久々の旅日記続き・・・
久々過ぎて、もぅあたいが何処行ったか覚えてないでそ、でそ
フランスです、フランスぅ~
思い出した~
モン・サン・ミッシェルの次に向かったのは、オマハビーチ
そう第二次世界大戦で有名なノルマンディー上陸作戦の舞台のとなったビーチよ
この目で、その舞台を見たかった・・・
航空券予約した時点では、オマハビーチに行こうと計画してなかったから、この唐突な計画のおかげで時間の無駄はするし、大忙しなた旅となったんだ
コテンパにやられたわ
旅行は、計画的に
(短期滞在のみ)
オマハビーチは~ココ
のところ
赤線引いてある、サン・マロから出発
近く見えるから行ってみたけど・・・そうだった、フランスって大きいんだった・・・
電車で片道2時間くらい掛かったよね~
最初から計画立ててたら、サン・マロを拠点にせず、移動して旅ったのにね・・・往復で費やした4時間は非常に大きかった・・・
馬鹿でそ
それが、サン・マロのみどりの窓口的女の人が、Caen=カーン(地図参照)まで行って、そこからバスに乗り換えって言われて、カーン行ったら、カーンの駅の窓口でカーン行く途中に通り過ぎたBayeux=バイユー(Aピンの真横)に行って、そこからバスとか言われたしね・・・
戻るのに電車は待つわ、電車代も多く掛かったし、何よりバイユーまでの往復時間30分も大きな痛手
こんなとこで時間無駄にしてたら、朝早く起きた意味が無い
まっ、自分で下調べしなかったのも悪いけど、あのクソフランス女めっ
わざとだろうにっ
ほんと笑えなかったわ~
マジで。
気を取り直して、バイユーへ移動~
サン・マロを7時台とか8時台に出たのに、バイユーに到着したのが12時近くだったヨネ・・・
バイユーの駅を出ると・・・
ドーンッ
いきなりオマハビーチ等のツアーの看板が
やる気、一気に回復っっ
この看板の裏にツアーの予約を受け付けてる宿泊施設だか、レストランみたいのがあったから、ツアーに参加したいって言ったら今日のは、もう予約いっぱいと突き放される
駅の前に居れば、バスがもうすぐ来るから、聞きなさいみたいな事をたどたどしい英語で教えてくれて、言われるがまま待った
10分位してバンが来て、お客さんをピックアップするイギリス女性が降りてきた(訛りから判明)
アメリカ人(訛りから判明)の観光客が、参加したいと直接交渉してて、一緒にたたずんで便乗しようと隙を狙っていたら、イギリス女性は「もう今日は満員。この時期忙しいのよ~。ごめんね~」ってバンと事前予約したお客と消えていった
9末忙しいのか
そんな事より
どうしましょ
神経の図太いあたいが焦ったわ
さっきのおっさんにもう一度聞いた、ツアーにどうにか参加させてくれと懇願
そしたらここ出ると教会が見えるから、そこがタウンセンターだから、そこにインフォメーションセンターあるから、そこに行きなさいと、またたどたどしい英語で教えてくれた
メルシィ~と一言いい、タウンセンターへ向かう
教会のとんがり頭しか見えてないのに、本当に行けるのかと思ったら、迷わず行けた自分すごい、旅慣れてる
タウンセンターに近づいてくると、ある物が見え始めた
アメリカの国旗だっ
来たぞと、テンションUPやっ
店がずらっと並び、どうやらタウンセンターに到着したみたいだけど、インフォセンターが分からない
ちょうどお店から出てきた店主に「エクスキューズモエ。Do you speak English」って聞いたら、思いっきりイギリス人だった
場所を教えて貰って行くとお昼休みの為、2時まで休館
なげーってば
にっくきフィエスタ文化
(ラテン系のヨーロッパの国では、お昼休みが2・3時間あります。その事をフィエスタと呼ぶ。フィエスタとはスペイン語でお昼寝と言う意味)
1時間くらい待たなきゃいけない、羽目に・・・テンションまたDOWN
むしろ、もうどーでもいい感じになって来てた
取り合えず、2時まで街をプラプラし、お土産とか何気にゲットン
少し気持ちUP
これが、タウンセンターまでの目印となった教会
すっごく立派
インフォメーションセンターの目の前にあった川
多分、メイン通り
建物から建物の間に、第二次世界大戦に関わった国の国旗がズラーっと掛かってたよ
ドイツの国旗もあってね、世界平和を象徴してたよね
ちょっとジーンとしちゃったよね
色々ブラブラしてもまだ時間余ってしまって、もうやる事無いから、カフェでお茶したわ
よーやく、インフォセンターが開いて、一番に駆け込んだっつーのっ必死です。
この約100キロにも及ぶビーチには、オマハビーチだけでなく、アメリカ軍が上陸したもう一つの有名なビーチ、ユタビーチ、イギリス軍が上陸したゴールドビーチ、ソワードビーチ、カナダ軍が上陸したジュノビーチがある(対ドイツ軍)
『時間無いんで、オマハビーチだけ行きたい』と、カウンターの女性に伝えると、時間的にキッツイけど、これなら間に合うと案内してくれたのが、10分後とかそんな単位での出発のバス
バス停は、バイユー駅前
笑ったよね~( ゚∀゚)アハハ八八ノヽノヽノヽノ \ / \/ \
そっから来たのにね~( ゚∀゚)アハハ八八ノヽノヽノヽノ \ / \/ \
あのレストランのおっさんが言ってたのは、ツアーのバンじゃなくて、このバスの事だったのね・・・と、気付く
まぁ、町見れたし、いいかっと、急いでもと来た道を戻ったわ( ゚∀゚)アハハ八八ノヽノヽノヽノ \ / \/ \
でもね、このバスが駅に戻ってくるのがなんと、あたいが乗る最終電車出発の2分前
バスの運転手に英語で聞くが、彼はまったく英語を話さないらしぃ・・・しかも、あたいのチケット、カーン出発で発行されてるから、バイユーは何時に出発するか書かれてないのよ
手振り身振り伝えたよね~
なんとか伝わったわwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
奇跡かもしれん
飛ばして運転して間に合わせる、みたいな事言ってくれた
電車に間に合うかどうか、ちょっとドキドキしながら出発~
逃したら、お終いよ、あたい・・・翌日朝早くフェリー乗る予定よ・・・
この市街バスで移動しました
入り口
当たり前だけど、堂々とアメリカの国旗が掲げられていた
記念碑
さて、時間のあるうちに、上陸の舞台となったオマハビーチを拝見しにっ
高台から目に飛び込んできたのは、戦争が実際にあったとは思えないほどの美しい自然とビーチ
オマハビーチは、この一帯にある上陸作戦に使われた他のビーチよりも、ドイツ軍の攻防が激しく、どのビーチよりも多くの命を奪った場所。
だからこそ、オマハビーチが一番有名なんだろう。
私が写真を撮った場所が高台になっていて、今は舗装がされてるので、ビーチへのアクセスは簡単だが、上陸作戦が実行されたD-DAY(1944年6月4日)は、この高台ろ舗装されない緑の生い茂った緑がドイツ軍にとって優位な地形となった。
タンク(船)から降りたアメリカ軍は、降り立った瞬間に高台に陣取っていたドイツ人に撃たれて亡くなる人がほとんどで、莫大な数のアメリカ軍の損失を出した日。
この美しい海が血で染まったのは言うまでもなく、想像しがたい。
そんな尊敬すべき場所を、フランスは手付かずそのまま残してくれている事にもとっても感謝。
ビーチにも下りてみたよ
美しい・・・
波の押し引きで出来た砂のボコボコが、当時このビーチで戦った勇敢なアメリカ軍マリーン(第一線)の若者の足跡にも見えなくない・・・
余談ですが、ティムタム(彼氏)のお父さん側のおじぃちゃんが、実はこのD-DAYに参戦していたのです。
彼は第一線の人ではなく、バイクを使ったメッセンジャーだったので、D-DAY3日目にイギリス軍が上陸したゴールドビーチの更にその中にある、キングビーチだったかな?に上陸したそうです。
終戦までメッセンジャーの役目を勤め、生き残って戻ったけども、戦前と戦後では多きく人が変わってしまっていた、とティムタムのおばあちゃんが言っていたそう。
その5年後に、原因不明の突然死に見舞われたそうです。
恐らく、戦後もその戦中から続いたストレスで亡くなったのではないかと、私は思う。
この時代に生まれた方は、本当に苦労した方達だな、と国籍関係なく尊敬する。
ビーチは美しかったけど、ちょっと肌寒かったんで石を2個(ティムママへと自分の)拾ってメモリアルの方へ戻った
メモリアルには、同時の上陸作戦の地図が壁に広げられておりました。
こう攻め込んでいったんだね。
イギリス、カナダ軍が上陸したビーチ。
(左からソード、ジュノ、ゴールドビーチ)
アメリカ軍が上陸したビーチ(左からオマハ、ユタ)。
このビーチで亡くなった方のお墓もずらーっと並んでおられました。
その十字架の中にチラホラ、ユダヤのお墓も✡
ドイツで無意味に命を落とすよりも、国の為に戦って命を落とす方が有意義なのだろうか・・・
太平洋戦争に参加したベテランが、「戦争は野蛮で、下劣で、恐るべき無駄である」と、説いた。
この世に人間のエゴが無くならない限り、このような無駄な命の落とし方、戦争は永遠に無くならないのか・・・
胸が痛い。
さてさて・・・
1時間ちょい見る時間があったんだけど、案の定時間を持て余した
10分ほどバスの目の前でうろちょろしながら時間を潰す
帰りは、優しい運転手さんが少し飛ばしてくれたお陰で、電車出発の5分前に駅に到着する事が出来た
感謝感謝
ありがとうをフランス語と英語で何回も言って、この場を去りました。
ふぅ=3
大変だったけど、有意義ないい一日になったぜ
絶対また戻って来たい
おしまぃ
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