土出身者は誰1人いませんでした。

私はその10人の1人として選ばれました。

出発の日、ミシシッピー州からアーカンソー州までの長い道中、皆で歌って大騒ぎしながら向いました。

車がカーブを曲がると目の前に野原が広がっていました。
そこには建物がずらりと並び、まるで私達の駐屯地と同じ軍のキャンプだと思いました。
しかし、その施設に入った時、何が起こっているのか分かったんです。」

「日系人強制収容政策」


日米開戦直後から、アメリカ政府が押し進めていたのが、日系人強制収容政策です。
当時アメリカ西海岸を中心に、アメリカ本土にはおよそ12万人の日系人が居住していました。
しかし、日本軍による真珠湾攻撃の後、アメリカ政府は日系人を敵国民と同等に見なし、10カ所の収容所に隔離しました。
収容された人数は当時アメリカ本土にいた日系人の90%に及び、殆どの人が仕事や財産を失いました。


「銃が装備された監視塔があるんですからすぐ分かりました。」


「翌日ミシシッピー州への帰り道は、車中の雰囲気は行きとは全く違っていました。
誰一人として口を開かず、私達の殆どが同じことを思っていました。
『自分だったらあの収容所から米国兵士に志願しただろうか』と。

ハワイには日系人強制収容所はありませんでしたから。
その日を境に本土の日系人兵士達を見る目が変わりました。
私達ハワイ出身にとって彼らは英雄になりました。

強制収容されているにも関わらず、それを強いている国を守るために志願して戦争に行くなんて。」


その後一年を超える訓練をへて、団結した第442部隊の兵士達は、ヨーロッパ戦線に送り込まれました。
日系二世達の合い言葉は「当たって砕けろ( Go for Broke )」、その言葉通り、他のアメリカ部隊が突破出来なかった数々の前線で命を惜しまぬ攻撃を続け功績を上げました。

しかしその裏には、日系二世達の凄まじい思いと、おびただしい犠牲がありました。

そして442部隊は、その名を轟かせるある戦いを成功させます。
フランスのドイツ国境近くの森で、米軍テキサス大隊がドイツ軍に囲まれ孤立、アメリカ政府は必死に救出作戦を試みますが、失敗を繰り返します。
その中、救出命令が442部隊に下されました。

「私はこの戦いは多くの仲間が死ぬことになるのは分かっていました。
しかし、私達が呼ばれたことに誰も弱気を吐きませんでした。
それどころかチャンスだと思いました。絶好の機会だと。」

それまでどの部隊もなし得なかった救出作戦で、442部隊は見事200人の米国テキサス大隊を救出しました。
しかし、その戦いの6日間で442部隊は800人以上の死傷者を出し兵士の数は半分以下に激減。
なかには185人編成が僅か8人になった部隊もありました。

「私達は自分達が消耗品であることを知っていました。
前線を破る突撃隊としていつも呼ばれることを知っていました。
それが442部隊だったんです。」


「私達はお金のために戦っていたわけじゃない。
自分達の人生を取り戻すため。
アメリカ市民権を取り戻すために命を懸けて戦ったんです。
アメリカ国民として忠誠心を証明するために戦ったんだ。」


終戦から1年後、442部隊はアメリカ本土に帰還しました。
延べ13000人の日系人が入隊した442部隊は、アメリカ史上最も多くの勲章に輝いた部隊として知られています。
しかし、その一方で、9400人にもおよぶ死傷者を出した部隊としても、歴史にその名を刻みました。

ートルーマン米大統領ー
「君たちは敵だけではなく、偏見とも戦った。そして勝利したのだ。」


日系人二世として、命を懸けて母国アメリカに忠誠を果たしながら、まだ20歳という年齢にも関わらず、大佐として数々の戦場で絶大な支持を得ていたダニエル・イノウエ、そのリーダーシップこそが、イノウエの将来を切り開く大きな礎となります。



明日に続きます。