村上春樹氏への挑戦日記!

村上春樹氏への挑戦日記!

小説を出版しました!
「夢は必ず叶える事が出来る」
この事を小説を通じて特に若い人たちに伝えたい。
そんな思いから40半ばの親父が自ら実践して、一石投じたい。
この無謀な挑戦をここに記録します!

公式HP
http://www.sukittekotoba.com

Amebaでブログを始めよう!

元日は家に帰ったのは結局、だった。


前日あまり寝ていなかったのと、お酒を飲んでいたこともあり、


辿り着いて、すぐにバタンキュー?


翌日は弟家族が我が家を訪れ、


ここでもすき焼きにお酒を少々


3日になって、ようやく時間がとれた。


年末もバタバタしていて、


1週間くらいまともにパソコンを触れていなかった。


「そうだ。年の瀬、新年の挨拶もしていない!」


「何たる失態!急いでやらなきゃ!」


皆様に大変ご迷惑を掛けていたこともあり、


長い時間ペタを付けたり、ブログを拝見させて頂いていた。


これに子供達不満顔?


そういえば、年越しそば雑煮


一緒に食べていないんだっけ?


初詣も、私はずっと神社にいたのでしたつもりだけど、


「そういえば、行っていないよね?」


「あれ~、そう言えば?」


「新年の挨拶もしていないよね!」


皆さん、一斉に頷いている。


取って付けたように、


新年の挨拶をしてみたものの?


まだ、納得いっていないみたいです。


あれ、…?


忘れていました!


1月3日は


最愛の息子誕生日だったのです。


これ毎年忘れるんだよな~!


次回のブログは、長男の誕生日エピソードの巻


ジャン、ジャン!







前回のブログで説明した通り、


供え物は全て厄年の方々半分お返しすることになっている。


樽のお酒も一升瓶に入れ、


鏡餅も専用の切断機で人数分に分けるのだ。


この時、いつも頭を悩ませるのがブリの存在だ。


最近は大きなブリを切り分ける人が、本当に見当たら無いのだ!


昨年は、厄年の中で魚をさばける人がいると聞いていたのだが、


蓋を開けてみると誰もさばけず完全に当てが外れてしまった。


そこで緊急手段で急遽自宅に戻り、


母親を自宅から連れ出し、なんとかその場をしのいだのだ。


母親は歳は喰っているが


実は今でもとても器用に魚をさばくのだ!


本人曰はく、


「ブリをさばく際は、水を使ったらダメ」


と揺るぎのないポリシーを持っていて、


それを見事に実践して見せる。


今年は前もってお願いしていたこともあり、


2本もの立派なブリを問題なく切り分けていた。


神社の方で頂くブリは、その場で刺身にして貰い、


式典の参加者全員にお酒と一緒に振舞うだ。


何とか無事に式典も滞りなく終焉を迎え、


ほっと一息?


そこへ、スタスタと弟が歩み寄ってきた。


実は弟は今年42歳で、その年代を取り仕切っていた。


この後、公民館でみんなで飲む段取りになっているから、残りの半身を全て刺身にして欲しいと伝えてきた。既に酒を飲んでいるので出来た刺身は私が後で届けることを約束


しばらくして、わざわざ公民館まで要望通り刺身を届けると、


今度はお酒を持ってくるのを忘れたとの事!


ビールは自分たちで準備していたが、


日本酒は半分返ってくるお酒を当てにしていたらしい。


餅は忘れずに持ってきたのかと確認を取ると全員が持っていた。


その他に忘れ物は無いのか、


確認を取ってから再び神社にとんぼ返り


急いでお酒を持って、公民館に戻ると信じられない言葉が!


「お餅を備える際に使ったお盆を忘れてきた?」


既に神社の役員の皆さんは、


ブリを肴楽しくお酒を飲んでいるのに!


しかも、母親が大事にしていたケヤキのお盆を!


「てめぇー、いい加減にしろー!」


こう怒鳴りたかったのは、山々だが敢えて大人の対応を?


「俺が家に帰る時、それは持ってくるから」


その後、全ての雑用が片付いて、


喜び勇んで宴の席へと飛び込んでいきましたとさ~!


で、そのお盆ですか~!


すっかりと忘れていました。


今も神社の何処かに置いてあるはず?


本当にあるんだろうな?


何だか心配になってきた~!


明日、探しに行ってみよ~っと!


じゃん、じゃん!


次回で、

  完結だよ!



遅刻から始まった元日の朝、


毎年AM11:00から式典が執り行われることになっている。


この神事の中には、60歳男性42歳男性33歳女性25歳男性の厄払いがある。


実は参加の受付は、事前に自治会の回覧板を利用し募っている。


けれども、この回覧板いまいち信用ならないですよね。


というのも、皆さんが見ているとは限らない。


今回、参加人数を集計したところ25歳男性が一人もいない。


昨年は、6,7人はいたはずだ。


こうなると、一応確認が必要になってくる。


すぐに、青年団の団長に連絡を取り、この年代に誰がいるのかを聞き出す。


特にその年代を取りまとめてくれる中心人物の把握が重要なカギになってくるのだ。


結局、調べて見たら25歳の参加は無かった。


中心になってくれそうな人物も、早生まれで来年やるとの事!


では何故、中心人物がなぜ必要なのか?


それは、この地区に昔からある風習に他ならない。


厄払いをして頂く際に、個人で寸志を持っていく。


これは場所に関係なく、どこでも見られる光景だと思うのだが?


私達の村では、通常寸志とは別ブリ餅(紅白の鏡餅)を奉納するのだ。


基本、その際にかかった費用は人数でカット割りしている。


これを取り仕切るのに、どうしても中心人物が必要なのだ。


この際に特別問題になってくるのが、ブリの存在だ。


富山では年末に、この年に結婚したお嫁さんの実家から嫁ぎ先の家にブリを送る風習がある。


そして、送られてきたブリの半身を嫁の実家に返すのだ。


(特に富山の西部に残っている)


これによって、年末にブリの価格は急騰する。


不漁の時は、本当に目玉が飛び出る!


現在、私達の村は新興住宅地の為、他所から来た多くの人達が住んでいる。


厄年の同級生の中にも、この風習になじみのない方々も当然、加わることになる。


その為、以前なら金に糸目をつけずに用意していたものも、どうしても配慮する必要が出てくる。


実際、私も25歳、42歳の時に取り仕切ったが、今思うとブリの値段に物凄い差がある。


25歳の頃は、幼馴染みしかいなかったので確認も取らずに9万円相当の本物のブリを用意した記憶がある。(この年は不漁だったのだ)


一人寸志とは別に、2万円相当払った記憶が?)


42歳の時は、幼馴染み以外に4、5人加わった為、どうしても遠慮してしまう。


では、どのようにしてブリの値段を抑えるのか?


本来、ブリは10キロ以上のものを本物のブリと認めることができる。


ブリは出世魚として有名だが、私達の地方では小さい方からツバイソコズクラフクラギガンブリと呼んでいる。


早い話が、10キロ以下はガンド(ガンドブリとも呼ぶ)になり、値段が一気に安くなる。


※それでも、相場によってはかなり高い!


それと、最後の逃げ道は養殖ものになってくる。


私は42歳の時、皆さんにお伺いをたてながら天然のガンドブリを結局用意した。


「それでも2万5千円/匹 くらいしたかなぁ?」


けれども、この風習も若い年代には段々と難しくなってきているのも事実だ。


当然、この風習に理解を得ることも困難なのだが、少子化が進み同級生の人数も少なくなってくることが予想される。


「やりたくても、負担がでかすぎるよなぁ―」


実際、今年60歳男性(還暦)の方々は9人で、神社の幕を寄付し、立派なブリと樽酒、おっきな鏡餅を奉納されていた。


(かなりの金額を負担されているはず)


私が還暦になった時、いったいどこまでできるのであろうか?


(その頃の経済状態も考えると)



日本の老後も心配だが、身近なところで少子化と老後に不安を覚える私でした。


じゃんじゃん!


供えて頂いた品物は、全て厄年の方々に半分返すのだが、


次回、その際のドタバタ劇を記事にします。




現在、私は地元の神社の世話役をやらせて頂いている。


これが実は皆様が思っている以上に意外と大変なのである。


私の村の神社では、年に2回のお祭り(4月、10月)、新嘗祭(11月)、拝賀式(1月、元旦)、念祭(2月)が催される。(その度に、草むしりや清掃が必要となる)


その中でも、一番大変なのが元日に行われる拝賀式なのだ!


一週間前に神社の中と外の清掃は役員全員ですでに終わらせていたが、


大晦日の日、早朝からさっそく準備開始。


私は会計をしていることもあり、2日間に使用する灯油の買い出し、供え物の準備、くじの景品の準備(約200個)、役員の年越しそばやつまみの準備にてんやわんやすることになるのだ。 


それまでは大晦日のPM4:00から翌日の夕方まで夜通し、神社に張り付くことになっていた。


昨年から、AM2:00~AM6:00までの4時間は自宅に帰ることが許されている。

(それでも、参拝者が来るからと年輩の方々は、自ら神社に泊まってくださっている)


実際に何をしているかというと、大晦日は神社にお酒などを供えに来る方の対応が専らの仕事だ。


傍から見ると簡単そうに見えるかもしれないが、


時間とともに迫りくる寒さとの戦い深刻そのものなのだ。


その対策として当然の如く、お酒は必需品として不可欠になる。


けれども正直なところ、新たな年を迎えるまでの間、いつのまにかどちらが本当の仕事なのか区別しづらくなるのも事実なのである。


私達が従事している神社の隣にはお寺があり、ここから響き渡る除夜の鐘が否応なしにほろ酔い気分から現実へと引き戻す合図となってくれるのだ。


これから押し寄せる参拝者の方々の為に、薪を燃やしてかがり火恒例のくじ引を決行する為の準備に一斉に取り掛かる。


それでも昨年は雪の始末に追われていたのに、今年はその心配もいらず平穏な年越だと、ついそんな思いが頭をよぎってしまう。


そんな事を思い描いている間に、新たな新年を迎える事となった。


待ち焦がれていた人達が、一斉に境内に押し寄せ至る所で新年の挨拶が交わされている。


見慣れた顔が次々やって来ては、笑顔を置いて、それぞれの我が家へと帰っていく。


あれだけあった景品も、あっという間に消えていく。


午前0時から予定の2時までは、本当にあっという間のことだった。


明日への準備を済ませ、家にたどり着いたら時計は3時を指していた。


嫁も、3人の子供達も寝息を立て、すでに夢でも見ているのだろうか?


「こりゃ新年の挨拶は無理だな!」


明日は役員全員のおにぎりを買って、


AM6:00までに神社に行かなくてはいけない!


「まずいなー?」


前日は大阪から妹夫婦がやって来ていて、夜中まで飲んでいた。


「殆ど、寝ていないんだよなー。起きれるかな?」


目覚ましを5時半にセットしたのは憶えている。


おそらくその後、すぐに寝たのでしょう?


目覚めた時には、時計はピッタリ


AM6:00

 を指していました。


すぐに服を着替えて、ろくに子供達の顔も見ずに


家を飛び出して行きましたとさー。


これが2014年、私の新年最初の寝起きでした。


言うには及びませんが、神社に到着した時の時間はしっかりと


AM6:24


私の第一声は


「すみませ~ん。遅くなりました!」


本当に今年は良い年になるんでしょうか?


そんな不安がよぎった元日でした。


じゃんじゃん!


次回のブログは、この続きです。




少し遅くなりましたが、


明けましておめでとうございます。


昨年は、このブログで多くの方々にお世話になりました。


本当にありがとうございました。


年末から沢山ペタを頂いたのですが、申し訳ございません。


ほとんど返せていないと思います。


この後、返そうとは思っていますが、行き届かない人が出ると思います。


どうぞお許しください。


今年も、多くの方々にご迷惑をおかけすると思いますが、


一年間よろしくお願いします