村上春樹氏への挑戦日記! -2ページ目

村上春樹氏への挑戦日記!

小説を出版しました!
「夢は必ず叶える事が出来る」
この事を小説を通じて特に若い人たちに伝えたい。
そんな思いから40半ばの親父が自ら実践して、一石投じたい。
この無謀な挑戦をここに記録します!

公式HP
http://www.sukittekotoba.com

皆さん、お待ちかねのクリスマスまで残すところ1日なりました。


いきなりですが、皆さん!


何歳まで、サンタさん信じていましたか?


ちなみに、私は中学2年生まで。


大好きだった漫画「りんぐにかけろ」を全巻、「サンタさんくれないかなー」といったのを友達にバカにされて現実を知らされた。


といっても、サンタさんからプレゼントを貰ったのは2度しかないけど。


小学3年生の時にもらった鉛筆と消しゴムセット。


それと、サンタさんの一番の嬉しい記憶!今でも忘れられない。


それは小学校五年生の時にあまり裕福ではなかったのに両親が大奮発してくれたのでしょう。


兄弟三人それぞれにプレゼントを貰ったのだ。


夕方、部屋に戻ると枕元に大きな箱が?


中を見ると、ゲームが!


ゲームの名前は覚えていないが、赤、青、白、黄の球を落とすようなゲームありましたよね?


妹は、懐かしのダイヤモンドゲーム!


弟は、車のおもちゃだったような


それまで、家にゲームは一つもなかったので初めてのMYゲームだった。


当時は今のようなハイテクゲームの出がけで、


ボードゲームが主流。


本当に嬉しくて、わざわざ隣に住むいとこに見せに行ったのだ。


今考えると、いとこは当時高校生中学生の女子!


私の夢を壊さずにうまく話をあわせてくれたのでしょう。


そのおかげで、その後、数年はサンタさん信じていました。


では現在、我が家の悪がき三人はというと?


あろうことか


「三人とも信じていない!」


これには、訳があるのです。


2年前までは、全員信じていたのに!


その年のクリスマスの日、真夜中に段取りを忘れ寝てしまった嫁は、早朝になってプレゼントを子供たちの枕元に置こうとしたらしい。


事前に用意したプレゼントは押入れにしまってあったのだが、慌てていたこともあり大きな物音をたててしまった。


前日からサンタさんのプレゼントを楽しみにしている子供達は、それぞれに気に入りの靴下を準備して寝付いたのだが、この音に長女が敏感に反応したのだ。


最初はサンタさんがきた思ったらしいのだが、隣の部屋に行くと嫁がガサゴソとプレゼントを引っ張り出しているところを目の当たりにしてしまった。


「これサンタさんから、預かっていたの」


嫁は取り繕うように弁解を計ったらしいが、


もはや後の祭り!


この事実が長女だけで留まる訳もなく、


残りの二人も現実を思い知らされるのだ。


それでも私はまだ多少の望みにかけ


昨日、下の二人に同じ質問をぶつけてみた。


長女は完全に現実を受け入れているので、話すだけ無理と諦めている。


「今年、サンタさんに何を貰いたいの」


次女(小学校一年生)の一言!


「お父さん、サンタさんは子供を喜ばそうと大人が勝手に作った

の。知らないの」


長男(小学校4年生)とのやり取り!


「サンタさんはいいから、Wiiを買って」


 「きちんと、サンタさんに頼めよ。そうすればプレゼント

   してくれるかも?」


「どうせ、お父さんが買うんでしょ。Wiiを買って」


淡い期待を抱いた私がバカだった。


「なんだよ。こいつら、夢もへったくれもない」


と一人さみしく心でつぶやいた。


そこへさらなる追い打ちをかけるように、だんまりを決め込んでいた長女が一言!


「私は3DーDSでよろしく」


「かっち~ん!」

  (怒)


「お前ら、サンタさんを信じない家にクリスマスがあるわけないだろー!」


「だから、プレゼントも当然ありません!」


当然、ブーイングが山のように降ってきましたが、我が家のサンタさん(通称スポンサー)は完全にへそを曲げましたよーだ。


「いまからでもご機嫌が直るように、


本当のサンタさんにおねがいしてみればー」っと!


じゃんじゃん!















































それでは、私の不思議な目の特徴について説明します。


普通、人は両目で物を見ますよね。


どうも私にはそれが出来ていない。


もちろん、両目で見ることはできるのだが、知らぬうちに片目だけで見ていると思われる。


私は目の専門家でないので、詳しくは分からないが、人は両目で見ることによって遠近感を得てるはず?


私の場合、その辺が微妙なのだ?


例えば、このようなエピソードがある。


小学校の頃に動物園で写生大会があった。


その時、私だけが他の友達と違った描き方をしたのだ。


誰もがお目当ての動物の姿だけを描いた。


私はを選んだのだが、その絵にはしっかりとオリが描かれていた。


皆様ご存じのとおり黒色のしまのある動物で、それに黒色の鉄格子を書くから、何が書いてあるのか非常に見づらい絵となって完成したのだ。


「担任の先生から、どうしてオリ書いたの」


と尋ねられた記憶がある。


普通、人は両目で違う角度から物に対して焦点を合わそうとする。


これによって、目の前にオリがあっても、全体像を捉えることができる。


でも私は片目で見ている為に、通常時はオリ越しでしか動物を見ていないのだ。


大人になって、動物園で自ら検証し、この答えを導き出した。


この独特の見方が邪魔をして、最近困る物があるのだ。


皆さん、何か解りますか?


それは3D!


短時間なら3Dで驚きの映像を見ることは可能なのだが、長く見てると頭が痛くなるというか気持ちが悪くなる。


だから、基本的には見ない。


でも、実はこの目には別の優れた特性がある。


以前、遠出をした時に友達びっくりした出来事がある。


最初は私が車を運転した際に、


全く休憩をとらないこと思議がっていた。


暫くして、友達が驚きの光景を目の当たりにしたのだ。


それは、私が片目をつぶって運転していたらしい。


自分で意識したことはなかったが、指摘されて「そうかも?」と思った。


その後、右目、左目と片目だけで運転できるか試してみたが全く問題ない。


友達に「こんなの誰でもできるだろう」というと絶対に怖くて無理と答えた。


私はこの体験を基にある仮説をたてた。


草食動物は周りに危険な天敵が多い為、片方の目だけを閉じて立ったまま寝ると聞いたことがある。


そして、右脳と左脳を別々に休めるのだと!


実は私は、運転の他にもパソコンやTVを長時間見ても全くと言っていいほどつかれない。


車などはトイレさえしたくなければ、5.6時間ふつうに運転する。


これは片目をつぶることで、片方の脳が休んでいるのでは?


全く根拠はないのだが、自分ではそう納得している。


それと私の摩訶不思議な考え方も、この独特の見方が影響してるのかも?


この奇妙な輩を作り出した原因の根本は、


幼き日に新沼謙治さん憧れ実行した、


片目を閉じた生活から来たとしたら


そこらの小説より、よっぽど面白いかもしれない?


その小説とは私が書いた「好きって言葉が咲いた朝の事で、


その他の本は非難してませんよー!


じゃんじゃん!
















わたし、バカよね~


おバカさんよね~!


昨日は私の大馬鹿ぶりを、またもや披露してしまいましたねー。


でも、ここまで見事に間違えるかねー。


人間の思い込みって、つくづく恐ろしいと痛感しました。


ブログを書き終えた時点では、「よし完璧だ!」大変満足してたのに!


食事を終え、コメントを見たら、


一瞬、「…?」


事態を把握するのに、然程時間は必要ありませんでした。


皆さんなら、こんな時どうします?


(状況の詳細)


(1) 頑張って作ったブログの、大事な部分が思いっきり間違っ

   ている。


(2)すでにアップして、かれこれ1時間以上経過して、コメント

  も寄せられている。


(3)その内容も、間違った部分について感想が述べられている。



私がその時に取った対処行動 <時系列で>


①事態をようやく飲み込むことができ、天を仰ぐ。(約1分)


②対処方法を考えたが浮かばない。(約3分)


③無意識にコメントの返事を書き込む。(約5分)


④知らぬうちに意味もなくペタを返し始めていた。(記憶無し)

 ※おそらく上の空状態で、対処方法を考えていた。


⑤「こんな時に悠長に何してるんだ?」と我に返る.(約1秒)


⑥再び対処法を考え、ブログの修正に取り掛かる。(約4分)


⑦途中、嫁に「陸上に行っている長女を迎えに行くよう」

  頼まれていたことを思い出す。(約1秒)


⑧時計を見て、若干予定時間を過ぎていることを確認(約3秒)


⑨車を飛ばすが、6分の遅刻 (約10分)


⑩娘からの説教(約3分)


余談の部分かなりある、以上である。


パニックになりながらも、このような事を考えていた。


最初に思いついたのは、何事も無かったように修正する。


けれども、せっかく頂いたコメントが整合性が取れなくなるのは申し訳なく思い、即却下。


次に新たなブログを立ち上げ、そこでお詫びと修正をしようと思った。


けれども、そのブログだけしか読まない人もいると思い、立ち上げていたブログに掲載することを決めた。


一見、読書思いの作者だと好感度を持った方に正直に申し上げます。


途中から、「これ次のブログのネタになるんじゃない」


と気づき、冒頭の言葉は決めていました。


それと、これから書く言葉も!


皆さん、私の事を嫌いになっても、


   決して後ろ指は刺さないでください!



元AKBの前田敦子さんの真似をするきんたろうさん風に!


少し、おちゃらけてしまいましたが


それでも、前代未聞の勘違をそのままブログに残すのは、


本当に「心残り」です。


じゃんじゃん!


今日の7時に不思議な目の回答は、


約束通りにUPしま~す。










前回のブログで老眼について掲載したのだが、


頂いたコメントを見てハッとすることがあった。


それは私の目の不思議な特徴について!


皆さんの両目は、同じ大きさをしていますか?


多少大きさに違いはありますよね。


でも、私の場合、明らかに右目の方が大きい。


「だから…?」


いきなり、こんな罵声が飛んできそうですが、話はここで終わらないのです。


この原因、はっきりと私には分かっているのです。


それは、癖!


ここで、本当に怒った方いるでしょ―?


皆さん、ここは一旦我慢してください。きちんと説明します。


実はこのなんで付いたと思います?


ある男性歌手の方をかっこいいと思って、真似したのがきっかけ!


その人とは?


私、バカよね、おバカさんよね。


後ろ指、後ろ指、さされーても。


このフレーズで、年輩の方は分かりますよね!


そう新沼謙治さん!


ちょうど私が保育園の年長(6歳)の時に、


「心残り」が大ヒット!


曖昧な記憶ですが、日本レーコード大賞か何か新人賞を取られたような気が?


新沼謙治さんの目も片方が小さい!


それに、本気で憧れて左目をいつもつぶる事を心がけました。


本当に、寝ている時以外は四六時中です。


宿題をする時も、歩く時もいつも片目をつぶっていたのだ。


母親によく注意されたのだが、絶対にやめなかった。


期間はよく覚えていないのだが、多分一年くらいはやったと思う。(もしかしたら、それ以上かも?)


ただ、新沼謙治さんへの憧れも薄れてきて、意識してやるのを止めようと思った日のことはよく憶えているのだ。


鏡の前で普通にしても目の大きさが明らかに違う事に、この日初めて気づいた!


その時、一瞬危機感を覚えたのだ。


「あれ、これまずいかも?」


小さい方の目を意識して広げようとすると、似たような大きさになるのだが?


普通にすると、どう見ても違う!


そこで思いついたのが、


今度は大きい方の目をいつも閉じるようにすれば戻るはず?


ところが、これが全くうまくいかないのだ。


何故だと思います。


当時はよく解らなかったのだが、


今考えると、「利き目」関係だと思う。


何度も挑戦したが気が付くと、いつも閉じているはずの目がいつの間にか開いていた記憶がある。


でも最後は、


「まぁ、これはこれでいっか―!」


とあっけらかんと諦めた記憶も残っている。


科学的根拠は全く持ってありません。


でも、実行前の写真を見るとそれ程大きさに変わりはないのに、実行後の写真は明らかに大きさが変わっているんだよなー。


それと余談ではあるが、実行中は写真を撮る際も左目は閉じている。


今思い出したが、小学校の入学写真をとる時、先生に注意されたっけ!


本当に馬鹿ですよねー!


でも本当の意味で驚くのは、まだ早いのです。


この馬鹿げた行動が、思いも由らぬ不思議な目を生み出していたのです。


皆さん、わかりますか?


難しいですよー?


ひらめいた方は、


是非コメントください。


(難易度 MAX)


次回のブログは、


  12月20日 PM7:00 に公開します。


それでは、またお会いしましょう!


じゃんじゃん!


皆様に、お詫びがございます。


私の幼少の頃の記憶に誤りがございました。


それは、、「心残り」は細川たかしさんの歌です。


新沼謙治さんは、「嫁に来ないか」ですよね。


新沼謙治さんをかっこよく思っていて、こころ残りは歌が好きで。


記憶が完全に混ざってしまっていました。


本当に申し訳ございません。今後気をつけます。


細川たかしさん、新沼謙治さんのお二人にも心からお詫び申し上げます。


御指摘を頂きましたくみこさん、本当にありがとうございました。




もう少しで今年も、終わろうとしています。


皆さんにとって、今年はどのような一年でしたか?


私は、まさに「挑戦」この言葉に尽きます。


八月の小説の出版全国巡り旅ブログ、何もかもが未知の世界でした。


それに選挙活動にも、初めて携わらせて頂いた。


昨日、読んでいた雑誌の記事を見て、ついそんなことを考えてしまった。


残りの日数は少ないが、


「何かやり残していることはないか?」


その時に、ピーンときました。


まさに、これ!


一年前から、全く解決していない。


いや、むしろ悪化している。


何だと思います?


それは、老眼です。


私は「新聞や本を読まないとダメになる」とずっと思ってきた。


それなのに、この症状が出てから文字を読むのが本当に億劫になってきている。


新聞は辛うじて目を通すよう心掛けているが、本は良く考えてみると全く読んでいない。


大好きなワンピースジャンプで毎週見ているが、単行本はもう読めない。


読もうとしても、イライラしてきて最後まで読む気になれない。


絵があると、余計に見づらい気がする?


そんなの老眼鏡を使えば済むと思うでしょ!


そんな単純なことが出来ていないのだ。


使わない理由、皆さん解りますか。


老眼鏡をかけるのをかっこ悪いと思っている!


おそらく皆さん、そう思っているでしょ?


でも、事態はそう簡単ではないのだ。


人様に老眼鏡をかけている姿を見られても全く恥ずかしくありません。


むしろ最近は、これを会話のネタにして楽しんでいる。


では何故?


実は私がこれまで胸を張って言える唯一の取り柄


それが「視力が良いこと」だったのだ。


今も両目とも1.5はあるはずだ?


遠くのものは、今でもはっきりと見えている。


「それなのに、何だよ。」


「こんなに近くのものが見えないなんて!」


正確に書くと、まるっきり見えない訳ではなく、ピントさえ合えば見えるのだ。


ただ人間は長い時間、その姿勢を維持できない。


どうしても長い時間読んでいると、本を投げ出してしまいたくなってしまうのだ。


話を少し戻すが、目がいいはずの自分が眼鏡をかけなければならない。


「これがどうしても納得できない!」


老眼鏡をかけない理由、まさにこれです。


この思いが、間違いなく邪魔してる。


「でも、あれ・・・」


よくよく考えてみると、


「俺ってこんなに頑固だったけ?」


歳を取ったことで老眼が問題だと、


この一年ずっと思っていました。


でも、今ふと思いました。


「むしろ、こっちの方が問題だ!」


「この意味のない頑固さ」


確実に偏屈じじぃの階段


一歩ずつ登っているじゃないか!


正月を迎える前に、


まさかこんなことでむことになるなんて


若さと老いの狭間で揺れるセンチメンタルな年ごろの分!


それを再確認した1日でした。


でも、まだしばらく老眼鏡かけませんよ!


じゃんじゃん!