僕は宗教2世「神の子はつぶやく」NHKの放送を観て感じたこと。 | カズのヨット世界一周航海&人生日記

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2014年3月にスタートしたヨット世界一周航海は出航前にアクシデント続出。果たして、アメリカ・フロリダを出航して日本に帰還できるのか。挫折するのか。1年掛かるのか、2年掛かるのか。

毎日、太陽は東に上がり、西に沈む。

たとえ、僕が今日死のうが、生きていようが、苦しもうが、笑っていようが…。

どう生きようが、僕の勝手?それが自由?

ほんとうだろうか?


今日の夕日(大阪湾に沈む夕日。生駒山から。)

 

先月9月、日本から逃亡し、アメリカに居るときに友人に誘われて釣りに行った。凄く楽しかった。

アメリカで一人で居ると、自由を感じた。遠く離れた日本の煩わしさから解放されて…。。。しかし、同時に寂しさのような感覚も感じた。

 

今日、地元大阪の生駒山に夕日を見に行った。人生に疲れた。自分の心の中はしんどくて苦しいが、美しい自然の中でカメラを向けられると、いつも通り笑顔を作る。(笑) どちらが本当の僕なんだろうか??

 

先程、夜11時頃、NHKで面白いドラマをやっていたので見入ってしまった。今騒がされている宗教2世の問題。統一教会の事だろう。。。

 

実は僕も宗教2世である。もしかしたら3世と言うのかもしれないが。

僕が生まれた時、既に僕達兄弟3人は、なんの疑問も無く宗教施設に出入りするのが常だった。毎週日曜日には朝早くから教会施設に行き、同じような境遇の仲間・友人と施設内で遊んだ。何にも疑問は無かった。周りには多くの同年代の友人達が居たし、そこはただの遊び場であり、子供の僕達は、そこが宗教と言う自覚も、神も仏も考えたことも無かった。でも、そこは間違いなく宗教施設であった。

 

先に言っておきますが、僕の家は今世間を騒がせている統一教会ではありません。恐らくは、僕の家の信仰は邪教と言われるようなカルト的な種類では無いと思います。健全か?何が健全なのかは分かりませんが、人を不幸に陥れるような宗教では無いと思います。

 

 うちの家は両親や祖父がまあまあ熱心に宗教(信仰)をしていた。子供の頃の僕は、育っていく幼少期・思春期・学校時代を何の疑問も無く、そう言う施設で時間を過ごすことも多かったし、その場所での友人も多くいた。

 

そして、小学校の6年生とか、中学校に上がった頃の思春期頃になって、僕はやっと自分の家の宗教が周りの殆どの普通の友人達の家とは少し違うことに気がついた。周りの多くの友人の家は、そんな特定の宗教は持っていない様で、友達の家に遊びに行っても、何処のお宅もそのような雰囲気すらを感じたことはなかったのです。

 

僕の両親は毎日のように宗教施設に通い、家でも毎晩お経のようなものを家族全員で声をあげてお祈りするのが常だった。

毎週日曜日は朝早くから決まって家族で教会に行き、一日を過ごした。家の周りの友人たちはみんな学校の友人達で集まって遊んでいたのに、毎週週末に家に居ない僕はその仲には入れなかった。

 

僕はそんな家の特殊な事情があり、多感な年齢の中学生の頃から宗教とか、神様と言うものを、自分なりに考え始めた。

 何故なら、親がしている、或いは信じている、「宗教」「信仰」に疑問を持ち始めたからである。

 

神様って本当に居るの?

何処に居るの? もし居るとしたらどんな姿をしているの?

宗教をしていると何か良いことでもあるの? しなかったらどうなるの?

宗教で何が得られるの? 病気にならないの? 幸せになれるの?

 

宗教をしている人は、物凄い時間を犠牲にしてそういう場所に足を運び、奉仕活動と言って宗教の活動に協力する。勿論すべて無報酬である。掃除や草引き、教会のお手伝い、宗教的なイベントへの勧誘・・・

それは神様への報恩と称して・・・

 

そして、信者に求められる多額のお布施である。何故?何のお金?

そんなお金があれば、家でもっと良いものが食べられるのに・・・。(笑)

そんな大金を払わなければならないの?

 

僕はそのころから疑問に感じていた。

 

神様とは何なんだ? 本当に居るの?ご利益って何? 幸せって何? 人生って何? 信仰したら、願いが叶うの? 信仰をしなかったら、悪いことが起こるの? 不幸になるの? 死後の世界ってあるの? 

そんな頃、10台の中頃だったと思う。丹波哲郎の主演の映画が何本も上映されていて、TVコマーシャルもしていたので興味が湧いてきて映画館に見に行った。「死後の世界」の映画だった。面白おかしく描写されていた。(良かったら見て下さいね。面白いよ。。)

 

僕はたぶん変わった中学生だったようにも思う。。。(笑)

 

人間死んだらどうなるのか? 悪いことをしてきた人の人生と、良い事をしてきた真面目な人の人生が、あの世に行けば違うのだろうか?

地獄ってあるの? ヤクザは地獄へ行くの? 真面目な人は天国へ行けるの?
 要は、ヤクザのように人を苦しめたり悪い犯罪をした人と、真面目に社会の役に立つような生き方をした人達との違いが、あの世では在るのか、それとも無いのかが問題なんだろう。笑笑

 

もし、それがあの世に行って、皆同じであるなら、或いは言い方を変えれば、あの世がそもそも無いとするなら、この生きている人生で何をしようと、悪いことをしようと、犯罪をしようが、人を騙そうが、死んだら皆同じと言うことになり、一生懸命苦労しながら努力してきた人の人生が意味が無い様にも感じる。。。大いに不公平と言うことになる。。。

 

つまり、生きている間に良い事を多くするような人が報われるような人生や死後の世界があるべきだ。と、自分を納得させるためには必要だったわけである。

 

その入り口が僕にとっては、丹波哲郎の映画や出版本だったわけである。それ以来、宗教に関する色々な本を沢山読みました。更には、哲学や潜在意識、心理学的な世界に興味がわきました。
大学生の頃は、ますます興味が湧いてきて。家の宗教以外にも興味が湧いてきました。

時間があれば、他宗教の講演会や説法会も積極的に行きました。

 

僕の10台はそんな一面も大いにあった学生時代だった。
勿論、僕は普通に10台を謳歌しました。多分、平均的な人の何倍も…青春時代を謳歌した。

中学校では400人くらいの同級生が居た中で、僕は不良だったにも拘らず何故か勉強が出来た。(笑) 中3の時には全国模擬試験で学年で4番とか5番くらいの成績でした。地域で最も優秀と言われる公立高校へ進学しました。
一方、高1からオートバイを乗り回して、バイクを改造し悪い友達と夜中迄走り回っていました。それで日本全国をも旅行しました。また、彼女を作って家に帰らずに、毎日朝まで遊びました。高校ではラグビー部に入り、3年間をラグビー漬けで青春しました。或いは、旅行が好きでヒッチハイクに嵌り、大学時代を終えるまでヒッチハイクで日本全国を無銭旅行の一人旅を、何回も何十回もしました。

 親に対する反発から発生した僕の社会や人生に対する疑問が端緒となり、僕は色々なことに興味を持ちました。積極的に沢山の大人と話し、自分の疑問に向き合いました。僕はそんな10台を過ごしてきて、20台が終わるころには自分なりの宗教観と言うものが出来上がっていました。

 それは10年も20年も掛けて、考え、考え続けて、悩み、自分なりに試行錯誤しながら辿り着いた場所でした。

 それは自分の両親とは違うものでした。言葉では言い表しにくいものですが、形や場所にはとらわれない何か心の中に在るもの。。。不変の真理と言う様な。。。そんな位置づけと言う様な感覚でした。


 ただ、一般的な意味での宗教は、感謝する心とか、謙虚さ、常に反省したり、謝罪したり、周りの人や自然や社会に愛を以って接し行動する、世の中に奉仕する、人様に喜ばれるような生き方をすると言った、抽象的な感覚は皆どこも同じようにも感じます。

 

 何処かが唯一正しい考え方だとは思っていませんでした。何が、どれが、正しいとか、どこかが間違っていると言う様な感覚ではありません。それは違います。

 

それから40年以上経ちますが、今も同じです。

 今は、統一教会の事で毎日ニュースでもワイドショーでも、宗教2世の問題が大きく取り上げていますが、僕の感覚は、要は、一人一人のそれぞれの方々の人生の一部だろうと感じています。良い部分も、悪い部分も。

 人は皆、それぞれ境遇が少しづつ違います。親も違うし、貴方も違う。宗教も違うし、貴方の顔も考え方も性格、価値観も違う。

 同じようなことをしているように見えていても、救われると思う人と、騙されていると思っている人がいる。要は同じことをしていても180度違う受け止め方になるんですから…。

 

 例えば、親が多額の寄付金を、ある宗教施設に寄付していても、言い方を変えれば、それがもし詐欺に近いものだったとしても、ある父親が競輪や競馬のギャンブルで擦ってしまう家の生活費のお金とどう違うのか?母親が自分を着飾るために宝石商に勧められて、大きなダイヤの指輪を高額で買わされるのと何か違うのか? って言われたら悩んでしまいます。

 

 僕は今、家とか親とか血縁とかを最優先したり、一番重要とするような一般的な考え方や受け止め方をしていません。血縁の関係が絶対とは思っていません。

 血が繋がっているから愛するとか、血が繋がっていないから赤の他人だ。って言うのではなく、親兄弟、親族が、血縁であろうが無かろうが、だから、こうあるべきだ、と言う様な感覚では思っていないと言う意味です。

 

 実際、僕は去年父を亡くしましたが、92歳まで生きた父親が死ぬ前に僕に対してしたことは、僕の家からの排除でした。世間とは真逆です。

 僕は一生懸命、父の創業した商売、家業・会社を大学卒業後40年以上手伝ってきましたが、父の遺言の答えは、それらを相続し継いでいくのは長男である僕では無かった。それどころか、父は僕を排除しました。笑笑

 

 そりゃあ、僕は超ショックでした。ショック過ぎて涙も出ない。もう笑ってしまうくらいの驚きと予想外な答えでした。父が死んだ今となっては想像しか出来ませんが、その父親が信じていた宗教を継がなかった理由が大いにあったのかもしれません。最後の最後で父に嫌われていたと言う事でしょうか。(僕は父親に愛されていなかった?)

 そのショックや環境の変化に翻弄された1年間でした。正直苦しかったです。鬱になるくらい沈み悩みました。腹が立って眠れない夜が続きました。そして今もその渦中に居ます。この歳になって、親子の愛を剥がされ、裸で放っぽり出されたんですからね。。。(笑)

 

 今、この後の人生をリセットしてゼロからやり直しと言うことです。
継ぐべき家も、会社も、財産も、金品も、何もない今、寒空の路頭にさまよう、齢、還暦の男がここに居ると言う現実を受け止めるところからの再出発です。

 

 僕が考えていた、人生観、宗教観では、親子や血縁はあまり意味のない事。そう思っていた訳ですから、今、現実そうなった訳です。

むしろ、喜ぶべき環境になったと言って良いのかもしれません。笑笑

 

今僕が、苦しんだり、悩んだり、腹が立つ問題じゃない。。。それはお門違い?? これは僕の持論の筈です。。。(笑)

 

今、健康で五体満足。60年間培ってきた生きる術。人生観。
それらを元手に再スタートです。

 

僕はテレビの宗教2世が主張するように、親のエゴに付き合わされて、家もお金も時間も失った? 今60歳を超えて、過去の自分の人生の全てを失った悲劇のヒロインのようにも感じようと思えばそう見えます。(いやその通り…笑)

 

 しかし、何がどうあろうと、自分の人生は自分の人生です。人に左右される問題ではない筈。それは、(神様から)自分に与えられた命、時間であることには違いはありません。

自分が、これまでもそうですが、これから先の時間をどのように使うのかを、ただ問われているし、それこそが自分だと感じます。

 この先の自分の人生をどう生きるのか。どこで、何をして、何を考えてどう生きるのか。どう死んでいくのか。そこだけが、自分だと感じます。それが自分の責任であり、権利でもあるように感じています。

 

自分が10歳であろうと、20歳であろうと、40歳であろうと、60歳であろうと、80歳であろうと、一緒の事だと感じます。

自分の時間(自分が与えられた時間・人生)をどのよう生きるのかが問題です。それが全てあると感じます。

 

人のせいにするのは簡単です。今振り返れば、僕も、常に人のせいだと文句言ってきた人生だったような気がします。(笑)

 

しかし、それは間違っています。。。冗談だとしたらそれはそれでいいのですが。真実は違います。

何が起ころうと、どんな人生であろうと、どんな不幸であろうと、どんな幸せな人生であろうと、そんなことは気にすることでは無い様に思います。(いや、気にするだろうよ…笑)

 

今からの自分の時間をどう生きるのか? どう使いうのか、が問われているのだと思っています。

 

さあ、この楽しい人生を、僕達の自由を謳歌して、今日の一日、明日の一日を楽しもうではありませんが。。。。笑笑

 

かず

 

PS:こんなことを言っていますが、実は本当の今の自分は違います。

毎日むかついて、怒っています。常に腹が立って、こんな状況で生きるのが苦しいと思っています。笑笑 スミマセン。。

 

最期まで読んで頂きありがとうございました。詰まらない話で、申し訳ありませんでした。by Kazu

 

PS:こんな素敵な時間を一緒に共有しませんか?笑笑

   こんな煩わしい世界から逃避して一緒に遊びましょうよ‼

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