ジギーがオーバードライブ!!魔王の全力が、ついに解放──。
前号までのあらすじ…シキはついに冒険の終着点・マザーの元へ辿り着く。そしてマザーの正体や自身の出生を知ったシキが、最終的に選んだのは「マザーの消失」。宇宙は変貌を始め、エーテルが急速に減少し、ヴォイドの思惑通りになってしまう。失策かと思われたが、シキの作戦は「時喰み」を呼ぶことで、マザーを元々の星の姿に戻すことだった。その一方で、エデンズゼロには最後の銀河六魔将・キュアーとレディ・フレイヤの二人が襲来。さらに宙域では、ジギーVS.ヴォイドの戦いが繰り広げられ…!?
扉絵
扉絵は、ワイズ。
話的にジンかと思ったら。
いつものパーカー。ネオン街がよく似合うダークな魅力があって良いですね…!
ヴォイドのリバース
オーバードライブを発動し、ヴォイドの体を貫いたジギー。
ヴォイドは即座にリバースと思わしき力を発動し、攻撃を回避。
ヴォイドの使う「時の力」というものがよく分かっていませんでしたが、やはり「リバース」だと考えて良いんでしょうか。
前回の不規則な動きに続いて、今回はヴォイド視点で完全に時を戻している。
ヴォイドの体を貫いたジギーの拳がゆっくり戻っていき、避ける事に成功しました。
ユニバース0は「時を渡る力を失う」という話で、実際にレベッカもキャットリーパー由来の力は使えませんが(ライトニング・ローの時に一度だけ使えた理由は不明)、何故ヴォイドは使えるのでしょう。
もしかしたらリバースのような世界線を移動しない時間の移動なら可能?
それなら世界自体に影響は出ないので「後戻りできない」ユニバース0の性質にも反しない気がする。
ヴォイド自体が宇宙にとって特異な存在だから…みたいな理由も考えられなくはないです。
ヴォイド、276話の時「本当にシキがマザーを救えると?」と挑発的な物言いをしていて、何だか誰よりもシキの事を理解してそうに見えたんですよね。
宇宙そのものがループしている説も自分は考えていて、永久に繰り返す世界を生きてるのがヴォイドであるという想像もしました。
そんな存在であれば例外的に時を戻す力を持っていてもおかしくない。
というか、ヴォイドの力で宇宙を繰り返してる構造になっているという発想すらできます。
にしても改めて見ると、ジギーの拳は完全にヴォイドを貫いていて、本当に致命傷だったのかな。
「ニヤリ」とまだ余裕そうだったけど、機械生命体には破壊されたら死を意味するコアがあるので、それをカスっていてもおかしくなさそう。
ヴォイド、これも自分の中での妄想で「人間になりたいのではないか」疑惑もあって、わざわざ人の顔を選んだのなら「コア」は人でいう「心臓」の位置に設置していそうな気がします。
もしそうならコアに近い付近を貫かれていたと思います。
ジギーのオーバードライブ、開幕からインパクトありましたが、そのインパクトに見合う強さを実感しました。
レベッカがそうであったように、ヴォイドがリバースで時を戻す時も「瀕死」レベルだったりするのかな。
力の意味
「キャットリーパーがある限り私に敗北はない」と余裕そうなヴォイド。
それに対してジギーは「おまえは何も分かってないようじゃな 機械の身で子を持つなど分不相応じゃが親から子へしか伝えられんものがあるとすればワシがおまえに教えてやらねばならん 力の意味を」と言い、本領発揮開始。
「親」として「子」に教える「力の意味」。
思えば、状況は違えど真島先生の前作『FAIRYTAIL』におけるイグニールがナツに教えたものもそういうものだったのかもしれないなと胸が熱くなりました。
こちらは「子」を否定する為のもので、FTは「子」を肯定するものという意味で真逆ですが。
どちらにしても「力」というのは大き過ぎるが故に扱いが難しい。
その危険性も有用性も教えるのが「親」なのかもしれません。
「力の危険性」という意味では、葵宇宙編の事を思い出したり。
葵宇宙編のテーマの一つは「力の危険性」だったと考えています。
ゼノリスと出会った時「その力は無限 ゆえに強力…かつ危険…」と真の重力を使うリスクを示し、VR-Cでジギーに扮したゼノリスが言った「重力の行き着く先は究極の無だ」とはまさにそのリスクが視覚化されたものだったと思います。シュラがやった人を重力で圧死させる殺し方もそれを示してる。
だからこそ「それは命の重さを知る事」というシキの至った答えが際立っていて、それに繋がるテーマをヴォイドに叩き込もうとしているのかなと思いました。
どちらかというとゼノリス起点の思想ですが、それを受け継いだ一人がジギー。
今暴走している我が子を止める為に必要な対応。
ジギーの持つ圧倒的な力、本当に大事な事を教える意味でも今後の展開が楽しみです。
この世界のキュアー
この世界でも同様に自ら闇を作り、それを倒す事で光になってきたキュアー。
分岐点は、10年前のアトモスデイ事件。
読み返してみると楓宇宙編の時は「13年前」と言われていたのですが、あの時は現在から3年後なので間違ってないですね。
ホーリィの故郷がクロウに襲われ、大事な妹を失った事件。
以前同様この世界でも同じ事件を起こしたようですが、その時星を救ったのは星系連盟軍。
こういう言い方するからには、この世界ではキュアーに星系六祈将だった時期はないのかな。
星系六祈将だったら、ジャガーではなく自ら出陣しそうだし。
ジャガーが助けた民間人はまさに幼い頃のホーリィと妹のサラで微笑ましいです。この世界では救われてくれて良かった。
前の世界だと、アトモスデイ事件のタイミングでクロウを倒す予定ではなく、その事件の被害者であるホーリィがクロウを倒す光となる予定でした。
しかし、この世界では悲劇のストーリーを作らず、アトモスデイ事件をクライマックスにして英雄譚にしようとしていたようで、この違いは何なのだろう。
前の世界と違い、この世界では星系六祈将じゃなかったからなのでしょうか。
前の世界では自分の権限で星系六祈将を選べたけど、この世界ではそういったグループに属していなかった。
故に反抗と解決もゲリラ的で、その変化がこの世界での歴史の違いなんですかね。
クロウを倒す役割を最も担えるのはキュアー自身だっただろうに、何で星系連盟軍に先を越されたんだろう…。哀れ。
そんでそれをキッカケに「その時私は思ったのだよ 悪は私の方だ…だがそれでいい…」って考えるようになったのも一貫性の無さが残念でもあり、別にコイツに大して期待する気持ちもなかったらこんなもんかという思いもあり。
感覚的にはミュラーの存在感と似てますね。
物語上の都合を押し付けられたヴィランと言いますか。
どちらも言動が意味分からなくて、うぜぇ〜〜〜きしょ〜〜〜みたいな魅力はあります。
好感度最悪って意味ですが!ここまで好きになれない悪役も珍しい。全く好きじゃないですが、変な存在感だけありますね…。
人を蹂躙できるならきっと何でも良いんだろうなぁ。
救いようねェクズ
それに対する「闇落ちした英雄みてーに語ってんじゃねーよ 元から救いようのねェクズじゃねーか」ってジンのド正論も好き。
っっそれな。
正当性が1ミリもない。共感も同情も全くない。ただの胸糞悪いやつです。
こういう気色悪いやつを思いっきり否定してくれるの気持ち良い〜〜。
自分自身重ねましたが、ジンとしてもミュラーを彷彿としたりしてるんでしょうか。
「元から救いようのねェクズ」ってミュラーにも言える事だと思います。
何をどう言おうと、印象は変わらない。
完全に相容れない相手は「関わらない」が最善種だとEDENSZEROが教えてくれましたね。
ジン、そんなに自分の考えや物の見方を表に出さない人ですが、だからこそ「この世界じゃ前の世界で相容れなかった奴等がマトモになってるって言い方も変だが理解し合える関係へと変わっていた」って視点が聞けたのが良かったです。
ジンだってミュラーという悪人に人生狂わされた人で「心変わり」なんてなかなか受け入れられないものであるはず。犯した悪行は世界が変わったって許す気はなさそうに思います。
それなのに、ジンは「理解し合える関係へと変わる」事もあると知った。
それはシキが気付いたもので、ジンはそれを側から聞いたに過ぎません。
それでもそんな関係だって描けると思えたのは、ジン本来の善性の高さ、そしてシキの事を信じてるからじゃないでしょうか。
ジンというと最初はシキ達の敵として現れて、エピソードのボスになる事はないけど、相容れない絶妙の立ち位置だった人物。
そんなジンから敵だった相手の可能性を見出されると特別グッときます。
「理解し合える」という言葉は凄く素敵な表現だと思いました。
必ずしも同じ場所にいる必要性はなく、それぞれの立ち位置を互いに侵害せず尊重できるかのような。
シキでは出ない、ジンだからこそ言えた物の見方だったと思います。
それに対して「だがおまえはどうしようもねぇ 殴るのに躊躇しねーで済むから助かるぜ」はぐうの音も出ない正論ですけどね!
理解し合える人もいれば、どうしようもなく分かり合えない人がいるのも事実。
こういった気持ちの割り切りはEDENSZEROのテーマの一つだったと思います。
ジン、最後の戦い
にしても「再生」の力というと、ローグアウトの団長・ニセシスターを彷彿としますね。
かつてジンが所属していた傭兵団の団長であり、シスターの治癒の力を悪用していた人物。
「再生」とは「衰え、または死にかかっているものが生き返る」事を意味し、まさに「治癒」の力がある。
「治癒」だけじゃなく、もっと広い意味を示した言葉になっている事から、ある意味キュアーはニセシスター/シスター・イヴリィの上位互換的な存在に思えました。
キュアーのアンドロイドとしての不気味さはニセシスターを重ねなくもないです。
見ようによっては、ジン最後の戦いは自分が最初に属していた、自分を騙していた元凶を打ち倒す意味もあるのかな。
あの時より強くなり、あの時より強い相手を倒す構図がかっこいい。
まさにジン最後の戦いとしてこれ以上ない舞台です。
機械の管に繋がれ"不自由"となった姿も個人的にはジンの人生を象徴とする画にも感じ、グッときました。
ジンといえば、ミュラーに体を刻まれサイボーグになり、その後の人生を妹の為に捧げた、心身共に"不自由"を強いられた人だったんです。
ずっとジンには重い枷があり、それをずっと引きずっていた。
それから解放されたのがフォレスタでのミュラー撃破とクリーネの完治で、その後の惑星ネロ66の戦いでは「だが…暗く閉じていたオレの未来は広がった これから何者にでもなれる」と言ったシーンが大大大好きです。
ジンの不自由さから解放され未来が広がった事を象徴としていました。
今回も一度不自由を強いられてから状況を打開するのは、ジンらしいテーマが象徴されてたように感じました。
かつては不自由だった。でも今は違う。と言わんばかりに「まさかゼノリスの修行がこんなトコで役に立つとはなァ」と言って腕だけ取り外して拘束を解く行動。
かつてのジンじゃ思い浮かばなかったかもしれない自由な発想。
それは精神的呪縛から解放された姿でニヤリと余裕そうに戦う姿にグッときました。
こんな風に笑うなんて最初は想像できませんでしたからね。クールでもあり少年のような無邪気さも表に出せるようになったジン、最強。
風の槍
「天械流忍術…烈風斬!!!!」というジンが初めて出した技から始まり、何度でも再生するキュアーを倒す為に必要なコアを狙うジン。
「だ…だがコアの位置までは分かるまい!!!」と高を括るキュアーですが、それにジンは「どうせクロウと同じだろ」と前の世界での記憶を有利に使います。
「天械流忍術…烈風竜槍!!!!」という必殺技でキュアーを撃破しました。
不死身の相手だからこそコアを的確に狙うというのは理に適った行動。
「どんなに強大な力でも機械である以上…力を供給する機関が必要だ」というのはまさにその通りで、コアだけは如何なる状況でも変わらない機械生命体の弱点です。
ヴァルキリーがかつての世界ではコアが停止し死んでいたように、楓宇宙編ではジギーをコアもろとも破壊し無力化したように、コアが機械の生命力の根源です。
「どんなに強力な力でも機械である以上…力が供給する機関が必要だ」とは、まさに楓大戦で戦ったクロウを思い浮かべて言っていそうですね。
アイツ、何気に倒すまでに費やした話数は歴代トップクラスだからな…。
あれだけ大きな巨人がずっと動いていて、その力の強大さは身に染みて実感していると思う。
あの時クロウと戦った経験がジンの勝因に繋がっていて熱いシチュエーション。
トドメの必殺技「天械流忍術…烈風竜槍!!!!」は、ジンにしては珍しい近距離攻撃。
キュアーの前まで迫ってコアのある部分を的確に貫きました。
それはまさに「槍」。
風を鋭利な槍のように一点集中させた攻撃が烈風竜槍でしょうか。
ジンが初めて見せた技が「烈風斬」だったので、その派生の1番強い技という印象もある。
「治療(キュアー)?まずは自分の頭から治すんだったな」という台詞もキマってる。
敵に勝利した時のあるある:皮肉を言って煽る。
ジンは自己主張強いタイプではないので、だからこそイケイケな男らしさに惚れ惚れしました。
全ての記憶が二周目の世界で、かつての強敵にも余裕の勝利!!次回、ホムラは最強の剣士と対峙…!!
第281話『レディ・フレイヤ』へつづく
煽り文にもある通り、ホムラvs.レディ・フレイヤ。
次回はレディ・フレイヤに圧倒されるパート、その次でホムラの勝利となるかな?