(昨日からの続きです)
「私はハワイに帰還する前に、オークランドで、両親に再会する前に身ぎれいにするために散髪をしようと思ったんです。
ある床屋に入ると店主が私を見て『おまえはジャップか?』と聞いてきたんです。
私は『アメリカ人だ』と答えました。
店主は『ジャップの髪は切らない!』と言いました。
私は右手に義手を付けていたんですよ。
それでも十分じゃなかったんです。」
「愛国心をみなぎらせて、日系人の未来を切り開くためにも、戦争に行った限りは、アメリカ社会でまともな地位に就いて、そして貢献出来ると証明するんだ。
自分は法律を作る力になりたい。
政治の世界に入れるよう、俺は弁護士になる。」
故郷を離れて3年、ハワイに帰還したイノウエは、胸に秘めた政治への道へ向うべく、ハワイ大学で政治学を学びます。
また、日系退役軍人のリーダー的存在として、様々な活動も行うようになり、民主党に入党したのもこの頃でした。
ハワイ大学を卒業した後は、アメリカの政治の中心、首都ワシントンで法律を学ぶべく、ワシントンDCのロースクールに入学、同時に民主党本部でボランティアとして働き始めます。
そして、ハワイに戻り司法試験に合格した頃、政治の道へ導く、ある人と出会います。
当時のハワイ民主党の牽引者で、後のハワイ知事、「ジョン・バーンズ」です。
ハワイは元々地元の資産家などと強いつながりがある共和党の地盤で、民主党は万年野党と見なされていました。
しかし、ダニエル・イノウエなど日系の軍人が帰還し、戦後ハワイの新しい未来を模索し始めると、当時ハワイの有権者の3割以上を占めるようになっていた日系人を見込んで、民主党が急速に日系人との連携を強めて行きます。
ジョン・バーンズはそんなハワイの改革を進める第一人者でした。
「イノウエ、君が出馬する時が来たんだ。
時代は刻々と変わっているとか、ハワイの住人は共和党の支配から抜け出したがっているとか、そう言った君の信念を証明する時は今をおいて他にない。
君だったら選挙に勝てる。」
ジョン・バーンズの後押しで、イノウエは29歳という若さでハワイ準州議会下院に立候補します。
そして見事当選。
ハワイに新しい風邪が吹き始めます。
1959年、日系人初の米連邦議員に当選。
1962年、米連邦上院議員に当選。
当時のアメリカは、公民権運動やベトナム戦争の是非を巡り世論が二分、さらに国民的指導者や大統領が次々に暗殺されるなど、政治的に安定している時ではありませんでした。
そんなアメリカという国が混迷を極めるなか、民主党全国党大会という大舞台で、イノウエは演説を行いスポットライトを浴びます。
「一緒に前に進もうじゃありませんか。
今日、そして明日の期待に応えるために。
米国民の皆さん、ここが私たちの国です。
この国の未来は私たちが作るんです。」
上院議員イノウエの存在を決定づけたのは、1973年に起こったアメリカの歴史に残る政治スキャンダル「ウォーターゲート事件」でした。
後にニクソン大統領を辞任に追い込む、米上院特別調査委員会で注目が集まるなか、イノウエは鋭い洞察力で冷静沈着に事実を突き詰めて行きます。
「誰が10月30日の一件(ウォーターゲート事件)で得をしたと思いますか?
ニクソン大統領じゃないですか?」
イノウエはいつしか民主党の副大統領候補にその名が取りだたされるほど、一目置かれる存在となっていました。
「私は、真珠湾攻撃の後、米政府から国に仕えることができない敵性外国人とされました。
それを思うと自分が今、ここに座っていることが信じられません。
ここは米上院仮議院の席です。
つまり私は大統領継承順位第3位になるんです。
夢物語のようです。
敵国民がアメリカの大統領になり得るなんて。
でもこれが民主主義なんです。」
ー「全米日系人博物館」館長、アイリーン・ヒラノ(奥様)ー
「彼は日系人であることに誇りを持っていましたし、常に手本として見られていることを意識していました。
特別な責任があると感じていたと思います。
彼と同じ経験をしてきた人はそうたくさんはいません。
戦争で障害を負っても、自分がやりたいことは何でも出来るんだということを信じて生きる。
彼が、自分自身がそうやって生きられると信じていたことが、人々を勇気づけたんだと思います。
様々な困難を乗り越えてきた彼だからこそ、人々と繋がれたんだと思います。」
ハワイに生まれた日系人として、ダニエル・イノウエが歩んできた道のり、それは政治家として生きてきた道のりだけではなく、それまで日系人がアメリカという土地で開くことが出来なかった扉を開き続けた、まさに開拓の道のりでした。
そんなイノウエを、人は「英雄」と呼び、そして日系人のパイオニアとして畏敬の念とも言える思いを寄せています。
「自分が日系アメリカ人であることも、自分が他のアメリカ人と違っていることも知っています。
でも、全てのアメリカ人が皆それぞれ違うんです。
肌の色も外見も、ルーツも祖先も皆違います。
でも、もっと大切なのは、自分がアメリカ人だということを知っていることなんです。
そして皆と同じように善良な米国民だということを知っていることなんです。
私と全ての国民に素晴らしい機会を与えてくれたこの国を、私は愛しています。」
1959年以来、連邦議員としてハワイの皆さんと米国民に仕えられたことを光栄に思います。
私はただただ忠実に、そして精一杯ハワイのために尽くしました。
それなりに出来たのではないでしょうか。
大変悲しいことですが、私は議員として任期を務められることが出来そうにありません。
ハワイの皆さんに神のご加護を。
そしてアメリカに神のご加護を。
アロハ
U.S.S DANIEL INOUYE



