はじめて行った国はインドでした。1。
本当に悲惨なものもたくさん見た。
でもなぜか、神父さんたちと行ったと言うこととは別にしても
「神様はいる」
と言うことを感じる国だった。
朝もやの中、
寄宿舎の子供たちと朝のミサに預かるため小高い丘に上りながら町を見下ろした時、
「祝福」
という言葉がなぜか頭に浮かんだ。
たくさんの子供を見た。
たくさんの学校(のようなところ)に泊まった。
貧しい子供がいた。
物乞いの子供がいた。
物乞いとしてインパクトを増すために、手足を切断されている子供がいた。
その横で、ピカピカのスクールバスに乗って学校に向かう子供たちがいた。
はじめて外国人を見て(←私たち)いつまでもついてくる子供たちがいた。
村の外れにある一本の電飾を見せるために、私の腕を引っ張って嬉々として歩いた子供がいた。
私をだましてお金をとった子供がいた。
どの子供の目も忘れられない。
ひときわ心に残っているエピソードがある。
小さな村の学校にようなところに行って、
毎度のように子供たちにもみくちゃになっていたとき。
先生が一人一人なんとなく紹介してくれるのだけど、
「この子のご両親はなんとかで」
とか「この子はこんな事情があって」とか。
その中で賢そうな小さな女の子(たぶん12歳くらいの)を指差して、
「この子はやっと学校に入れたのだが、結婚するので明日でやめる」
け、けっこん??!!!
こんな小さな子が?
そんなことが良くあることは、帰って来ていろいろなものを見てようやく知ったくらいで。
その旅の衝撃は他にもいろいろあったのだけど、すべてが
「どう受け止めていいのか分からないしどうすることも出来ないボックス」
に長年放り込まれていた。
実はヒロさんは、
その後も私たち青年に大きなインパクトを与え続けて、
(さすが日本の神学校を追い出された神父はいつまでも破天荒で
イミグレで「職業 羊飼い」と書いて怒られ私たちも足止めを食らった、笑。)
それでも数年後に、ニューヨークで突然死んでしまった。
そしてその直前には、その旅でもう一人いた
「初海外がこのインド」のやつで、
そのぐちゃぐちゃにかき回された心のうちを
心底からシェアしあって友人以上の存在だった友人も、
突然、奪われるように海外で命を落としたばかりだった。
彼は、その旅をきっかけに海外に頻繁に出るようになり、
ベトナムで現地の女性と結婚し事業を起こしていた。
いついつまでもその旅の衝撃を語り合っていたし、
「お前も早くどこか行かないと、インドでのことが夢の中のことになっちゃうよ」
と言われていたのだった。
(そんなこと言われてもね)
そんなこともあって、ますます、ボックスの中は整理されることもなく、
たくさんのことが放り込まれたままで私の中で放置され続けることになったのだった。
時は経って。
自分に子供が産まれて、
その子を日々抱いていると、
世界中に子供がいる、というより
「”この子”が世界中にいるのだ」
という不思議な感覚を感じることがあり
それらのボックスの中のことを、再び思い出さずにはいられなくなった。
つづく