わたしだと、思っているものは。その2 | ボディーワーカー小笠原和葉オフィシャルブログ

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ココロとカラダに安心を再教育していく『プレゼンス・ブレイクスルー・メソッド』を主宰、また横浜市都筑区、緑と光があふれるボディーワークスペース『BodySanctury(ボディ・サンクチュアリ)』でクラニオをベースとしたオリジナルのボディーワークを施術しています。

高橋大輔ショックを引きずりつつ、
昨日のその1の続きです。
矢印わたしだと、思っているものは。その1


そみさんのエントリーで特に響いたのはここ。


“「精神」「心」という
人間ならではと思っているものが受けている
「生理学」的影響の大きさ、

いや、もしかしたら

揺れ動く感情や思考のほとんどが
その影響の結果かも知れない、

ということを観察、実感しては、
その複雑に見える営みの下にある
構造の単純さに驚く。
”


わたしも、自分自身にとっても興味があるので^^
カラダから意識から心から
いろんな面からのアプローチをしてきました。

色々やった結果としての現在のスタンスが

まあ、まずは体を緩めることからだな

っていうこと。


意識は、とっても巧妙。


そしてトラウマであれ、ブロックであれ
何故かそういう不快なものは
人を魅了するのです。


心を持ったまま
心の問題にアプローチするには
適切な人の助けを借りるか
よほどいいツールを使わないと
その「魅力」に取り憑かれて
プロセスジャンキーになるだけの危険性が大きい。


私は、以前アトピーだった時に比べると
本当にずいぶん楽な性格になった(※当社比です)。
ある部分では全く変わっていないけれど
かなりの部分が劇的に広がったと言っていい(※当社比です)。


アバターも良かったのだけれど
その前段階としてやはり
体の感覚、というところが
変わっていたのが大きい、と今思うのです。


ヨガを通して
緊張と緩和のコントラストを体験し
クラニオをたくさん受けることで
カラダの中に持ち続けていた緊張が
少しずつ、
本当に気づかないほどに少しずつ
ほどかれていって


「ただ私としてここにいる」


ということに対する安心感が
開かれていったこと。


この感覚なしにしては
物事や他社に対して
リラックスして受け止めることに
私はつながれなかっただろうなと思うのです。


どんどん話がそれていきそうになるのを
微妙に軌道修正しつつ進めます、笑


なにしろ
心の制限
と思っていたことが
身体の制限
であった、ということ


もしくは


私の考え、心
だと思っていたことが
ただの生理学的な反応
だったということは
とってもよくある。


うんとわかりやすい例えで言うと


「夜書いた手紙は出すな」


的なこと。


もしくは


「夜書いたブログは
翌朝読むと恥ずかしい」


的なこと。
(これもか!)


これは、夜の魔力、というよりは
夜、という時間帯ならではの
自律神経のバランスがもたらす何か
が、昼のそれとは違うことによるギャップ、
ってことで
結局は
『「精神」「心」という
人間ならではと思っているものが受けている
「生理学」的影響の大きさ』

の一つのバリエーションと言えます、と思います。


ものすごく悲観的に思えていた状況が
ボディーワークを受けたり
カラダを動かしたあと
なんだか違って見える、
これも同じ作用だし


ローフードをやった時
「ここでいつもならこう反応する」っていうところを
華麗にスルーする自分に驚いて
「今まで悩んでいたのはではなく私の腸だったんじゃあ?!」
って思ったこともそうだし


横森理香がいつか本で
「人間、カラダが健康だったら
”生きてるだけでイェーイ”
って感じになるもんです」
といっていたのは本当だった!
と実感したのもそうだし


食事にある程度気をつけるようになった時
コンビニのお菓子を食べたらいきなりイライラ来て
わあ、食べ物すごいね、と思ったことだったり


もう例をあげればきりがないのです。


なにしろ
心、と思っていることに対する
カラダの側からのしばりは
多分想像以上に大きい。


程度の差はあれ
誰にとっても。


なので
特に心の領域を探求するときは
ある程度カラダを開放してからのほうが
不毛な戦いに終わらずにすむ可能性が高くなると
これはずっと思っております。
声を大にして言い続けたい。


松田さんの<私>と<宇宙>のクエストでも
繰り返し違った形で出てくるけれど
自分が、感じている、
と思っていることは
結構あやしい。


考えていることの実体が
私である、
という知覚はとりあえず疑った方がいい。


その考えは「生理学」的影響で創りだされたものかもしれないから。


いろいろなものがつくりだす波に
どんぶらこどんぶらこと
押し流されていくだけも、またいい。


でも
その波のひとつひとつに気づいていって
その間に漂う「これが私自身」という感覚に出会うことは
多分そう悪くない。


というか私は大好物です(・∀・)/


さらに
『観察できる目が育つほどに、
更に外からの刺激に反応する自己に気づいて』

行くのに
やはりカラダを落ち着かせる、ということが
とても有効だと思う次第。


カラダが穏やかな方が
気づきは多い。


これはもう構造上
そうなっています。


身体感覚とともにある
要するに
「感じている」
ということはこの瞬間にしか存在するしかない行為であって
いまここを生きる、
ということそのもの。


カラダに余分な緊張がないということは
その緊張を作り出した出来事から
自由になっているということ。


トラウマとは、精神的な問題ではなく
純粋に生理学的な反応だ、
という説もあるくらい。


・・・
とここまで書いて
しまった異様に大きなテーマを扱おうとしているわ、
と気づいて後悔しているのは
きっと夜のせい!笑


いつかちゃんとまとめ直さねば。




そみさんが言う。


『わたしたちが文化の中で複雑にしている欲求は
実は単純なものなのだ。』



これはきっと真実なのだろうと思う。
だって私たちはそもそも動物だから。


何か「問題がある」
もしくは「問題が起こっている」
という知覚に圧倒されそうになる時
そのうちかなりの割合で
『動物としての生理学的な影響』が含まれている、
その可能性には
いつも心をひらいておきたいなと思うのです。


すくなくとも
体に負担になるものをたくさん食べて
不自然なリズムで生活し
カラダを動かすことも
カラダを省みることもなく粗末にするだけだったら
どんなにブロックや信念をやまほど解除しても
心が晴れるはずはありませんよ、
ということです・・・。



そんな今日も
ひまし油な私。


昨日、夜中に大きな地震があったんだって?
私、いつもは地震で目覚めるのに
なんで気づかなかったんだろう?と思いながら
その時刻を聞いてびっくり。


その10分前に時計を見てベットに入ったの。


そこから10分で、大きい地震に気づかないほど深く寝落ちたのか私?!


これまたひまし油効果のかほりですわ。


動物ですもの、
夜は寝なければね・・・。


動物界のみなさま、
そろそろ就寝の時間でございますよ。
おやすみなさい。




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