先日こちらの日本語放送で、「ダニエル・イノウエ上院議員」、日系二世、アメリカ人として生きた日本人の波乱な人生について放送されました。
私はこんな方がいらっしゃったことすら知らず、のほほんと暮らして参りました。
本日は、この番組の放送をもとに、ダニエルさんの人生、当時の歴史のお勉強でございます。
ご興味のある方はどうぞ。
昨年、2012年12月、ダニエル・イノウエ上院議員が亡くなられました。
ダニエル上院議員は、およそ半世紀に渡りアメリカの政界で務めた、上院最古参の議員です。
アメリカ議会の中で最も重要な委員会に位置づけられている、予算の要、米上院歳出委員会の委員長を歴任、大統領継承順位第3位、アメリカの歴史上アジア系アメリカ人として最も高い地位に就いた、政界の重鎮として知られています。
ダニエルさんの祖父母は、当時の借金の返済の為、日本政府の移民政策で、福岡からアメリカ、ハワイに渡りました。
そして白人が経営する農場で厳しい労働を課せられることとなります。
長い借金返済が終わった30年後、イノウエ一家はハワイに定住することに決めます。
アメリカが日本からの移民を禁止する「排日移民法」が制定された1924年、ダニエルさんは生まれました。
日系一世が歩んで来た苦しい道のりを目の当たりにしていたダニエルさんは、医師になるという夢に向って邁進していました。
そんなダニエルさんの人生を大きく変える出来事が起こりました。
1941年、日本軍の真珠湾攻撃です。
「それは日曜日でした。
いつものように教会に行く準備をしていると、ラジオからアナウンサーが叫びだしたんです。
『真珠湾が爆撃されています』と何度も何度も叫んでいました。
父親と一緒に家から外に出て見ると、銀色に鈍く光った多くの戦闘機がパールハーバーを攻撃していました。
その戦闘機には日の丸が付いており、操縦している若者は自分と同じ年頃の、自分と同じ日本人の顔をしていました。
私はその瞬間に自分の人生は終わったのだと思いました。」
日米開戦を機に、アメリカ政府は日系人の忠誠心を疑い、アメリカにいる全ての日本人に対して「敵性外国人」「敵国民」という烙印を押しました。
「それは私達日系アメリカ人にとって悲しいというだけではなく屈辱でした。
皆、身も心も善良で忠誠な米国民だと思っていたので憤慨しました。」
ルーズベルト大統領は、「アメリカニズム」として、「心と魂の問題であって決して人種や肌の色ではない」という声明を出しました。
そして、「もし希望するのであれば、日系人もアメリカ兵士として部隊に志願出来るはずだ」、と付け加えたのです。
「その声明を聞いた瞬間、私と同級生達はすぐに徴兵センターへ走りました。
迷うことなく大学を中退し、徴兵センターで『準備万端です』と報告しました。」
そしてダニエルさんがハワイ、ホノルルから出兵する時、父親からこう言葉を贈られました。
「アメリカはこれまで私達に随分良くしてくれた。
きちんと暮らすようにしてくれ、お前達には教育を与えてくれた。
だからお前はこの国の恩に報いなければならない。
きちんと義務を果たすんだ。
必要とあれば、命を捨ててでも、決してお国(アメリカ)の名誉を傷つけるな。
絶対に家の名を汚すんじゃない。
恥を持って帰るな。」
ダニエルさんにとって、アメリカで生きる日系人として、新たな人生が始まりました。
日本による真珠湾攻撃で一変した日系アメリカ人達の運命、ハワイの日系二世達は、アメリカ国民としての忠誠を示すため、1943年、アメリカ政府が募集した6倍以上にも及ぶ1万人が、新たに結成される日系人部隊「442部隊」に志願しました。
第442連隊戦闘団、アメリカ政府により、日系アメリカ人だけで編成された、約3800人規模の部隊です。
日系アメリカ人が、母国アメリカに対して自分達の忠誠を示そうと結成しました。
その熱意は凄まじく、当時ハワイにいた徴兵年齢に適合する日系成人男子の85%が442部隊に志願しました。
初めて聞くことも沢山あって私にはちょっと難しいので、これでも分かりやすくお伝えしております。
明日も続きますので、よろしかったらまたお越し下さいませ~。





